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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.07.18
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カテゴリ:海外旅行
次に『銮驾库』で開かれていた「100年に及ぶ紫禁城の国宝展」を訪ねた。
展示されている文化遺物は、瀋陽の紫禁城の10万点のコレクションから選ばれた100点の
文化遺物で、磁器、エナメル、漆器、彫刻、絵画、書道、織物、刺繍などがあり、
清朝初期には独特の歴史的文化的特徴があるのだと。皇帝の王室のオブジェには、
中世と後期の清朝の宮殿芸術もあり、豊かな文化的意味合いと芸術的価値があると。
『清 象牙雕兽耳活环盖瓶』は象牙の透かし彫り。



『乾隆款象牙透雕群仙笔筒』。



『書』。



『水墨画』。



これは帽子。
現代でもかぶれるおしゃれな帽子。



刺繍も美しく。



帽子から長い尾?が。



『清 乾隆皇帝大阅明甲』。



『清 大紅缂八团金龙单袍』
長さ137cm、ウエスト幅72cm、袖丈91cmと裾の120cm。
今瀋陽の国立故宮博物院の国立二級文化遺物。 



『清 品月色缎彩绣折枝桃蝶夹袍』
清王朝の女性のガウン、月の色のサテン、刺繍、折りたたみ、桃、蝶、ローブ。



『清 掐丝珐琅匂莲象牙三足盖炉』。



『清 剔紅楼閣山水人物纹座屏』



『清 乾隆款剔紅飞龙纹宴盒』



この後は、暫しの自由時間になり、故宮内を急ぎ足で訪ねたのであった。
故宮の一番奥の『磨房』近くの盆石。



そして階段を上ると見えてきたのが『鳳凰殿』。



瀋陽故宮の中でも最も高い建物で3層から成る。
鳳凰殿の前は、清寧宮で、皇帝と皇后の居室となっていたと。



『鳳凰殿』から『清寧宮』を見る。



『清寧宮』は瀋陽故宮の内廷の中心に位置する宮殿で、皇帝と皇宮の居住空間、
そしてシャーマニズム(薩満教)の才碑が行われる場所。



オリジナルの扁額がそのまま残されていたようです。
『清寧宮』の文字が。籃地だったようですが、すっかり色落ちしていた。



清寧宮の見事な天井の絵画。
太宗ホンタイジの天聡年間(1627~1635)に建てられた、ホンタイジとその妻
端文皇后(1599~1649)が暮らしたのだと。



別の場所から見上げて。
藍色が印象的な天井の装飾光景。絵の中央には、龍と鳳凰の睨み合いの図が。
梁の部分には濃い朱色で龍が向かい合う姿が。



こちらの梁には華やかにピンクや赤の花と唐草文様が。



清寧宮の内部。
部屋にコの字に造られた台の下には、オンドルの温風が通されていたと。
『万字炕』と呼ばれる建築様式とのこと。



西側の壁には、神龕(しんかん、神棚や仏壇のようなもの)と神像(関帝像)が
祀られているのだと。



満州族は西側を上座とするため、神龕や神像西側に祀られているのだと。
1643年ホンタイジはここで亡くなったのだと。



道光帝(在位:1820〜1850年)の時代に記された文字額。
清寧宮敬記の後に、道光巳丑期秋月の日付が。1929年、道光9年。



『清寧宮』案内。



再び『鳳凰殿』を見上げる。



ここにも『奇岩』が。



『颐和殿』。



『颐和殿』内部。
1746~1748年、皇太后が宮中で式典をする時や姫たちに会うために使っていた場所。



そして再び『大政殿』前の広場に戻り、訪ねていなかった『十王亭』を訪ねる。



『鑲白旗亭』
大政殿と同じ時期に創建され、白旗官吏の事務室で、儀式を準備する場所でもある。



『平定鸟什战图』。



『正白旗亭』。



大政殿と同じ時期に創建され、正白官吏の事務室で、儀式を準備する場所でもある。



『乾隆帝及妃威弧鹿图』。



弓矢。



『平定准格尔回部战图』。



『鑲黄旗亭』。



大政殿と同じ時期に創建され、鑲黄旗官吏の事務室で、儀式を準備する場所でもある。



様々な絵画が。



『乾隆十门图』。



『左翼王亭』。



大政殿と同じ時期に創建され、左翼王の事務室である。



漢文と満文の書。
後金を建国し、後に清国初代皇帝と称されたヌルハチ・太祖が記した家臣への心得書と。
『太祖康寅汗傳諭曰』のタイトルがありました。『八固山王設八大臣輔之以観察其心・・』と
続きます。軍事組織を八旗に編成し、『七大恨』を挙げて明朝と戦い、戦場で受けた砲弾の傷が
もとで亡くなったと。



大政殿の東側に並ぶ石碑群。



元時代の石碑
モンゴル系の王朝である元が、支配していた頃の石碑で、瀋陽の名前が
記録されているものとして貴重。



『辽代石经幢、俗称大十面』



『豫王府影壁』
高さ2m、幅4.1m、厚さ0.5mで、遼東省の山岳地帯に広がる無傷の赤い砂岩から
切り抜かれていると。



『安达礼墓碑』。



『安达礼墓碑』
清2代目皇帝ホンタイジが崩御した際に、近衛兵だった「安達礼」が自ら副葬者に
なったのだと。



再び『大政殿』。



ズームして。



皇帝の龍のシンボル、5本指をズームで。
龍は中国神話に登場し、5本指の龍は皇帝にだけ許された。
4本指が寺院、3本指が地方豪族などとされたようです。
日本の龍は3本指で描かれることが多いようですが、中国との関係を示す名残かも知れません。



『大政殿』内部。
内部には玉座(宝座)と屏風が置かれていた。
なお、現在置かれている玉座は,1970年代に北京故宮の皇極殿から移動したものと。
その後ろには、乾隆帝御筆の扁額と対聯が掲げられていた。(乾隆22年(1757)筆)



陶器で造られた壁の装飾。飛翔する二羽の鶴の姿。いくつかに分割された焼物。



集合場所に戻り、ツアー仲間との観光再開。
『盆石』と呼ばれるものであろうか。
中国庭園では不可欠の奇石。江南地方などでは、穴が多く開いた太湖石が有名だが、
それに比べれば少し見劣りする奇石の光景であった。



『廊房』の敷地内に。
『廊房』とは展示品から厨房のようである。
別棟で石臼が置かれた石展房、挽き石が置かれた磨房などがあった。
瀋陽故宮の台所という役目を担っていたのであろう。
『廊房』の前・右手には『碾房』が。



『磨房(製粉所)』
粉挽き機か?



屋根の曲線が美しい建物。
馬の鞍のように、背の部分が丸くなった屋根。満州建築の特徴の1つのようです。



レンガ塀の中ほどにはオンドルの煙突が。



『煙突』
清の太宗天聡年間(1627~1635)に創建され、瀋陽故宮の中で典型的な満州族の特徴を持つ
唯一の煙突である。





                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・







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Last updated  2019.11.01 23:59:36
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