JINさんの陽蜂農遠日記

2019/11/02(土)17:53

四国八十八ヶ所お遍路の旅・2回目(その16):見奈良・菜の花まつり、51番・石手寺

四国八十八ヶ所お遍路の旅(63)

翌朝(3月29日(木))四国八十八ヶ所お遍路の旅4日目、ホテルを6:00に出発し 東温市(とうおんし)の見奈良 ( みなら ) ・菜の花まつりの会場に向かう。 折しもこの日の朝日が目の前に。時間は6:18。 ​​ ​​ この日も快晴。 ​​ ​​​​ 菜の花畑の前の「坊ちゃん劇場」の駐車場に車を駐め【 見奈良 菜の花まつり】会場へ。 ​​1万5千平方mの菜の花畑に、約200万本の菜の花が満開で咲き誇る圧巻の「菜の花の海」が 広がっていた。 ​​ ​​ 【 見奈良 菜の花まつり】は3/10(土)~4/15(日)までの開催。 ​​ ​​ 菜の花畑の先には松山自動車道が。 ​​ ​​ 一面に広がる金色の菜の花畑は特に美しい春の風景。 ​​ ​​ 早朝の為か、ミツバチの羽音や姿は確認出来なかった。 ​​ ​​ 鮮やかな色と菜の花の香りが。 ​​ ​​​​ パノラマ撮影してみました。 私のカメラではズームでのパノラマ撮影は出来ないのです。 ​​ ------------------------------------------------------------------------------------------------------ ​​​​51番札所:石手寺(​​​​​​​​​​​​​​​いしてじ)​​​​​​ ​​短い時間であったが菜の花畑を満喫した後は、県道40号線を戻り、前日通った 久米八幡神社前を再び通過。 ​​ ​​ 石手寺 弘法大師像が車窓から見えたのでズームで。 ​​ 県道317号線沿いの駐車場に車を駐める。 「​世界一立体曼荼羅皆一緒大楽仏​」というものらしい。 1年ほど前ここにマンション建設計画があり、石手寺が建設反対の幟を立てていたと。 それがいつのまにか敷地が石手寺の駐車場になっていて、多くの石仏が並んでいた。 石手寺はとても「お金持ち」なのだと、ネット情報から。 ​​ その時は美しい仏像であると思い、カメラを向けたのであったが。 ​​ ​​ この仏像も。 ​​ ​​ ホテルから見奈良・菜の花まつりそして51番・石手寺までの走行ルート。 ​​ 入口には山門もなく、​​「渡らずの橋」から境内へ。 ​​​​ ​​ 境内 配置案内図。 「県道より伝説の残る渡らずの橋、衛門三郎像の横を過ぎ、両脇に露店の並ぶ回廊を行くと 山門に至る。くぐると、右に茶堂・納経所、左に鐘楼があって、その先に阿弥陀堂がある。 正面奥に進んで一段高い位置に石段を上ると本堂が建つ。 本堂の右に絵馬堂あり、その先に大師堂が並ぶ。本堂大師堂の背後にある山には マントラ洞窟といわれる洞窟があり、本堂左後方に入口があり大師堂の裏に出口がある。 大師堂右側には訶梨帝母天堂(祠)があり、石段を下りるとその右に三重塔が、 左に一切経堂、護摩堂、弥勒堂が並ぶ。ここから左奥に入ると宝物館、大講堂がある。」 ​​ 「南無大虚空蔵主」碑。 ​​ 朝日を浴びて黄金色に輝く大師像。 ​​​​ ​​ 龍にのった観音様は、龍頭観音。 ​​ ​​ ​​入るとすぐに土産や食事ができる店が並んでおり、このような長い屋根付きの回廊が。 奥の方には両側にお遍路グッズなどを販売している出店や屋台が並んでいたが、早朝の為か 未だ開いている店は殆ど無かった。 ​​ ​​ 衛門三郎像。 遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺であると。 ​​ 入口には仏像が所狭しと並んでいた。 色っぽい天女像? ​​ ​​ 八幡大菩薩絵 ​​​​ ​​ 伊予13佛霊場第5番札所、地蔵院の山門。 ​​ ​​ 石手寺 案内図が毛筆で精緻に描かれていた。 ​​ 仁王門。 ​​仁王門は国宝で、高さ7m、間口は三間、横4m、文保2年(1318)の建立、 二層入母屋造り本瓦葺き。 ​​ ​​​​ この仁王像は、鎌倉時代後期の湛慶の作と伝わっているのだと。 仁王阿形像。 ​​ ​​ 仁王吽形像。 ​​ ​​ 大草離。 ​​ ​​ 仁王門前左の恵比寿像?しかし釣り竿を持っていないので?? ​​その後ろに何故か「集団的自衛権 不要 不殺生祈りの会」の大看板が。 ​​ ​​ 伊予七福神像。 ​​ ​​ 三重塔。(重要文化財) ​​ ​​ 弘法大師像。 ​​ 鐘楼。 「建長3年」(1251)の銘が刻まれた愛媛県最古の銅鐘。 ​​ ​​ 昭和6年(1931年)11月3日、与謝野寛・晶子夫妻は石手寺に参拝していると。 晶子の歌碑「伊豫の秋 石手の寺の香盤に 海のいろして 立つけむりかな」。 ​​ ​​ 石手寺裏の東山山頂に巨大な弘法大師を再び。 弘法大師没後1150年を記念して、昭和59年に建立。高さ16M   顔の長さは2.4M。 姿は、遣唐使として西安に行った31歳の頃のもの。体は西安を、顔は天竺を向いていると。 ​​ ​​ 鐘楼を正面から。 ​​ ​​​​ 阿弥陀堂。 二王門を入って左側にある阿弥陀堂はぼけ防止の祈願者が多く参拝するスポットとして有名。 ​​​​​​ ​​ 本堂(重要文化財) 「寺伝によれば、神亀5年(728年)に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が 夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。これは聖武天皇の勅願所となり、 天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置して開基したという。 創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗であったが、弘仁4年(813年)に空海(弘法大師)が 訪れ、真言宗に改めたとされる。寛平4年(892年)河野氏に生まれた子どもが石を 握っていたという衛門三郎再来の伝説によって石手寺と改められた。 河野氏の庇護を受けて栄えた平安時代から室町時代に至る間が最盛期であり、 七堂伽藍六十六坊を数える大寺院であった。 永禄9年(1566年)に長宗我部元親による兵火をうけ建築物の大半を失っているが、 本堂や仁王門、三重塔は焼失を免れている。」 ​​ ​​​​ 熊野山 虚空蔵院 石手寺(くまのさん こくうぞういん いしてじ) 宗派:真言宗豊山派 本尊:薬師如来 創建:(伝)天平元年(729年) 開基:(伝)行基、聖武天皇(勅願) 所在:愛媛県松山市石手2丁目9-21” 本尊真言:”おん ころころ せんだりまとうぎ そわか” ​​ 本堂内部。 ​​​​ 納経堂。 堂内部。 ​​ ​​ 納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。 ​​ ​​ そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました 。 ​​ ​​ 様々な効能のある石が納められている堂。 ​​ ​​ 大きな輪の除罪苦与楽輪くぐり、そしてその奥に元気再生石。 ​​ ​​ 「マントラ洞」入場門。 ​​ ​​ 修行大師像。 ​​ ​​ 元気再生石。 衛門三郎の罪と再生の伝説にちなみ、石を1つ持って帰って、1年したら改心と復活をし、 7つ添えて8つ返す。七転び八起きの石 ​​ ​​ 訶梨帝母天堂。 この堂の周りに落ちている石を妊婦が持って帰ると安産祈願になると。 そして無事に出産すると石を2つにして返すというお礼参りの風習があるのだと。 ​​ 茶堂大師。 この堂の大師像は絶対秘仏で住職も見たことがないと。 堂の前の香炉には線香を奉納した煙が絶えない名所。 ​​ 本堂前より境内。 正面に仁王門、左に茶堂。 ​​ ​​ 絵馬堂。 ​​ ​​ 絵馬堂内部。 ​​ ​​ 大師堂。 ​​石手寺の大師堂には落書き堂という別名が付けられていると。 これはかつて夏目漱石や正岡子規など多くの名士が落書きを残していたことから付けられた。 ただし壁は第二次大戦中に塗りなおされていると。 ​​ ​​ 三重塔(重要文化財)。 ​​ ​​​​ 三重塔地上部。 ​​四国88ケ所のお寺にお参りしたのと同じご利益があるといわれる「お砂撫で」も できるようになっていた。 ​​ ​​ 鐘楼 国の重要文化財。鎌倉時代。全国でもめずらしい建造物。 ​​ 子育地蔵尊。 ​​ 参道脇の歌碑。 「やま知古えて 一人由希登 主の手にす加れる 身ハ安介志」 西村清雄。 ​​ ​​多くの国宝、重文がありながらも、何故か他の遍路の寺とは雰囲気が違う寺であった。 この二面性はもちろんだが、それ以上に、全体にサービス精神にあふれているのであった。わかりやすく仏教の教えを説いたり、仏の一生を説明したりと、仏教というものを真剣に 教えようという姿勢を感じたのである。 また国宝の仁王門の前に「集団的自衛権 不要 不殺生祈りの会」の大看板が。 時間の関係で見られなかった仏堂もあり、住職の熱き思いをゆっくりと 聞いてみたかったが・・・・・。                                              ・・・​つづく​・・・

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