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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.03.30
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

『明治天皇御小休址』を見学後は来た道を分岐場所まで引き返し
分岐を右に行き『施行平(せぎょうだいら)』の展望台を訪ねる。
石積みの上には大きな石碑が。



『箱根八里記念碑 東山魁夷』。
「青山 緑水」と刻まれていた。



施行平から大きな石碑方面を見る。



見事な富士山の雄姿。



ズームで。



三島市街と伊豆半島と駿河湾。



淡島の姿も。



再び富士山を。



この石碑は?



石畳と左手には篠竹の石原坂を下る。



静岡県に入ると『この先 記念碑有り』が様々な場所に立っていた。



『念仏石』

石原坂を進むと右手に大きな岩がある。



念仏石の手前に南無阿弥陀仏・宗閑寺と刻まれ碑があるが、
旅の行き倒れを宗閑寺が供養して碑を建てたものである。



何故かこんな場所に〒マークが。



旧東海道脇には仮設トイレも。



山中城跡まで1.3Kmの表示が。



旧東海道の案内図が所々に。



大枯木坂・山中城跡方面に進む。



石畳の大枯木坂を下る。



『東海道400年祭 箱根西坂森づくり広葉樹植林地』



植林された広葉樹は葉を全て落としていた。



三島市の山々が下方に見えて来た。



大枯木坂を下ると農家の庭先に出て、突当りを左折する。



国道1号線に合流する。



横断歩道を渡り更に坂道を下る。



国道1号線に合流して間もなく左側に箱根旧街道の道標があり、急な階段を下る。



小枯木坂の石畳が始まる。



『​箱根旧街道 願合寺地区の石畳復元・整備​(☚リンク)』説明パネル。


『山中新田』
石畳道に入って間もなく山中新田の標柱が建っていた。
山中新田は東海道の制定に伴い立場として新設された村で元の場所は元山中の地名で今も残っている。
この近くの石畳道には、発掘調査により石橋が発見されたため、その場所に整備・復元している。



『​箱根旧街道 埋もれていた一本杉石畳​(☚リンク)』説明パネル。



更に石畳の坂道が続く。



そして舗装されたカーブの場所も。



旧街道の道の下には墓石?がポツンと。



再び石畳の道になりしばらく歩くと右手に『雲助徳利の墓』の墓が。
国道1号線に合流する手前に雲助徳利の墓があり、墓石には徳利と盃が陽刻されている。
松谷久四郎という西国大名の剣道指南役が大酒のみのために事件を起こして、国外追放となり、
箱根で雲助の仲間となって世話をしているうちに親分以上に慕われるようになった。
これは生前世話になった雲助が相談して恩返しのために建てた墓であると。



ユニークな模様の墓石。



墓石には徳利と盃が陽刻されていた。



雲助の墓は、もと接待茶屋付近にあったが、現在は山中新田東端の老杉の下にあった。
この墓の主は、久助という人で、なかなか立派な家の出であったといいます。
一説には武家の生まれともいわれ、なかなかの器量人であった様です。
しかし、どのような理由からか一生を人の卑しむ雲助で終わりました。
日頃、頭役となって仲間の取り締まりをしていましたが、困窮の者や若者のめんどうを、
身銭を切ってもしてやりました。これは、雲助だけのことではなく、街道筋の百姓にも同じでした。
ことに、往来の悪者に難くせをつけられて、弱りきっている者を身をもってかばってくれたと。
したがって、仲間の者からも、また、街道沿いの百姓、商人からも厚い信頼を受けていたのです。
彼は、終生酒を愛し、酒を楽しみ、酒の中で一生を終わったといわれています。
その死後、彼を慕う後輩の雲助や土地の人々の手によって作られたのが、通称「雲助の墓」と
いわれるこの墓なのです。
石碑の前面に、大きく杯と徳利を浮彫にして、全体にしゃれた趣を漂わせたこの墓は、
彼の人柄をよく表現しています。往年は、香華の煙の絶えることがなかったといわれています。 



そして再び国道1号線に合流した。
                               


『品濃坂』
旧道は横断歩道橋のところで国道1号線に合流した。
ここには史跡箱根旧街道の標柱。



南無阿弥陀仏碑、三界萬霊塔が建っていた。



                                ・・・その3・・・に戻る

                   ・・・​つづく​・・・






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Last updated  2023.05.24 01:16:20
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