JINさんの陽蜂農遠日記

2019/11/02(土)17:50

四国八十八ヶ所お遍路の旅・2回目(その10):蘇家神社、遊子水荷浦の段畑

四国八十八ヶ所お遍路の旅(63)

観自在寺参拝の後は、旅友Sさんが「蘇家神社(そがじんじゃ)」に行こうと。 「蘇家神社」は昨年のNHK「にっぽん縦断こころ旅」で、火野正平、が訪ねた神社であると。 そして「手すりも途中の踊り場もない185段の石段」を登るのだと。 宿毛街道を戻り10分ほど走ると深浦の海岸線に出た。 ​​ そして風光明媚な深浦の海岸沿いを走る。 そして直ぐに蘇家神社前に到着。 朱の鳥居と急な階段が見えた。 ​​ 観自在寺から蘇家神社までの走行ルート。 ​​ ​​ 駐車場に車を止め、蘇家神社を目指す。 ​​ ​​ 蘇家神社の狛犬(左) ​​ ​​ 蘇家神社の狛犬(左) ​​ ​​ そして目の前に「手すりも途中の踊り場もない185段の石段」が姿を現す。 ​​ ​​​​ 覚悟を決めて185段の階段を登り始める。 ​​11月3日の秋祭り時にはこの石段をお神輿が降りてくるのだと。 ​​ ​​ 振り返ると、後ろから旅友のSさんの姿が。 ​​高所恐怖症にめげずに頑張っていた。 ​​ 途中までは階段の数を数えながら登って行ったが・・・。 階段の終わりが見えたと思って足早に登っていくと、階段はカーブしてまだ先にも。 ​​ ​​ そして蘇家神社が見えて来た。 ​​ ​​ そして185段の階段を登り切り蘇家神社に辿り着く。 ​​ 大同年間、全村鎮護の神として相州鎌倉より勧請し当山山頂に創建したが、 天正7年(1579年)9月に元社地に奉遷する。 貞享元年(1684年)9月社殿を造営、元禄2年(1689年)3月鳥居を建立、 宝永5年(1709年)8月御荘郷五十一社制定の一社となる。 享保9年(1725年)9月社殿を改築、文化9年8月本殿を造営し 慶應元年(1865年)11月に霧囲、本殿、中殿、拝殿を造営。 昭和3年(1928年)11月御大典を記念して再び社殿を山嶺に奉遷した。 ​​ 蘇家神社 社内。 ​​祭神は蘇家大神(そがのおほかみ) ​​ ​​ 御大典記念遷宮碑。 ​​ ​​ 恵美須神社(事代主神)。 ​​ ​​ 本堂の奥にあった金比羅宮。 ​​ ​​ そして10分弱滞在の後に転げ落ちぬように慎重に階段を下る。 ​​朱の鳥居が陽光に輝いていた。 ​​ ​​ 火野正平はこの辺りの食堂で食事をしたとのことであったが、 我々は道を急いだのであった。 ​​ ​​ ここ深浦港の周辺の愛南町深浦から西海地区でマグロ2万匹の養殖を 行っているのだと。 ​​ ​​ 蘇家神社を後にし、宿毛街道を宇和島に向かい北上する。 ​​ ​​ 南愛媛風力発電所が前方の山の上に。 ​​宇和島市の南端、観音岳を中心とした尾根沿い標高500~600mに位置する発電所。 ​​ 内浦沿いを北上する。 正面に見えるのは由良半島。 ​​ ​​ 本マグロの養殖場であろうか? ​​ 嵐坂ポケットパーク、風園の案内表示。 ドライバー、通学生、遍路さんなどの休憩施設として、津島中学校生徒と地元住民で 公園計画をまとめ24時間利用できる公衆トイレと駐車場(大型車用2台分・普通車用16台分・ 身体障害者用2台分)があるのだと。 ​​ 宿毛街道の桜を楽しみながら進む。 桜の下に芳原川が流れていた。 ​​ ​​ 宿毛街道から宇和島道路(無料区間)へ。 「ようこそ下波へ」の看板。 下波村(したばむら)は、1958年まで愛媛県の南予地方の北宇和郡にあった村である。 宇和海に突き出した三浦半島(蒋淵半島)の基部西側に位置し、宇和海に面している。 宇和海村(うわうみむら)の成立によって自治体としては消滅し、その後の編入合併で 現在は宇和島市の一部となっている。 ​​ そして前方に目的の「遊子水荷浦の段畑(ゆすみずがうらのだんばた)」の姿が。 ​​ ​​ 蘇家神社から遊子水荷浦の段畑への走行ルート。 ​​水荷浦が位置する三浦半島の周辺は多島海・溺れ谷などから成る顕著なリアス式海岸で、 急峻な丘陵斜面と深い海域から成る独特の地形を持つのだ。 ​​ 「耕して天に至る」と形容される段々畑。幅・高さとも1メートルほどの石垣がはるか山頂まで 続いていた。急な山の斜面を人々が苦労してきり拓いてきた歴史の重み、壮観な造形の美に 圧倒されるのだ。水荷浦の段畑は、眼前に広がる宇和海の美しさもあいまってまさに絶景。 「日本農村百景」などに選ばれており、平成19年7月には全国で3例目の「国の重要文化的景観」に 選定された。 また、この景観保持の活動を続けている「段畑を守ろう会」も、平成15年3月末に 「ふるさと愛媛創造賞」を受賞していると。​​ ​​ 上段への移動は梯子を利用している様であった。 水荷浦は、起伏に富んだリアス式海岸に突き出た岬の斜面に、城壁のような石垣が幅1m、 高さ1.5m前後の段々畑を形成し、標高は高い所で約60m、平均勾配が約40度で、そ の段数は50段余を数えるのだと。 江戸時代終わり頃にサツマイモ栽培で段々畑化し、明治時代末から大正時代にかけて、 養蚕経営でサツマイモから桑へと切り替わり、養蚕で得た収入で石垣化が行われ、 現在NPO法人「段畑を守ろう会」が設立され、景観保持・環境保全しつつ早堀り馬鈴薯の 栽培を主要作物とし、営農を持続的に行っていると。 ​​ ​​ だんだん茶屋と段畑。      食事処(地元の新鮮な野菜・魚を使った食事)であるが、生憎この日は水曜日で休みであった。 ​​ ​​​​ ​​ 8月には段々ライトアップ(夕涼み会)が開催されると。 ​​​​​​​​ ​​ NPO法人 だんだん屋 段畑を守ろう会 事務所。 ​​ ​​ 遊子水荷浦の案内図。 毎年4月には山すその海岸沿いで「だんだん祭り」が開催されるののだと。 ​​ ​​ 段畑を守ろう会 事務所内にあった段畑の水彩画。 ​​ ​​ こちらは上空からの写真。 ​​ 更に車で狭い山道を進み遊子水荷浦の段畑の裏側まで行ってみる。 ​豊後水道に浮かぶ数々のマグロの円形養殖場が。 ​​ ​​ 復路で車を降りて、段畑のジャガイモ栽培を見る。 ​​ ​​ 水が浦鼻の防波堤には釣り人の姿が。 ​​ ​​ そして帰路に再び遊子水荷浦の段畑を。 ​​                   ・・・​​つづく​・・・

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