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JINさんの陽蜂農遠日記

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2017.02.18
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カテゴリ:国内旅行

起雲閣ゆかりの「文豪の間」・「初霜」。 

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昭和23年の谷崎潤一郎、志賀直哉、山本有三の写真。

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太宰治は1948年3月7日~31日にこの起雲閣別館に滞在し

「人間失格」を執筆したと。

多くの著名人に愛された起雲閣別館は昭和63年に取り壊されたと。

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太宰治ゆかりの間。

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私ものんびりとこのソファーに座り庭を楽しみたかったが。

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床の間には「きのみやや大樹の・・・・潤一郎?」と書かれた掛け軸が。

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山本有三、谷崎潤一郎、志賀直哉、各氏の「起雲閣」とのかかわりと、略歴が

説明されていた。

1947年(昭和22年)11月、山本有三が「玉渓の間」に滞在、1948年(昭和23年)にも滞在。

1948年3月15日に志賀直哉・谷崎潤一郎が来館。山本・志賀・谷崎の三人で文芸対談を。

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武田泰淳、舟橋聖一、三島由紀夫、太宰治、各氏の「起雲閣」とのかかわりと、略歴が

説明されていた。

1951年(昭和26年)、舟橋聖一がこの頃からたびたび滞在。

1959年(昭和34年)、武田泰淳が「孔雀の間」に滞在。『貴族の階段』を執筆。

「孔雀の間」、「大鳳の間」に滞在し『芸者小夏』を執筆。

1958年(昭和33年)6月4日、三島由紀夫が新婚旅行で「孔雀の間」に滞在。

1995年(平成7年)6月20日、池田満寿夫が来館。杉本苑子、佐藤陽子と「玉渓の間」にて

文化座談会。

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当時の旅館営業許可札や起雲館の備品を紹介していた。

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「文豪の間」からの庭園。

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次に「尾崎紅葉の間」・「春風」。

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尾崎紅葉の大きな写真。

1885年(明治18年)、山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊。

『二人比丘尼 色懺悔』で認められ、『伽羅枕』『多情多恨』などを書き、

幸田露伴と並称され(紅露時代)明治期の文壇の重きをなした。

1897年(明治30年)から『金色夜叉』を書いたが、未完のまま没した日本の小説家。

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「尾崎紅葉の間」は、紅葉の名前をイメージしたのか、紅色の壁。 

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冊子 「尾崎紅葉 生誕100年 記念四大文豪展

尾崎紅葉・正岡子規・幸田露伴・夏目漱石」 。

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「暗しとは柳にうきなあさみどり」 の掛け軸と初代お宮の松の写真。

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日本橋三越劇場で行われた「金色夜叉」のポスター。

間貫一:江守徹 鴫沢宮:二宮さよ子。 

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尾崎紅葉の書簡。 

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お宮の松の写真も飾られていました。 

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初代お宮の松の写真。 

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初代お宮の松の切断面の拓本。

年輪がしっかりと確認できた。 

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紅葉際記念の色紙等も。

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「尾崎紅葉の間」からの庭園。 

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隣は「坪内逍遙の間」・「松風」。

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落ち着いた和風の部屋。 

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坪内逍遙の略歴と主要作品を紹介。 

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床の間には石碑の拓本?や各種の展示品が。

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「逍遙の間」からの庭園。 

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坪内逍遙自画像。 

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坪内逍遥はかつて、『私の気に入ったと思うことのあらまし』のなかで熱海について、

次のように書き記している。(写真右)

「熱海の特徴は、軽井沢が避暑の最優勝地であるが如く、我が国に於ける避寒の最優勝地である

上に、頗る有効な温泉があり、加うるに、海と山と田園との三風致を兼ね備え、おまけに

都会的設備と田舎の趣味と両立せしめているという点にある」。 

明治~大正時代の古き良きの熱海を思い起こさせるのであった。

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熱海市 逍遙ゆかりの地 紹介。

双柿舎での逍遙と夫人の写真も。

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坪内逍遙像。 

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「金剛の間」。

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金剛は螺鈿(らでん)細工によって模様が施された洋館。

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この建物は、根津嘉一郎別邸のガーデンハウスとして1929年(昭和4年)に竣工。 

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 金剛の間の前室に入ると、天井は、切妻になっていて、そこにステンドグラスが

嵌っています。

床にはタイルを敷いていて、いわゆるチューダー式の意匠。

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様々な色調の石を用いた暖炉、柱と梁に施された彫刻や螺鈿(らでん)の装飾など、

格調高い迎賓の雰囲気があふれる仕上がり。 

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金剛の間の、暖炉の両脇の上方に、両脇に2個所づつ、ステンドグラスの窓が。

このステンドグラスは、今までと打って変わって、中国風のデザイン。

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ローマ風浴室入り口。 

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「ローマ風浴室」。

ローマ風浴室は、床・壁の内装から浴槽の仕様まで当時の姿を再現したも のですが、

窓のステンドグラスや装飾的な湯出口は創建当時のものを用いて いるそうです。

この浴室では、かって、舟橋聖一が「孔雀の間」で執筆し、溝口健二が監督した

『雪夫人絵図』の撮影も行われたと。 

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別の角度から。 

テラコッタ製のカランも。

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 洗面脱衣室にあるステンドグラスの丸窓

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Last updated  2017.02.18 01:43:41
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