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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.07.17
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カテゴリ:海外旅行
『崇政殿』の左右には、それぞれ『左翊門』、『右翊門』という比較的小さな入口があり
鳳凰殿や後宮へと通じていた。
『崇政殿』の右にあった『左翊門』。



『左翊門』を潜ると左前方には『鳳凰殿』が姿を表した。



『鳳凰殿』は後の自由時間にも訪ねたのであった。



左が『東所』入口門、前方の『東掖門』に向かって進む、
『掖』とは「宮門や宮殿の脇」の意と。



『東所』は乾隆11年~乾隆13年(1746~1748)に創建された建物である。『崇政殿』の東に
位置するため『東所』と呼ばれている。



『東所』入口門から奥を見る。



『東掖門』。



『東掖門』の文字の扁額も。漢字の右横に、同じ読み方をすると思われる満州語が
記されていた。北京の故宮などでも見かけた光景。



ビニデコ(プラデコ)派手な赤い龍飾り 中国飾り(紅龍)も売られていた。



左手奥に『大政殿』(八角殿)。
太祖によって建てられた『大政殿』は、モンゴル族のパオをモデルにした八角二層の建物で、
ここで式典等が執り行われていたと。



『大政殿』の高さは約18m、八角形の建物に八角形の屋根が乗っており、釘を一本も
使用せずに建てられているのだと。
屋根は黄色の瑠璃瓦で、緑の瑠璃瓦で縁取りがなされていた。
屋根の頂点には宝珠があり、そこから放射状に8本の屋脊(隅棟)が伸びていて、その上には
走獣が乗っており、火災や落雷、風水害などから建物を守護する役割を担っていると。
真正面の2つの柱には、それぞれ、頭を高く上げ、爪を振るい、真に迫った金色の竜が
からみついていた。



『大政殿』扁額、左には満文で。



大政殿前には10の小殿が並んでいる『十王亭』があり、ここは大臣達の執務室であり
軍隊の詰め所となっていた。
旗と武器、衣装や壺など当時のものが数多く展示されていた。



大砲の姿も。



『十王亭』配置図。



『十王亭』の一つ『正紅旗亭』を訪ねた。



「大聖殿」と同じ時期に創建され、正紅官吏の事務室で、儀式を準備する場所でもある。」



左が清太祖・ヌルハチ(努爾哈赤)、右が清太宋太极・ホンタイジ(右)。



『清 正藍旗旗帜』。
八旗は、清の始祖であるヌルハチが、満洲人の前身である女真(jušen)を統一する過程で、
女真固有の社会組織を「旗」と呼ばれる軍事集団として編成、掌握したことに始まると。
1601年にヌルハチがこの制度を創始した当初は黄(suwayan)・白(šanggiyan)
・紅(fulgiyan)・藍(lamun)の4旗であったが、ヌルハチの統一事業の進展によって
旗人の数が増えたため、各色に縁取り(「鑲」(金+襄)。「じょう」と読む)のある4旗が
加えられ、1615年には下記の8旗が整備されたと。
右上から左➡右下へ。鑲黄旗、正黄旗、正白旗、正紅旗、白旗、紅旗、正藍旗、藍旗。



『清 镶紅旗旗帜』
展示されていた八旗の一部。紅旗(手前)と正藍旗(奥)。



『八旗甲冑』
「八旗」とは清朝の軍隊システムのこと。
左から三旗は、皇帝直属であり、皇城警護の兵士は左三旗の兵士。
その後の五旗は、諸王(満州語でベイレ(貝勒))が統率していたと。



『八旗甲冑』説明文。



これは『鑲黄旗甲冑』のレプリカの頭部。



『鎖子甲(さしよろい)』。
この時代の甲冑の素材は鉄、皮革、絹布、紙などがあったが,絹布や紙は実用より
彩色を重んじた儀仗兵などの装飾用であった。鉄はくふうが加えられ、『鎖子甲』も
つくられた。鎖子甲は鎖のようにして鎧をつくったもので、柔軟性に富み、防御力も高く、
大型の甲冑より軽量で実用性が高かったのだと。



外に出て再び『大政殿』を見る。



次に隣の『正黃旗亭』に入る。
『清(后金)入关前主要战役』。



『松錦之战作战示意図』
「松錦の戦い」の明軍と后金軍の進路図と清朝の中国平定に協力した洪承疇(こうしょうちゅう)。



『萨尔浒战作战示意図』と『萨尔浒古战场遺址』。



『山海关镇东門』の写真と進軍ルート図『山海关之战作战示意図』。
このあたりは歴史が不勉強なので????・・・・・。



清朝第八代・道光帝(在位:1820〜1850年)時代の1841年に鋳造した大砲と。



そして『大政殿』前での清代の舞踊劇が10時から始まったのであった。
毎週、土曜、日曜、祝日は、この大政殿の前で午前10:00と午前11:00に
行われているとのこと。
演目は清文化の『海蘭珠歸嫁皇太極』のようであった。
舞踊劇の内容を説明していたのであろうか?



そして『大政殿』に八旗が姿を現す。



『八旗』が整列。



皇帝と皇后の入場。



広場では踊り子が出番を待つ。



皇帝と皇后(右)、第一夫人(左)?。



皇帝の姿。清太祖ヌルハチであろうか。



踊り子も中央に。



皇后(正室)。



こちらは第??夫人か?



一本歯の下駄の如きもの・ポックリを履いて。



こちらは第??夫人か?



大政殿前の舞踊劇を暫し楽しむ。



男性の踊り子。



大政殿に並ぶ皇后、夫人達をズームで追いかける。









そしてフィナーレへ。ヌルハチそして夫人たちが大政殿から広場に進む。



そしてフィナーレ。時間は10:20。



ネットにこの『​舞踊劇​👈リンク』の動画が紹介されていますので、
リンクを貼らせていただきました。


                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2019.11.01 23:59:19
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