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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.03.29
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カテゴリ:旅行
長い丸石が敷き詰められた旧東海道の急坂を上りつめ、国道1号線に出る。
右側の道を箱根峠に向かって歩く。



前方の「箱根くらかけゴルフ場」への道が旧東海道。



そして再び二股に分かれる場所が前方に。



Iphonesで確認し、右手の道を進む。



三島方面に歩を進める。



県道20号線・湯河原パークウェイ方面に入ってすぐ左側・箱根峠のバス停の横に
あったのが『箱根の親不知(脚気地蔵)』
実の親とも知らずに殺して金品を奪ってしまった不運な親子の供養塔だと。
息子を探して旅に出た父親がここで持病の脚気で倒れて、通りかかった男が
介抱を装って短刀で刺し殺し財布を奪おうとしたら、見覚えがある財布で、親だとわかり
泣き伏した・・・自害を企てたが死にきれずに苦しみ続け山中の宿までたどりつき
相はてたと。



斜面をかき分けて上っていくと直ぐに供養塔を発見。



そして国道1号線に戻り進むと右の斜面に現代の一里塚ともいうべき
新しいモアイ像のような石像群が並んでいた。



2003年に建てられた『新箱根八里記念碑(峠の地蔵)』であると。
地蔵八体にそれぞれ、おしん辛抱(橋田寿賀子)、花見る人は皆きれい(黒柳徹子)
夢に向かってもう一歩(向井千秋)、花は色なり人は心なり勇気なり(桜井よしこ)
細心大胆(橋本聖子)、あと杉本苑子・穐吉敏子・宮城まり子と8人の女性著名人が
名を連ねていた。
箱根旧街道を散策する人々にとって旅のひとときの憩いになればと、8人の現代一流文化人が
街道に寄せる熱いメッセージを埋め込んだ石碑であると。



そして箱根峠を通過し静岡県に入る。



『箱根旧街道入口』方面に右折する。



左手奥に『峠茶屋』が。



左手に箱根旧街道西坂入口があった。
入口には道標 「是より江戸二十五里 是より京都百里」 があり、踏み込むと正面に東屋、
八ツ手観音、井上靖の箱根八里記念碑などがあった。
当時の道しるべの石碑があり、江戸まで25里(約100km)、
京都まで100里(約400km)と。



『箱根旧街道 茨ヶ平(ばらがだいら)』
「慶長九年(1604)江戸幕府は江戸を中心として、日本各地へ通じる五街道を整備した。
中でも江戸と京都・大阪を結ぶ東海道は一番の主要街道であった。
この東海道のうち最大の難所は、小田原宿と三島宿を結ぶ、標高845mの箱根峠を越える
箱根八里(約32km)の区間であり、箱根旧街道とよばれる。
ローム層の土で大変滑りやすい道なので、最初は箱根竹の束を敷いたが延宝八年(1680)に、
幅二間(約3.6m)の石畳に改修された。その他街道整備として風雪をしのぐための並木敷や、
道のりを一里ごとに示す一里塚がつくられた。参勤交代や伊勢参りなど、江戸時代の旅が一般的に
なるとともに賑わった旧街道も、明治二十二年(1889)東海道線の開通や、大正十二年(1923)国道一号線の敷設によって衰退した。
このあたりは、い茨(いばら)が生い茂っているので付近の草原を茨ヶ平(ばらがたいら)という。」



兜石の道標と案内板があった。東屋があるのでひと休み。



『兜石の標柱』
静岡県に入ったここから設置されている『夢舞台・東海道』と題する標柱(道標)で、
この先何回も県内の要所で出会う。旧東海道を歩くハイカーには大変ありがたい道標である。
標柱の真中には名所銘が、左右に付いている板は矢印付の道標で前後の宿境までの里程が
表示されている。
ここの標柱には『箱根関所(箱根関所まで二十七町) ← 函南町 兜石 → 三島宿(宿境まで二里二十七町)』と記されていた。



『兜石』案内板。



奥の石碑に向かう。



箱根峠に近い茨ヶ平に設置された作家井上靖氏の石碑のメッセージは
『北斗闌干(ほくとらんかん)』
「北斗闌干」は北極星が夜空に、さんぜんと輝くさまのことであると。



『八ッ手観音像』



東屋のある広場を出てすぐ背が高い『笹のトンネル』を進む。
笹のトンネルを通り抜けた後も長い下り坂が続く。
笹というよりは竹のように長く、両側から先端が覆いかぶさってトンネル状になっていた。
ここまですれ違う人もいなければ、追い越す人もいないのであった。
ややぬかるんでいる所もあったが、歩いていて楽しいところではあったが・・・。



笹竹のトンネルを抜けて、右が少し広くなった場所の左側に『兜石跡』の碑が建っていた。
碑には『函南町 町指定史跡兜石跡 祝明治百年 昭和四十三年十月二十三日建之』と
刻まれていた。



元々はここに「兜石」があったようですが、昭和初期の国道工事の際に上部を切り取って、
現在の場所へ移したのだと。



霜柱が顔を覗かせていた。



再び国道1号線に出る。



『山中城跡・三島宿 箱根旧街道迂回路』の道標。
国道に出ずに旧街道があるようだが、草や木が生い茂り通行不可のようであった。



1国を下って行く。



『接待茶屋(せったいじゃや)』のバス停の先を右に入る。



この道が旧東海道。



『史跡 箱根旧東海道』の石碑。



「箱根山中における接待の歴史は古いが、創始は江戸時代中期の箱根山金剛院別当が、
箱根山を往来する者の苦難を救うため、人や馬に粥や飼葉、焚き火を無料で施したと伝えられている。
この接待所も一時途絶え、ついで文政七年(1824)、江戸の豪商加勢屋与兵衛が再興したが、
これも明治維新とともに中断してしまった。
やがて明治十二年(0879)、八石性理教会(ハチコクセイリキョウカイ)によって接待茶屋は再スタートしたが、
教会の衰退とともに鈴木家に引き継がれ利喜三郎・とめ、力之助、万太郎・ときらの三代により
接待が続けられた。
鈴木家は昭和四十五年(1970)に茶釜を降ろし、接待茶屋の歴史に終止符を打つまでの約九十年間、
箱根を往来する人馬の救済にあたったのである。
箱根の接待茶屋については、「山中接待所」や「茶屋」などさまざまな呼称がある。
「廣為道友鋳此器永充施行平憩之用」の銘がある著名な茶釜や、「せったい處」「せったい茶屋」の
看板とともに、施業奉仕の跡をしのぶ遺跡として本遺跡は貴重である。」



『せったい茶屋』と書かれた石碑。



小さな祠の下には、『親子像(鈴木とめ・鈴木力之助)』があった。
関心のある方は三島市『​接待茶屋​⬅リンク』を参照下さい。



『接待茶屋一里塚』
ここは江戸から26番目の一里塚。江戸の日本橋から約104km。
実は25番目の一里塚はないのだと。
はっきりとしないのですが、どうやら当時、道がつけ変えられたことから、
このような24番目の一里塚の次は26番目の一里塚という事態となっているのだと。



『徳川有徳公遺蹟碑』
徳川有徳とは徳川吉宗(徳公とは謚名の有徳院から)のことで、紀州公から将軍になるために
江戸へ向かう途中、石割坂(いしわりざか)にあった茶店で休憩をとりました。
その間に、店の主人が馬の世話をよくしたところ、吉宗はその心遣いに 大層喜び、
自ら永楽銭(えいらくせん)を与えたといいます。
それからというもの、代々の紀州公は、参勤交代の際にはこの茶店で休み、
永楽銭で支払うようになったと伝えられています。
またその頃から、この茶店を 「永楽茶屋」と呼ぶようになりました。
これを記念して、この地の観光開発に尽くし富士屋ホテルのコック長を務めた
鈴木源内が昭和10年に建てたのがこの「徳川有徳公遺蹟碑」 であると。



そして『兜石』。



「この石は兜を伏せたような形をしていることからかぶと石といわれている。
また別の説として傍の碑銘によれば豊臣秀吉が小田原征伐のとき休息した際、
兜をこの石の上に置いたことからかぶと石とよばれるようになったともいわれている。
この石は兜石坂にあったものを昭和初め国道一号線の拡幅工事のときこの地に
移したものである。」



『兜石』と刻まれた大きな古い碑石には、カタカナの一部に不鮮明な所があり
正確ではないかもしれないが、次の様に刻まれているとネット情報から。
「兜石
傳ヘ云フ天正ノ昔豊太閤小田原征伐ノ途次路傍ノ小石ニ腰掛ケ兜ヲ脱テ大石ノ上ニ置キ
暫ク憩ヒシコトアリト後人因テ之ヲ兜石ト名ツタ此石即チ是ナリ石ハ奮ト接待茶屋ノ上方
奮街道ノ側ニアリ大正十二年新道通スルニ及ヒ空シク荊刺中ニ埋レ復ク英雄ノ遺蹟ヲ
省ルモノナシ是ニ於テ今茲昭和六年秋新ニ此處ノ移セリ因テ其由ヲ敘ヘ石ニ刻ス
 鈴木源力読」と。



そして前方で二つの道に分岐。



Iphonesで調べてみると、二つの道は先で合流しているので、まずは左の道を進む。



左斜め前に石碑を見つける。



『明治天皇御小休址』と刻まれた石碑。
明治天皇が初めて箱根路をお通りになって、江戸(東京)に下られたのが明治元年10月と。
天皇が京都から江戸へ移るということは、当時の人々にとって考えられないこと。
三島を計4回お通りになったことや、所々で休憩を取られたため、御巡幸記念碑は、
箱根西坂の随所に見受けられるのだと。



明治天皇が、明治元年(1868)に上京なさった時、休憩をおとりになった場所で、
当時は「ビンカの茶屋」と呼ばれた甘酒茶屋があったと。 
ビンカとは、イヌツゲのこの地方の呼び名で、茶屋の脇に植えてあったのだと。



『箱根山組合創設百年記念植林地?』と刻まれた石碑。



                             ・・・​その2​・・・に戻る

                 ・・・​つづく​・・・






Last updated  2019.03.29 07:30:59
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Re:旧東海道を歩く(箱根~三島)その3・箱根町:箱根峠~函南町:明治天皇御小休址(03/29)   オジン0523 さん
正月早々、寒い中ご苦労様でした
(2019.03.30 08:26:25)

Re:旧東海道を歩く(箱根~三島)その3・箱根町:箱根峠~函南町:明治天皇御小休址(03/29)   箱根峠 さん
箱根峠 箱根湯本 (2019.06.15 22:22:49)


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