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カテゴリ:海外旅行
3日目の朝も早朝起床。
ホテルの我が部屋からの朝の太陽。時間は5:32。 雲もほとんど無く快晴に近いものの、霧がかかった如しの光景。 やはりこの日の北京の街は光化学スモッグで覆われているのか? 6:30からの朝食。 ホテルの1Fのフロントスペース。 バスに乗り7:15に最終日の観光に出発。 バスからの宿泊したホテル・北京美泉宮飯店を。 西4環北路と阜成路とのジャンクション付近。 先には高層アパートが並んでいた。 そしてこの朝も渋滞に巻き込まれる。 座席の最後部のカーテンの隙間から。 街中には緑と花が。 「北京北站」の文字が。 北京北駅は中華人民共和国北京市西城区西直門外に位置する中国国鉄の駅。 2016年11月1日から当面の間は休止中であるとのこと。 北二環道路を走る。下の道路は西夏門北大街。 街中には既に車が溢れていた。時間は8:25。 鼓楼とその先にあって見えない鐘楼。併せて鐘鼓楼と呼ぶ。。 明の時代、1420年に建てられたが、火災などもあり、1749年、清の時代に改築されたもの。 元、明、清と三代にわたって北京の人たちに時を告げつづけた場所、それが鐘楼と鼓楼。 鐘はゴーンという鐘、鼓はドン、ドン、ドンという太鼓。 この北京鐘鼓楼文物保管所、故宮の北、北海公園に近いところに建つ鐘鼓楼。 北京の子午線とも言うべき「中軸線」の南端は永定門、そして北端がこの鐘鼓楼。 鼓楼は1420(明の永楽18)年と1800(清の嘉慶5)年に大規模な修復を受け、 現在の建物は東西55.6m、南北34m、高さ31mの威容を誇る。 そして鐘楼とはその名の通り鐘がある塔。木造の鼓楼とは対照的にレンガ造りの建物。 前海沿いを走る。右手に金锭桥(金錠橋、Jinding Bridge)。 胡同(フートン)と呼ばれる細い路地の残る地域に、昔ながらの家並みが再現されいた。 胡同は元・明・清の時代の古い平屋の街並みで、再開発前の北京の市民生活の姿。 再現以外の部分も含めて、周囲には中国のイメージ通りの街並みが残っていた。 景山公園山頂に建つ万春亭が見えた。 年配の男女が踢毽子(羽根蹴り、蹴羽根)をやっていた。 蹴鞠ではなくて代わりに中国語では、Jian Zi (ジェンズ、毽子)と言い、羽根突きの羽根の 4−5倍ぐらいのものを蹴る遊び。Jian Zi (毽子)を蹴ることを踢毽子( いうと。 1980年代、「毽球」とよばれるチーム競技のルールが整備され、1987年に中国毽球協会も 立ち上げられた。毽球はバトミントンに似た大きさのネットで仕切られたコートを使って競技する。 チームの人数は3人で、ネット越しに相手の陣内に蹴りこむ事を目的とする。 自陣内では4回まで蹴ることができる。ゲームは15点を先取した側が勝つ。 足を使うため、バドミントンというよりはセパタクローによく似た競技になっていると。 羽のJian Zi (ジェンズ、毽子)。 下部に蹴ると音が出る仕掛けが。 清朝第13代に当たる愛新覚羅恒珏(あいしんかくらこうかく)氏が 書と絵実演販売を行っているというアトリエを訪問。 アトリエ入口の門には何故か「景山牡丹特色商品展賣」の看板だけが。 景山公園は元の時代より牡丹栽培を開始しており、今や北京最大の牡丹観賞園であり その時期には牡丹の花や苗が展示、販売される場所なのであろうか? 店に入ると清王朝崩壊の歴史の説明の後 清朝皇族の愛新覚羅一族の末裔であるという 愛新覚羅恒珏(あいしんかくらこうかく)氏の書道実演。 販売用掛け軸の説明。 説明に熱の入る秘書?。 今日は「たまたま」!!愛新覚羅恒珏氏がアトリエに来たので、我々は氏に会えて 非常にラッキーである、との説明に力が入っていたのであったが??。 「福壽康寧」の意味は「幸福・長寿・健康そして心や社会の安寧を祈る」というもの。 (康寧=平穏無事であること、福寿=幸福で長命であること)。 氏の絵画。 愛新覚羅恒珏氏。 満州族であり、漢民族名字が関維霖で,1941年に北京で生まれた。清王朝皇室の末裔で、 清太祖ヌルハチの十三代目の嫡孫であり、聖祖康熙帝(玄燁)の第二子胤礽直系の九代目子孫で、 法名は妙霖居士であると。 系譜。 愛新覚羅家は清の皇帝として、267年間を統治しており、11代目の愛新覚羅溥儀氏が 1911年に退位するまで続いた。愛新覚羅家は現在200名ほどいるが、そのほとんどは 天津に住んでいるのだと。 最後の皇帝である愛新覚羅溥儀氏には子供はない。溥儀氏の弟である溥傑氏は、 1937年に明治天皇のいとこである嵯峨浩さんと結婚し、二人の娘のうちの慧生さんは 無理心中をして伊豆で亡くなっているが、もう一人の娘である嫮生さんは現在も 神戸におられるとのこと。溥傑氏は1994年に亡くなっている。 清の第四代康熙帝の次男で皇后の子の胤礽(いんじょう)がその祖となっているようだ。 この胤礽は皇太子として早くから認められていたが反逆のそぶりありとして結局 廃嫡されている。その末裔が恒珏氏という系図になっているようであった。 その愛新覚羅恒珏氏が、天津に住んでおられるが、週末にはここで 書のデモンストレーションと共に書画の販売をしているとのこと。 愛新覚羅恒珏氏の紹介。 最後の皇帝である愛新覚羅溥儀氏とその弟の溥傑氏の紹介写真がアトリエ(実演販売の店)の 外の壁に。 最後の皇帝である愛新覚羅溥儀氏の説明パネル。 弟の愛新覚羅溥傑氏の説明パネル。 アトリエの前の土産物売り場。 「鎮山玉緑」と書かれた看板が入口に。 アトリエの中庭を再び。 清朝の末裔がこの様な場所でひっそりと書画を売って生計を立てている?、 その物語そのものが幾ばくかのお金を払って手にするのにふさわしい中国土産の ような気がしたのではあったが・・・・。 しかしこのツアーの案内書には、この場所を訪れる事には一切触れられていない理由は 何なのかと大いに気になったのであったが・・・・・・。 そして門やアトリエの入口にも「愛新覚羅」の文字が一切無いのは何故???? 既に訪れた方そしてツアー仲間の感想は如何に?。 そしてバスに乗り王府井に向かう。 バスを降り王府井の散策開始。 王府井(おうふせい、ワンフーチン)とは、北京中心部東城区にある繁華街。 中国の新型有人潜水艦「蛟竜」が展示されていた。 ふと、再び中国と日本の間で海洋資源、特に深海資源をめぐる競争が始まろうと しているのであろうかと。 シチズンの時計塔が象徴的な北京市百貨大楼。 3頭?の牛の銅彫像。 牛は赤みを帯びた青銅だが、綿密に見ると紫、青、赤、緑ですが、その間は色が美しく、 牛には不規則な中空の穴が。ダイナミックなシェイプ、鮮やかな色彩なのであったが。 この牛の展示の目的は? そして「天福茗茶」へ。 中国各地に支店900以上を展開し、中国最大規模を誇る台湾系の茶葉店。 王府井大街に近い北京本店は1200m2の広大な建物で、2階には 茶葉や茶道の歴史を紹介する天福茶文化館を併設している。 龍井茶や烏龍茶など各地の銘茶を扱っており、気軽に試飲することも できたのであった。 お土産に抹茶味のお菓子を購入し、集合場所に戻ったのであった。 そしてバスにて、このツアーの最後の観光地の「天壇」に向かう。 途中、レンタサイクルの片付けの現場が。 レンタサイクルを使いたくなったら、まずアプリの捜索機能を使い、近くにある レンタサイクルをさがし、見つけたらQRコードで自転車のカギを外す。 そして、目的地に到着したら、歩道の自転車置き場に置き、カギをロック、 アプリで使用料を払って、そのまま乗り捨てが出来るのだと。 中国で本格的にレンタサイクルのサービスが始まったのは2016年。 わずか2年弱で70を超える運営会社が進出し、過当競争で値下げ合戦が過熱し、 業界の淘汰(とうた)が既に始まり倒産も始まっているのだと。 ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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