アイルランド・ロンドンへの旅(その33):カイルモア修道院(Kylemore Abbey)を訪ねる(6/9)
ヴィクトリア朝時代の邸宅サロン(Drawing Room)を更に見学。「Address to Mrs Margarct Henry Kylemore CastleMADAME- We, theinhabitants of Letterfrank and Kylemore do gladly avail ourselves ofthe present opportunity of expressing our unboundedjoy joy and gratitude at your safearraival in Kelemore after a Continental tour.Since we first had the good fortune of your coming amongst us, your noble hearted husband and yourself have so much to improveand beautify this long neglected ,poverty-stricken,district;you have shown such uniformkindness and liberrality to all particularly to the sick poor-no language at our commandcan adequately express ou feeling of admiration of such invaluable,and,we hope,never-to-be-forgotten services.During your absence, Madame, many a fervent prayer had been offered for your safe return, also for that of Miss Henry and Mr.George Henry, and now that you are come home(we hope in the enjoyment of good health),we all unite in offering you,with all theexuberance of grateful Irish hearts, a sincere and most cordial Cead Mile Failte.We have the honour to be, Madame,your obedient servants,Joseph McDonnell,John Fogafty, William W. Carson, Stephen Coyne, Patrick O'Neil, Patrick Cawley, James Brady, JOhn Fogalty Junior, Edward B. Carrick;who waited as a deputation on the 17th,and presented the address t0 Mrs. Mitchell Henry, Kylemore CastIe.The address was signed by ninety of the inhabitants. Freeman's Journal, Tuessday,22 October 1872」 【拝啓 令夫人 カイルモア城私たち、レターフラックおよびカイルモアの住民一同は、このたびのヨーロッパ大陸旅行から無事にご帰還なさったことに対し、言い表せぬ喜びと感謝の気持ちを表すべく、ここに筆をとりました。私たちがあなた様と、ご寛大なご主人であるミッチェル・ヘンリー氏をお迎えする幸運に初めて預かって以来、この長年打ち捨てられ、貧困にあえいでいた地方に対して、お二人は多大なる改善と美化をもたらしてくださいました。とりわけ病に苦しむ貧しい人々に対して、常に変わらぬご親切と寛大さを示してくださり、私たちは心から敬服しております。私たちの言葉では、この貴重で決して忘れられないご恩を、十分に表現することができません。ご不在の間、奥様、そしてお嬢様ミス・ヘンリーとご子息ジョージ・ヘンリーのご無事な帰還を、幾度となく祈ってまいりました。そして今、ご一家が健康でお帰りになったことを知り、私たちすべてのアイルランド人の溢れんばかりの感謝の心をもって、ここに「ケード・ミーレ・ファルチャ(Céad Míle Fáilte)=百万回の歓迎」を、心から申し上げます。(『フリーマンズ・ジャーナル』 1872年10月22日 火曜日号)】「Margaret Henry's ReplyGENTLEMEN- I feel so much overcome by your kindness that I may say,as Cromwell saidto Wolsey, "I have no power speak" I think,as a rule, ladies are not good od speakers,and I am sure that I should make vemibad one; but had I been aware sooner ourintention to present to me this beautiful,elaborate ,and eloquet address, 1 should have endeavoured to prepare a suitable reply or have asked Mr. Henry,WHo is more accustomed to making speaches than I am,to have made one for me. However, as I havedone neither the one nor the other, I must ask your simply to accept my thanks,as theycome spontaneously from my heart.I was going to begin by saying that nat the moment I could not find words to express my gratitude and sense of your kindness;but I shall not say so,for even were I able tofind words and string them fail to convey to you the feelings of my heart.Believe me,your warm welcome and kind expressions have most deeply touchedme, and will neverbe beforgotten.The brilliant display of fireworks pleased us all greatly and afforded intense pleasure tothe little ones.They were by far the best fireworks we have ever had,and were most successful,in split of the unfavourable weather.I fear I am unable to say more,and I jointed by Miss Henry and Mr.Gorge Henry,in asking you again to accept our heartfelt thanks, and to believe not only in our gratitude,but in our lasting regard. Freeman's Journal,Tuesday',22 October1872」 【Margaret Henry 夫人の返答紳士の皆様へ皆さまのお優しいお心遣いに、私はすっかり胸がいっぱいになってしまいました。クロムウェルがウォルジーに言ったように、「言葉が出ません」。そもそも、女性というものは一般的にあまり話すのが得意ではないように思いますし、私自身、きっとひどいスピーチをしてしまうでしょう。ですが、もしも皆さまがこのように美しく、丹精を込めた、そして感動的なお言葉を私に贈ってくださるおつもりだと前もって知っていたならば、私はそれにふさわしいお返事を用意するか、あるいはスピーチ慣れしているヘンリー氏に代わりに話してもらったことでしょう。しかし、どちらもしていない以上は、私の心から湧き出る感謝の気持ちを、そのままお受け取りいただくほかありません。本当は、「感謝と皆さまのご厚情に対する思いを表す言葉が見つかりません」と申し上げようとしていましたが、やめておきます。たとえ言葉が見つかっても、それらをつなぎ合わせて私の心からの想いを皆さまに十分に伝えることなど、きっとできないからです。どうか信じてください。皆さまの温かい歓迎と優しいお言葉は、私の胸を深く深く打ち、決して忘れられないものとなりました。花火の素晴らしい催しも、私たち一同たいへん楽しませていただきました。子どもたちにとってもこの上ない喜びであり、これまでで一番見事な花火でした。天候が思わしくなかったにもかかわらず、大成功だったと思います。これ以上多くを申し上げることはできませんが、ミス・ヘンリー、そしてジョージ・ヘンリーとともに、改めて皆さまに心からの感謝をお伝えし、私たちの感謝と変わらぬ敬意を信じていただければと思います。(『フリーマンズ・ジャーナル』 1872年10月22日 火曜日号)】】このやり取りは、単なる「地主と住民」の関係を超えた、信頼と感謝に基づく社会的な絆を象徴。特に19世紀のアイルランドでは、大地主と地域住民の関係はしばしば緊張をはらんでいましたが、ミッチェル&マーガレット・ヘンリー夫妻はその例外で、進歩的で博愛的な支援者として尊敬されていたのだ。この新聞記録は、彼らの地域社会における評価と、当時のアイルランド農村の人情と表現文化を伝える貴重な一次資料である。邸宅サロン・応接室(Drawing Room)の眺め。Margaret Henry・マーガレット・ヘンリーが楽しんだピアノ。マーガレット・ヘンリーのドレス。部屋のシャンデリア。気品あるソファー。暖炉の上の置物。暖炉の周囲には大理石の彫刻が。両側には大理石の裸像が。女性像が胸元に鳩(おそらく白い鳩)を優しく抱いていた。表情と仕草:静かに目を伏せ、胸に手を当てる姿は、謙遜・慎み・内省を象徴。肩に止まる小鳥:優しさ・自然との調和・心の平安を表現。衣のひだや髪の造形などは、繊細な技巧を感じさせるヴィクトリア時代の新古典様式。移動して。カイルモア城の贅を尽くしたイタリア風の内装。ズームして。巨大な白磁壺。「MargaretMargaret Henry quickly settled into KYLEMORE and was much loved by the locals.Her PASSION for TRAVEL and eye for beauty were reflected in the sumptuous ITALIAN-INSPIRED INTERIORS of the castle,where talented CRAFTSMEN worked side-by-side to create a LUXURIOUS family home.」 【マーガレット・ヘンリーは、カイルモアでの暮らしにすぐに馴染み、地元の人々から深く愛されました。旅への情熱と美への鋭い感性は、カイルモア城の贅を尽くしたイタリア風の内装にも表れています。そこでは才能ある職人たちが力を合わせて、豪奢な家族の住まいを作り上げていきました。】乳母車の如きものも。修道院の長い部屋にあるアレクサンダー・ヘンリーの垂れ幕。アレクサンダー・ヘンリーは、ミッチェルとマーガレット・ヘンリー夫妻の4番目の子供でした。ロンドン消防隊で訓練を受けたアレクサンダーは、自ら消防隊を率いることを望みました。これがカイルモア消防団の設立につながりました。この隊に関する3つの興味深い事実をご紹介します!・カイルモア消防団はボランティアで構成されており、各自が海軍の制服、真鍮のヘルメット、 ヘンリーの紋章のブローチ(王冠を掲げたライオン)を身に着け、参加を証明していました。 ・カイルモア消防団はカイルモアで設立された唯一の消防団であり、その存在期間を通じて 消火が必要となった火災はたった 1 件だけでした。・消防隊のエンジン室で火災が発生し、消火に必要な機材がすべて備わっていたため、隊の活動は 急速に停止しました。これにより、すべての機材が破壊されました。 この事件の後、カイルモア消防団は解散しました。 「LorenzoLorenzo was the YOUNGEST of the Henry sons and called Lorenzo because his motherwas taken with ALL THINGS ITALIAN.He was talented SPOTSMAN and INVENTOR.Lorenzo attended Eton,in Berkshire,when he was just ten-years-old.As a child at Kylemore he HID SWEETS insaide the nurseryrocking horse.」 【ロレンツォロレンツォはヘンリー家の末っ子の息子で、母マーガレットがイタリア文化に夢中だったことから「ロレンツォ」と名付けられました。彼は才能あるスポーツマンであり、また発明家としての素質も持っていました。10歳のときには、イングランド・バークシャーにある名門校イートン校に入学します。カイルモアで幼少期を過ごしていた頃には、お菓子を保育室の木馬の中に隠していたという、微笑ましい思い出も残っています。】「AlexanderAlexander George Henry,having received training from the London Fire Brigade,set up a FIRE BRIGADE STATION at Kylemore.AS FAR AS WE KNOW the only fire they ever had to deal with in their own stationhouse,when all their equipment was DESTROYED.」 【アレクサンダーアレクサンダー・ジョージ・ヘンリーは、ロンドン消防隊(London Fire Brigade)で訓練を受けた後、カイルモアに消防署(消防隊)を設立しました。しかし、私たちの知る限り、彼らが実際に対応することになった唯一の火災は――自分たちの消防署そのものが火事になったときで、そのときにすべての消防装備が焼失してしまったのです。】「Geraldine HenryGeraldine Henryはミッチェル・ヘンリーとマーガレット・ヘンリーの娘の一人であり、おそらく数人いる姉妹の中でも長女または次女だったと考えられています。ヘンリー家には9人の子ども(5人の娘と4人の息子)がいたとされ、ジェラルディンはその中の一人でした。椅子の上にジェラルディン・ヘンリーの結婚式の写真。「Geraldine Henry's Wedding Dress Replica of 1887 Gown"The bride... wore a costume of rich Ivory Bengaline, the front Of the skirt and bodice being richly draped with natural exquisite Bruges lace.On the corsage was a garniture of orange blossoms, sent by her sister from Algiers.」 【ジェラルディン・ヘンリーのウェディングドレス(1887年ドレスの復元)花嫁は、上質なアイボリー色のベンガリン素材のドレスをまとい、スカートとボディス(胴部)の前面には、天然の繊細なブルージュ・レースが豊かにあしらわれていました。胸元(コルサージュ)には、姉がアルジェから送ってくれたオレンジの花が飾られていました。】ジェラルディン・ヘンリーのウェディングドレス(1887年ドレスの復元)。ジェラルディン・ヘンリーの結婚式の写真。ジェラルディン・ヘンリーは「ミッチェル・ヘンリー家の花」でした。悲しいことに、彼女の人生は悲劇に終わりました。ジェラルディン・ヘンリーの人生について、胸を締め付けるような、深い意味を持つエピソードをいくつかご紹介します。・ジェラルディンは子供の頃から才能ある馬術家として広く知られていました。 ・彼女はエドワード・フッカー・ギルバートと結婚し、マサチューセッツ州ウェアに移り 住みました。そこで二人の子供をもうけましたが、残念ながら幼少期に亡くなりました。・ジェラルディンは、3人目の子供エリザベスをカイルモアの清らかで新鮮な空気の中で育てる ため、カイルモアに移住しました。しかし、カイルモア近郊のダウロス川にかかる デリーインバー橋で、不運な馬車事故に遭い、ジェラルディンは亡くなりました。「Florence HenryFlorence Henry lived at BUNNABOGHEE LODGE near Kylemore,until her death in 1952.She was known as an exceotional SALMON ANGLER and BRIDGE PLAYER, and wasawarded an OBE during World WarⅠ.」 【フローレンス・ヘンリーフローレンス・ヘンリーは、カイルモア近くのバナボギー・ロッジ(Bunnaboghee Lodge)に暮らし、1952年に亡くなるまでそこに住み続けました。彼女は、卓越したサーモン釣り名人として、また優れたブリッジ・プレイヤー(カードゲーム)として知られていました。さらに第一次世界大戦中にOBE(大英帝国勲章)を授与されています。】フローレンス・ヘンリーは、ヴィクトリア時代の実業家・政治家ミッチェル・ヘンリー(Mitchell Henry)とその妻マーガレット・ヘンリー(Margaret Henry)の娘の一人で、カイルモア城(Kylemore Castle)にゆかりの深い人物である と。・卓越したサーモン釣り名人(Salmon Angler) フローレンスは、アイルランド西部の川や湖でのサーモン釣りにかけては一目置かれる 存在でした。「exceptional salmon angler(並外れた釣り人)」と形容されるほどで、 当時の上流階級女性にしては珍しくアウトドアと自然との深いつながりを持っていた人物です。・優れたブリッジ・プレイヤー ブリッジは知性と戦略を要するカードゲームで、当時の社交界では非常に人気でした。テーブルの中央:消防隊の真鍮製ヘルメット。ロレンゾ・ヘンリーは著名な発明家であり、カイルモアで多くの時間を発明品の創造のための実験に費やしました。「Henry family portrait」マーガレット・ヘンリー(Mitchell Henryの妻)の若い頃の姿か??若き日のフローレンス・ヘンリーと彼女のオペラケープの肖像画。ブライディー・ヘスター嬢に贈られ、当館に展示するために提供されたもの と。ここにも暖炉が。ガラスケースには、ジェラルディン・ヘンリーのオリジナルの所持品がいくつか展示されていた。近づいて。「GeraldineGeraldine was the 3RD DAUGHTER of the Henry family.She married Edward Hooker Gilbert of Ware,MASSACHUSETTS,USA in 1887.」 【ジェラルディン・ヘンリージェラルディン・ヘンリーはミッチェル・ヘンリー(Mitchell Henry)とマーガレット・ヘンリー(Margaret Henry)夫妻の三女(3rd daughter)。彼女はエドワード・フッカー・ギルバート(Edward Hooker Gilbert)/アメリカ合衆国マサチューセッツ州ウェア(Ware, Massachusetts, USA)出身」 The Dining Room ・ダイニングルーム。・ヴィクトリア朝時代風の豪華なテーブルセッティングがなされており、当時の上流階級の 食卓文化を再現。・銀製の燭台・クリスタルのデカンタ・華やかな花のアレンジメントが、格式ある晩餐の 雰囲気を強調。・それぞれの席にはメニューカードが配置されており、食事内容も来館者に提示されている。・周囲の赤を基調としたインテリアや壁面の装飾は、温かみと高貴さを感じさせる演出。・金色の燭台(カンデラブラ)が中央に3本立ち、豪華さを演出。・クリスタル製のデカンタやグラス類が豊富に並び、格式ある晩餐の雰囲気を伝えていた。・赤と白の磁器のスープテリーヌ(蓋付き大皿)は、高級陶磁器の一例。・生花のように見える花瓶のアレンジメントが、華やかさと温かみを加えていた。・写真立てには、恐らく当時の食事メニューや人物紹介が展示されていた。「Kylemore CastleKylemore Castle well equipped for ENTERTAINING, and it WELCOMED MANY GUESTSover the years. Dinner parties were lavish affairs,with menus planned usingPRODUCE FROM THE ESTATE.The Henry family hosted an ANNUAL BALL wheare ,on occasion,tenants and workmen mixed with neighbouring」 【カイルモア城カイルモア城は社交の場として非常に充実しており、長年にわたって多くの客人を迎えてきました。・ディナーパーティーは非常に豪華で、メニューは領地内で採れた食材を使って入念に計画 されていました。・ヘンリー家は年に一度、恒例の舞踏会(アニュアル・ボール)を開催しており、 ときには小作人や労働者たちも、近隣の来客と共にその場に加わることがありました。】「MENU」 豪華な食器類が並ぶ。廻り込みながら。磁器食器のキャビネット。・クラシックな木製キャビネットに収められた、赤と白を基調とした豪華なディナーセット。・食器には金色の縁取りが施され、上流階級の家庭用としてふさわしい高級感があります。・含まれている器種: ディナープレート・スープ皿・ティーカップ&ソーサー ソースボート・スープテリーヌ・サービングプレート など・手前に見えていたテーブル上の食器と同一シリーズのセットと考えられ、当時のハイド家の もてなし文化や格式の高さを象徴するコレクション。「THE DINING ROOMThis room was the Dining Room for the Henry family until 1902 and for the Dukeand Duchess of Manchester from 1903. lt later became the school language roomand the location of the school 'uniform press' and girl guide meetings!」【ダイニング ルームこの部屋は、1902年までヘンリー家のダイニングルームとして使用されていました。1903年以降はマンチェスター公爵夫妻(デューク&ダッチェス・オブ・マンチェスター)の食堂となりました。その後は、学校の語学教室として使われたほか、制服のプレス(整備)室や、ガールガイドの集会場としても使われました。】 ビクトリア朝時代のサイドボード(給仕用棚)の様子上段: 銀製の保温付きドーム型サーバー(左) 精巧な銀製ティーポットまたはグレイヴィーボート(右) 中央には「Please do not touch the displays(展示物に触れないでください)」の案内中段: 白磁に金縁のティーカップ&ソーサー 銀製のスープテリーヌ(蓋付き) ソースポット(グレイヴィージャグ)下段: 金縁のディナープレートやスープ皿が並び、左下にはボウルも確認できたのであった。William Angus Drogo Montagu・ウィリアム・アンガス・ドロゴ・モンタギュー「William Angus Drogo Montagu,9th」 Duke of ManchesterBORN IN 1877,the Duke of Manchester enjyoyed a LAVISH LIFESTYLE and tended toLIVE BEYOND HIS MEANS、He met Helena Zimmerman in FRANCE in 1899 and the couple ,arried in 1900.He purchased Kylemore Castle in SEPTEMBER 1903,althoughmost of the finance came from his FATHER-IN-LAW,the OIL AND RAILROAD TYCOONEugene Zimmerman from Cincinnati,USA. 」【ウィリアム・アンガス・ドロゴ・モンタギュー第9代マンチェスター公爵1877年生まれで、ウィリアム・アンガス・ドロゴ・モンタギューは、1877年に誕生し、贅沢な生活を楽しんでいたが、常に身の丈以上の支出をしていたとされます。彼は1899年にフランスでヘレナ・ジマーマン(Helena Zimmerman)と出会い、1900年に結婚しました。その後、1903年9月にカイルモア城を購入しましたが、その購入資金の大部分は、妻ヘレナの父である。アメリカ・シンシナティの石油・鉄道王、ユージーン・ジマーマン(Eugene Zimmerman)からの支援によるものでした。】「Helena Zimmerman,Duchess of Manchester」。 「Helena Zimmerman,Duchess of ManchesterThe only child of an AMERICAN MILLONAIRE,Helena Zimmerman was described as a"REBELLIOUS GIRL WHO ACCEPTED THE WORLD AS MADE FOR HER"She made many changes to Kylemore Castle including the REMOVAL OF MARBLEARCHES that had been a FEATURE of the main hall,replacing them with the oakp・・elling you see today.」 【ヘレナ・ジマーマンアメリカの大富豪の一人娘であったヘレナ・ジマーマンは、「世界は自分のためにあると信じて疑わない、反抗的な少女」と評されていました。彼女はカイルモア城に多くの変更を加え、その中には、かつて大広間の特徴であった大理石のアーチを撤去し、現在見られるオーク材の壁板へと置き換えたことも含まれます。】「Mitchell Henry had a TURKISH BATH installedat KYLEMORE for the enjoyment of family and guests.In the 1930s,the nuns coverted the BUILDING into a day scool for local children.」 【ミッチェル・ヘンリーとトルコ式浴場ミッチェル・ヘンリーは、家族や来客が楽しめるように、カイルモアにトルコ式浴場(Turkish bath)を設置しました。その後、1930年代に修道女たちがこの建物を地元の子どもたちのための「デイスクール(日中学校)」へと改装しました。】「Fordham Law School Great Hall」Fordham Law Schoolがニューヨークで行う「Spirit of Kylemore」シリーズのドナー支援により、カイルモア修道院の Fordham Hall(旧Great Hall) が修復・展示等で活用されている と。ニューヨークで行われる “Spirit of Kylemore” キャンペーンのためのグレート・ホール募金目的:カイルモア修道院の新修道院や教育・文化施設(グレート・ホール等)を支援。主要ドナー(寄付者) の一覧 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・