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カテゴリ:国内旅行
誕生寺の隣にある鯛の浦遊覧船入口が総門の右手、道を挟んで向かい側に。 「鯛の浦」は、マダイが群泳することで知られ、鯛の浦タイ生息地の名称で、 国の特別天然記念物に指定されている。 天然記念物指定地域は、 200ヘクタールの海域と陸地で、海域内では釣り等の 遊漁が禁止されているのだと。 誕生寺入口には巨大な「蘇生願満の大灯籠」が。 「大本山 誕生寺」 と刻まれた石碑。
総門。 総門の正面の彫刻は見事。 いろいろな千社札(せんしゃふだ)が貼られていた。 総門を潜るとその先の参道両側にも石灯籠が。 そして古木の松も。 誕生時 案内図。 誕生水井戸。 総門と仁王門の間には誕生水井戸が。日蓮が産湯に使った井戸とのこと。 貞応元年(1222年)2月16日、午前11時〜午後1時の間に日蓮は生まれた。 その際、周辺ではにわかに清水が湧き出したと。生家は江戸時代の大地震により 海没してしまったが、現在地に誕生寺が再建されると、当地にも清水が湧き出したと。 井戸枠や石柱は寛永十年代(1633〜1642)に造られたもの。 高僧には井戸や清水にまつわる逸話が多くあるが、日蓮も同様と。 鎌倉にも鎌倉入りした日蓮が喉の渇きを覚えると水が湧き出たという日蓮乞水が残されている。 誕生堂 日蓮聖人御幼像の奥から道を上ると誕生堂が。誕生堂には日蓮の幼い像が安置。 小型の坐像であり、帯刀していると。日蓮の両親は近くの妙蓮寺に墓地があるが、 誕生堂にも両親が祀られているのだと。誕生寺では、日蓮聖人誕生の聖日である 2月16日に聖人の誕生を記念し、報恩感謝のため誕生会大法要を行うと。 この法要で中心となる行事がご幼像の徒御(とぎょ)です。普段は誕生堂にお祀りされている ご幼像が、聖人のご両親のお墓がある妙連寺から、誕生の聖地である誕生寺まで輿に乗り 大勢の僧侶や信徒を従えて行列するのだと。誕生寺にふさわしい法要。
そしてさらにその上方に見えるのが太田堂。この堂は、法華経の信仰者を守護する 太田稲荷大明神を祀っていると。 太田稲荷大明神とは、「太田家の守護神であるところの稲荷大明神」ということ。 この太田家は、江戸城を初めて築いた、有名な太田道灌の出た家で、 もとは丹波国太田郷(京都府亀岡市)から出た清和源氏の流れをくむ武家とのこと。 仁王門。 総門を入ると大きな「小湊山」の額がかかる立派な仁王門が見えて来た。 この仁王門は宝永3年(1706)に建立され、平成3年(1991年)に大改修された。 千葉県指定文化財となっている。間口8間。宝暦年間の大火の際焼け残った最古の建造物。 「小湊山」と書かれた扁額。 両側の仁王尊は上総の仏師松崎右京大夫法橋作。 阿形仁王像。 吽形仁王像。 仁王門から総門方面を振り返る。 境内案内図。 波除け宝塔。 「三須安五郎翁」と刻まれていたが、どの様な人物か不明。 日蓮聖人五百遠忌報恩塔(左)。 塔身の正面には南無妙法蓮華経のお題目に続いて「日蓮大菩薩」と。 祖師堂への参道。 鯛塚。 日蓮誕生の時に起こった三つの奇跡、三奇瑞の一つ、妙の浦(鯛の浦)の鯛を供養する墓。 日蓮がうまれた時、生家の前に広がる海に轟音とともに五尺(1m50cm)以上もある 雄雌二匹の鯛が飛び跳ねたと。その後もお七夜の日まで毎日やってきて聖人の誕生を 祝ったといわれている。妙の浦の鯛は、聖人の化身とか使者であるといわれ、 昭和42年(1967年)には特別天然記念物に指定され、現在でも禁漁が守られ大切に 保護されているのです。 道標「従是 日蓮聖人生誕700年記念碑。 建立された年次は、やはり裏面に「紀元二千五百七十九年、聖誕六百九十八年、大正八年 十一月十二日建之」とあり、生誕700年正当の2年前大正8年(1919)の御会式の日。 彫刻は「横浜中島忠次郎」と。 仁王門を抜けると右側に鐘楼が。 鐘楼は文化年中の建立と伝えられていると。現在の梵鐘は昭和二十四年に作製されたもので、 以前の梵鐘は昭和7年に戦争によって供出されてしまい残っていないと。 忠霊塔。 日蓮聖人御幼像。 仁王門と祖師堂の間には、日蓮聖人ご幼像が。昭和10年(1935年)に建立。 日蓮聖人は、貞応元年(1222)2月16日、小湊片海の地に降誕。 その時、庭先から泉が湧き出し産湯に使った「誕生水」、時ならぬ時に浜辺に青蓮華が咲いた 「蓮華ケ渕」、海面に大小の鯛の群れが集まった「妙の浦」という不思議な「三奇端」が 伝えられているのだと。 聖人は幼名を善日麿といい12歳までこの地で暮らした。文永元年(1264)聖人は母梅菊の病を 祈願し蘇生させる。延命した母梅菊はそれを記念し、「菩薩荘厳堂」を創建。その後直弟子 日家上人が建治2年(1276)10月、聖人生家跡に一宇を建立し高光山日蓮誕生寺と称したのが 当山の始まり。 水屋。 仁王門から祖師堂への参道の中程右側に、鐘楼のように四方吹放ちの建物が。 中央には、常に清水が一杯に張られた石造の大きな水盤が据えられ、数本の柄杓と手拭 が備えられていた。 祖師堂。 10年の歳月をかけて弘化3年(1846年)に完成。 日蓮宗では日蓮聖人像を安置する祖師堂は最も神聖な場所。 生誕地の祖師堂にふさわしく総欅造り雨落ち18間4面、高さ95尺(約29m)という立派な建物。 祖師堂の彫刻も見事。 正面の懸魚の飛龍と向拝の龍は石川鉄五郎作。 ご朱印を頂きました。 中央の朱印は「小湊山」、右上は「日蓮大聖人御誕生霊場」、左下は白抜きで「大本山誕生寺」。 「蘇生延寿」の墨書は、文永元年(1264)日蓮聖人が父の七回忌と病の母の見舞いを兼ねて 鎌倉より帰郷した際、すでに息絶えていた母のために祈祷されたところ、たちまち法華経の 功徳現れて蘇生したのみならず、4ヶ月の寿命を延ばされたことに因むのだと。
宝物館。 平成元年正月に新築開館され、面積366m2。常設展示・特別展示室に分れ、日蓮聖人御真筆、 歴代の墨蹟、里見家、清正公、水戸光圀公等の遺墨、明治御皇室よりの拝領品、 日蓮聖人御一代伝記画十八枚等を展示。
瑞応殿。
八大龍王の碑。 八大龍王は、天龍八部衆の一つである龍族の八王のことで、難陀(なんだ)龍王・ 跋難陀(ばつなんだ)龍王・娑伽羅(しゃから)龍王・和修吉(わしゅきつ) 龍王・徳叉迦(とくしゃか)龍王・阿那婆達多(あなばだった)龍王・魔那斯(まなし)龍王・ 優鉢羅(うはつら)龍王をいい、法華経の守護神。 龍王堂。 龍王堂には法華経の守護神である八大龍王が祀られている。 八大龍王は仏教を守護する天龍八部衆の一つである龍族。 龍王堂では、正月、5月、9月の18日に八大龍王の縁日として大祭が行われると。 駐車場に戻る途中に宝塔が。 祖師堂の裏にある本師殿宝塔は、昭和63年の完成で、総高26m、塔体は印度砂岩の切石貼り。 内陣に総高3mの釈迦牟尼仏こと釈尊像を安置。 祖師堂の裏、道を隔てた裏手に本堂と客殿がある。
我が実家の宗派は日蓮宗であるが、亡き父母が日蓮宗総本山身延山久遠寺や 都内の池上にある日蓮宗の大本山・池上本門寺に何度となく詣でた事は記憶しているが、 この千葉小湊・誕生寺への参拝についてはあまり記憶が無いのであった。 しかし信仰心の厚い父であったので、必ずやこの日蓮生誕の地・誕生寺を 訪ねていた事は間違いないであろう。
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旅友Sさんの推奨の場が載っておりませんでしたね
(2017.06.03 11:54:37)
三須安五郎さん、私の母方の
高祖父です。 昔、祖母と母のに千葉の誕生寺に 貴女のひいひいお爺さんの碑が あるんだよと言われたの思い出し、 「誕生寺 三須」と調べたらヒットしたのでビックリしました(笑) 東京の神田の人が何故、遠い 誕生寺に碑があるのか不思議 なんですよね。 (2019.02.20 02:51:45) |