沖縄本島一周の旅へ(その19):【3日目・9/27】 備瀬のフクギ並木~備瀬神アサギ~備瀬海岸~備瀬埼灯台~具志堅ビーチ
さらに県道114号線を北に進む。左手にあったのが「ロイヤルビューホテル美ら海」。そして以前にも訪ねた「備瀬のフクギ並木」👈リンクに到着。駐車場が満車のため、しばし待ち駐車場の最奥付近になんとか駐車して散策のスタート。「備瀬(びせ)のフクギ並木マップ」。沖縄の原風景を残す備瀬エリアのフクギ並木は、徒歩・自転車・水牛車で探索できる。細く白い砂地の路に青々とまっすぐ伸びる約18000本のフクギは、古くから沖縄で防火・防風防止の最適な植物として使われてきたとのこと。まずは「夫婦福木(フクギ)」へ。「夫婦福木」案内板。2本の巨木がくっついて寄り添っていることから夫婦フクギと呼ばれる木。夫婦円満や幸せを呼ぶパワースポットになっているらしい。「福を呼ぶ木」とも言われるフクギ。何とも縁起のいい木なのであった。福木・フクギは並べて植栽すると緑の壁のようになり、防風林・防潮林となる。ここ沖縄県の本部町備瀬の「備瀬のフクギ並木」や久米島町真謝の「チュラフクギ」(「チュラ」は「美しい」、「清らか」の意味)などが有名。奄美方言の地方名では「火事場木」を意味するクヮジバギといい、緑の壁のように植えておくと隣家の火事による延焼を食い止められるとされるとのこと。樹高は10-20m。葉は対生で、長楕円形または卵状楕円形で長さ8-14cm。雌雄異株で、花期は5-6月。1.5cmほどのクリーム色の5弁花を葉の付け根に咲かせる。果実は直径3cmほど、3-4個の種子を含む液果で黄色く熟し、クビワオオコウモリ等のオオコウモリ類の餌となる。フラボン系のフクゲチン色素が心材や樹皮中に多く含まれ、古くから紅型、琉球紬、久米島紬などの黄色染めに用いられてきた。福木の色素はアルカリ媒染で赤味の黄色に、すず媒染で黄色に、銅媒染で黄緑色に、また鉄媒染で黒味の青緑色にそれぞれ染色されるとウィキペディアより。福木・フクギの葉。ツヤツヤで厚みがある葉。「備瀬区公民館」。国頭郡本部町備瀬457。「備瀬神アサギ」。備瀬集落の真ん中ほどに、「備瀬神アサギ」があった。ここは集落の神祭りを行う小屋であると。神アサギのある村を「古層の村」と呼び、古琉球の時代(17世紀以前)からあった村と考えられているのだと。かつては茅葺き屋根で軒の低い建物であったが、現在は瓦葺きやコンクリートになっている。明治三十六年以前に創設されたムラは神アサギを設け、神人を置き祭祀を行って来たと。左の石碑には「備瀬神殿改築紀念碑」と刻まれていた。右の石碑は「拝殿改築記念之碑」か?「ウカミャーは、神殿(神様三体祭)祀アサギヤーは、拝殿」案内。「備瀬集落は六百五十年に創設されたと云われ、完全な村落が形成されたのは、三百五十年前後と考えられる。このアサギャー(ウカーミヤの神)は、備瀬区の始祖神として崇拝され、総ての祭事は、この場を中心に行われています。アサギャーは、神殿も拝殿も去る戦争の戦禍から逃れ、今に昔ながらの偉容を呈している。これも、備瀬の氏神様により神押しで守られ、備瀬区民の信仰が深いことから天地の神様がお護り頂いたものと信じます。この場所は備瀬区一の聖地で、年初めにはアサギヤーで、神人達が初御願(パチーウガン)で始まり、十二月までの数々の祭事、御願を行います。字民の無病息災、農作物の豊作祈願(五穀豊穣)大漁祈願と拝みます。観光のお客様は、パワースポットとして、心の中で、お拝み思いのパワーをもらって下さい。( 二礼・二拍・一礼)」。さらに海岸に向かって「備瀬のフクギ」並木を歩く。「海・伊江島ミーウカンへの眺望」案内板。備瀬崎からは、伊江島を一望することができます。伊江島をシルエットに沈む夕日はとても美しい眺望です。沖縄県本部町(もとぶちょう)、本部半島の先端の岬が備瀬崎(びせざき)。備瀬のフクギ並木で知られる備瀬集落の北端に位置する岬。眼前にミーウガン(新御願)と呼ばれる聖域となる小島が浮かぶ絶景の地。伊江島に沈む夕日の写真。「備瀬海岸」。「備瀬海岸」から「備瀬崎」の先の「備瀬埼灯台」方向を見る。「備瀬埼灯台」をズームして。白塔円形コンクリート造り。本灯塔は沖縄本島・本部町海洋公園近くの備瀬埼に建つ。チョット変わった小島の灯台。備瀬崎周辺の海岸は、琉球石灰岩の海食崖で、磯には根元が浸食されて細くなったキノコ岩が見えた。波による浸食によって水面近くを中心に深い切れ込みが生じるもので、地質学ではノッチと呼ぶとのこと。備瀬崎には海水面の変動で生まれた「ダブルノッチ」もあり、複雑な景観を生み出しているのであった。。穏やかな海が拡がっていた。「国営沖縄記念公園エメラルドビーチ」方向を見る。「伊江島」と「城山(伊江島タッチュー)」の姿が。島の中央やや東寄りにある海抜172mの岩山で村外からは「伊江島タッチュー」の名で親しまれている。城山は、島より7千万年も古く、世界でも珍しいオフスクレープ現象(古い岩盤が新しい岩盤に潜りこむ中で一部が剥がれて新しい岩盤の上に乗る現象)によって形づくられた。この現象は、理論として語られていたが実際に見るのは世界でも伊江島しかないのだと。烏帽子を思わせる独特な形から古くから近海を航海する船が目印にしていた。また、航海の安全と健康あるいは豊作を祈願する城山御嶽がある と。ここにも「福助の王子焼き」の店が。狭いフクギの散策道を歩く。「備瀬のフクギ並木入口」案内。「歓迎 めんそーれ Welcome備瀬集落フクギ並木通り」案内板。「備瀬集落案内マップ」。観光ポイントの案内。A、ミーウガン 備瀬崎の離れ小島です。B、ミーウガン(離れ小島)への眺望 辺戸岬から昇る朝日と、伊江島に沈む夕日の両方を見ることができます。C、ボウズサンゴの珍しい石垣 ボウズサンゴは消石灰にして漆喰として利用していました。D、区画割の基準石 メージク(前軸) ナカジク(中軸) ニージク(子軸)の三つの軸石を基準にして区 画割が行われたといわれています。E、海・伊江島ミーウガンへの眺望 備瀬崎からは、伊江島を一望することができます。伊江島をシルエットに沈む 夕日はとても美しい眺望です。F、備瀬区の貴重な文化財 屋号:ハネクンヤー(具志堅門中の家)は、10代続く集落内で二番目に古い門中 です。屋敷の一角の壁は、備瀬のイノーの砂岩で100年以上前に作られました。 備瀬区に残る貴重な文化財です。G、夫婦フクギ 2つの巨木がくっついた珍しいフクギです。幸せを呼ぶとして人気のポイント です。H、コバテイシの老木 熱帯・亜熱帯の気候に分布するコバテイシ(モモタマナ)で樹齢350年と伝わっ ています。I、フクギアーチ越しの伊江島の眺望 フクギ並木のトンネルを抜けると、正面にはエメラルドグリーンの海に浮かぶ 伊江島が姿を現し、夕日を望む絶景ポイントです。「備瀬集落とフクギ並木」案内板。「備瀬集落は、本部半島の先端部に位置し、南北へ連なる碁盤目型のフクギ並木と、その間を通る白砂の道で形成されている美しい景観を残していることが、大きな特徴です。今から約400年程前に形成され、約350年程前に完全な集落になったとされています。神アサギを中心に集落が形成され、伝統文化を大切にする風習が強く、備瀬集落より行事や祭事の多いところはないと思われるくらいに、一月の初御願に始まり十ニ月まで毎月のように行事が行われています。集落の発祥が古い所以と思われ、主に五穀豊穣・無病思災を祈願する行事です。集落のフクギは琉球王国時代の250年以上前に、国策として風水思想に基づく海岸域から里山にかけての森づくりと、風害に悩まされた海辺に住む人たちの暮らしを守るためにフクギが植えられたと思われます。フクギは直立した大樹になり、防風・防潮・防砂・防火などの最適な樹木として、現在でも、先人から受け継がれたフクギを住民は守り続けています。」「水牛車でフクギ並木の原生林散策はいかが!」そして「備瀬のフクギ並木」の散策を終え、駐車場入口まで戻る。大きな「渡口彦信顕彰碑」。「渡口彦信顕彰碑この顕彰碑は渡ロ彦信が政治行政 産業経済 防犯福祉を通し 各般にわたり広く社会やふるさと備瀬区のために貢献されたご功績を讃え 末永く後進への励みに建立する」「経歴以下 省略。ここまでに大きな顕彰碑の建立の経緯に関心があるのだが・・・・。シーサーまでも(右)。シーサー(左)。こちらは歌碑。「情ある人の 福徳の礎 造て後の世の 宝さびら」「備瀬むらに生れ 御万人の為に ちむ情かきて 沙汰ゆ残ち」「フクギの里宣言記念碑」。国土交通省は、2011年1月2日、本部町備瀬区のフクギ並木を「手づぐ郷土賞」に認定した。その栄誉き受け、本部町ど備瀬区は2015年に2月9日を「フクギの日」と定め、沖縄における集落の原風景である美しいフクギ並木をとどめる備瀬区を「フクギの里」と宣言した。よって、備瀬区は先人達が築いた美しく快適な居住空問を大切に保護保存し誇りある「フクギの里」と広く知らしめると共に本部町ど備瀬区の未来永劫の繁栄を祈願し、ここに「フクギの里」宣言記念碑を建立する。」備瀬集落フクギ並木から「備瀬崎海岸」へ車で移動。備瀬崎ビーチは知る人ぞ知るシュノーケルスポットで海中にはサンゴや魚がたくさんいる。駐車場脇には「備瀬小唄」の石碑が建つ。また、トイレ、温水シャワー施設がある。正面に「備瀬小唄」碑。2017年9月末の建立。所在地:沖縄県国頭郡本部町「備瀬小唄👈リンク 作詞 仲田栄松 作曲 兼村憲孝一、福木垣かくて 長浜ゆ前なち 我した備瀬村ぬサー向けぬ美らさ ンチヤヤル ハジドー ジントヤルハジドー二、クビル切り千瀬ぬ 波花ぬ美らさ 勝て美らさしやサー備瀬ぬアン小三、月ぬ夜やでかし 水ぱいに下りて 三味に歌ぬしてサー遊ぶうりさ四、村ぬ真中に 氏神ゆ祀て 千代までぬ栄えサー願いあぎら五、高さ豊まりる 備瀬ぬ灯台や 夜走らす船ぬサー守いでむぬ六、名護原に登て 我が村ゆ見りば 五穀満作やサー世果報招ち」左側には「沖繩三線」の楽譜・工工四(くんくんしー)が。工工四は、五線譜の音符(♪)のように実際の音の高さを表すのではなくて、左手でどこを押さえて、どこを弾くかを指示しているようであった。「わした備瀬に想いはせ「備瀬小唄」は、備瀬に生まれ育った仲田栄松氏(琉歌歌人)が作詞した。備瀬の風水・風致・風俗が余すところなく表現され、備瀬人の気韻生動が読み取れる一唱三嘆の作品で、兼村憲孝氏の作曲により、昭和四十九年にレコーディングされた。備瀬集落は、何時の時代に何処から移ってきたか定かでないが、古老の口碑によると砂丘上のアダン山を切り開き、ソテツ山に堆積したわずかな風化土を耕して拓かれた。山もなく川もなく、薪にも水にも事欠き、夏は台風、冬は北風、砂嵐にさいなまれる厳しく、劣悪な環境であった。ほかに適地の当てもなく、この地にロマンを抱き、氏神を祀り、村の主の下に一致団結して流した血と汗と涙の結晶が、盤石にして美しい福木集落、わした備瀬なのである。その素晴らしい環境の中で、現世の備瀬人が伝統を守りつつ和気葛々と暮らす様を観るにつけ、祖先の偉業に改めて畏敬の念を感じ、感謝の念が込み上げ、この小唄が生まれたと作者は語られた。仲田氏は、故郷をこよなく愛し、学び、献身的に尽力された功績を讃え「備瀬小唄」を次世代へ継承し語りつく。 二〇一七年(平成二十九年)十月十五日建立 備瀬小唄歌碑建立期成会」「備瀬崎海岸」から再び「備瀬埼灯台」を見る。備瀬崎周辺の海岸は、琉球石灰岩の海食崖で、磯には根元が浸食されて細くなったキノコ岩が見えた。波による浸食によって水面近くを中心に深い切れ込みが生じるもので、地質学ではノッチと呼ぶとのこと。「備瀬埼灯台」をズームして。位置 [Lat/Long] 南西諸島 北緯 26°42' 30", 東経 127°52' 43"塗色及び構造 [Colour, Structure] 白色塔形 コンクリート造 [White, Tower, Concrete]等級及び灯質 [Class, Characteristic] 単閃白光 毎5秒に1閃光 [Fl W 5s]光度 [Luminous Intensity (Cd)] 770カンデラ光達距離 [Range (M)] 13海里高さ [Tower Height, Focal Plane Height] 地上~頂部:12m、水面~灯火:17m初点灯 [Commissioning Date] 昭和28年7月 [7.1953]管理事務所 [Office] 第十一管区海上保安本部「伊江島」をズーム。本部半島から北西約9kmの海上に位置する島。本部港からカーフェリーで、約30分で訪れることができます。島は、東西8.4km、南北3km、周囲22.4kmの大きさで、北海岸は約60mの断崖絶壁が連なり、南海岸はほとんどが砂浜。比較的平たんな島の中央やや東よりに海抜172mの古生代チャートの城山(伊江島タッチュー)がそびえ立ち、島のシンボルとなっているのだ。「(ミーウガン(離れ小島)への眺望)辺戸岬から昇る朝日と、伊江島に沈む夕日の両方を見ることができます。」「気をつけよう!! 海のキケン生物」。ご家族が楽しそうに。「備瀬のフクギ並木」を後にして、県道114号線を進み「具志堅ビーチ」に立ち寄る。東の岬の先端にもキノコ岩が。国頭郡本部町。ズームして。更に。「クロアゲハ」を見つける。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・