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カテゴリ:国内旅行
旧岩崎邸に向かい歩いて行くと左手に不忍池そして弁天堂が。
私はユリカモメ? 弁天堂の先に東京スカイツリーの姿も。 そして旧岩崎邸庭園入口に到着。 坂を登っていくとチケット売り場に。 この日は旧岩崎邸洋館は外装工事中であった。 中央外面は足場パイプと養生シートに覆われていた。 工事前の外観が解る写真も掲示されていた。 明治29 (1896) 年に造られた三菱財閥第3代社長の岩崎久彌氏の旧本邸。 かつては今の3倍位の約1万5千坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいたとのこと。 現在、洋館と和館大広間、撞球場、庭園が残っており、国の重要文化財に指定されている。 洋館の1&2Fの間取り図そして和室、撞球室の位置図。 正面玄関から洋館1Fに入る。 大食堂はビデオシアターになっていた。 大食堂の暖炉。 この様な暖炉がいろいろな部屋に。 ホール。 立派な細工の入った柱と階段。 ちなみに、この建物には『直線』は存在しないとか。 ミリ単位の曲がりやむくりをいれて立体感をより出すように工夫する技法。 階段ホールの飾り柱。 客室。 1階テラスのミントンのタイル。 19世紀に品質の良さや種類の豊富さから建築用の材料として重宝されたらしい ロンドンのウエストミンスター大寺院やイギリスの国会議事堂 アメリカはワシントンの国会議事堂でもミントンのタイルが使用されていると。 ちなみにミントンのタイルは公共建築に使われることがほとんどで 私邸に使われた例は現在のところ二代目ミントン社長邸とこの旧岩崎邸だけらしい。 旧岩崎邸の煉瓦塀修復の際に偶然このタイルと同じものが土の中から見つかり その裏側にミントンの印があったことからミントン社製と判明したそうだ。 婦人客室。 婦人客室の天井と照明。 サンルーム。 サンルームには「岩崎久彌と岩崎家の人々」と題して岩崎家家系図が示されていた。 サンルームから撞球(ビリヤード)室を見る。 1F書斎。 書斎の天井と照明。 地下への階段入口。 この階段を下りると撞球室に繋がる地下連絡通路があるのであろう。 2Fへの階段。 2Fホールの天井。1Fに較べてシンプル。 2F客室。 2階客室の金唐革紙の壁。 金唐革紙とは、和紙に金属箔(金箔・銀箔・錫箔等)をはり、版木に当てて凹凸文様を打ち出し、 彩色をほどこし、全てを手作りで製作する高級壁紙。 金属箔の光沢と、華麗な色彩が建物の室内を豪華絢爛に彩っていた。 2F客室から撞球室を見る。 2階客室 テーブルと椅子 この部屋は、婦人が好むようイスラム風に造られていると。 版木ロール。 金唐革紙の製造に使うと。これに湿した和紙をのせ、刷毛で叩きつけることで、 紙に凹凸の模様がつけるのだと。円筒型になっていることで、連続模様がつけられると。 庭園側の客室。 広大な芝庭園。 洋館南側のベランダには列柱が立ち並んでいた。 イオニア式であると。 2Fホール。 2Fホールから婦人客室側を見る。 洋館のトイレは2階。 階段を上がり、廊下を西に進んだ小階段の先に。 小用トイレ。 小便器の陶器には、英国の陶器メーカー「ドルトン(現:ロイヤル・ドルトン)」社のロゴが、 今も消えずに残っているのだと。 洗浄はタンクから吊るされた長いクサリを引っ張るタイプ。 洗面台。 階段を下り1F和室に向かう。 玄関入った所にある暖炉。 建築様式は、全体的にはイギリスのルネサンス様式が基調となっていますが、 装飾はジャコビアン様式の装飾が施されている。 このジャコビアン装飾は、‘装飾の末端がツルを巻く様に施されているのが特徴で、 暖炉や窓の上部・天井・階段などに見られると。 洋から一転して和の住空間へ。 洋館と結合された和館は、書院造りを基調にしている。 完成当時は建坪550坪に及び、洋館を遥かにしのぐ規模を誇っていた。 現在は、洋館同様冠婚葬祭などに使われた大広間の1棟だけが残っている。 施行は大工棟粱として、政財界の大立者たちの屋敷を数多く手がけた大河喜十郎と 伝えられている。 庭の石灯籠。 和館の玄関のステンドグラス。 近代日本画の育ての親・橋本雅邦の板絵とのこと。 和館と洋館をつなぐ廊下は畳敷きで、天井は船底を逆さまにしたような特徴的な形。 正面の壁には薄っすらと絵が描かれていた。 橋本雅邦作「富士と波」。 書院造りの床の間には違い棚が。 庭に降りて和室を見る。 出口は和館の大広間の濡れ縁から。 広い障子&ガラス扉が上下2段。内部も長い1枚板の天井、桟も全て面取りしてあり 芸術作品の如し。 庭にも巨石が散りばめられていました。 洋館南面を芝庭から。 1Fと2Fの列柱の柱をよく見ると同じでは無いことが判るのであった。 1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式であるとのこと。 撞球室。 撞球場(ビリヤード場)は洋館と地下通路で繋がっていると。 私的な迎賓館の役割を果たした洋館とこの撞球室(ビリヤード場)は、 鹿鳴館などで知られる建築家のジョサイア・コンドルが設計。 撞球=ビリヤードであることを初めて知る。 ビリヤードの家の外観、日本では珍しいスイスの山小屋風。 撞球室内部。 校倉造り風の壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、 アメリカの木造ゴシックの流れを組むデザイン。 内部には貴重な金唐革紙の壁紙がここにも貼られていた。 撞球室正面のベンチにしばし座り、芝庭園そして洋館を見る。 撞球室裏の牡丹の花。 そして旧岩崎邸の出口付近の右手の袖塀(門や建物の脇に設けられた低い塀)には、 高知県の生家にもあった岩崎家家紋の「重ね三階菱」が。 旧岩崎邸庭園園地整備工事が行われていた。 園地拡張部・旧池之端文化センター跡地の整備工事を実施中。重要文化財である 旧岩崎邸庭園の保存管理と活用効果を高めるため、芝庭の復元(拡張)を図っていると。 財閥と呼ばれた名門一族の暮らしぶりを体感できただけでなく、ジョサイア・コンドルが こだわった建築デザインや細かな職人技など、当時の建築技術の粋にも触れられた 今でも『生きている』邸宅なのであった。 もう一度宝探しのように隅々の装飾までゆっくり楽しんでみたいと感じたのであった。 この後、アメ横を散策し、上野駅からこの日の宴が開かれる五反田駅近くに向かったのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.04.29 20:26:43
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