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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.07.20
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カテゴリ:海外旅行
瀋陽故宮を後にし、瀋陽鋳造博物館にバスで向かう。
『東西快速干道』から瀋陽北駅近くのユニークな形の『方圆大厦』ビルが見えた。



『沈陽壺商会館(しんようつぼしょうかいかん)』
1918年に杜重遠という人が日本へ留学して陶器を学び、1923年の冬にここ
瀋陽(当時は奉天)の瀋陽北駅恵工街に陶器会社を作ったと。
現在は、当時のまま瀋陽市文物保護単位として、2008年10月27日に瀋陽市人民政府が交付。



『金融中心』と書かれたコイン型のモニュメント。



『沈陽壺商会館(しんようつぼしょうかいかん)』前に『恵馨大厦』ビルが。



『缓化东街』。



右手に瀋陽北駅に向かう線路が。



新幹線・和諧号が追い越す。
この「和諧号」という愛称は胡錦濤元総書記(国家主席)の和諧社会に由来しており、
日本語で「調和」「ハーモニー」を意味するのだと。



哈爾浜路に架かる吊り橋型の跨線橋。



跨線橋を進む。



『西江街』ビル群を右手に。



そして『北一西路』を進み『中国・工业博物館』に到着。



中華人民共和国の成立後は、瀋陽鋳造工場と改名された後に瀋陽重型機械集団有限責任公司の
砂型鋳造工場として2005年まで創業していた工場の跡地。
無人となった工場内の施設をそのままに展示する瀋陽鋳造博物館として2007年に開業したが、
2012年になって工業博物館としてグレードアップし2013年9月から対外的に開放したとのこと。
重工業が国力そのものだった時代、日本が満州を手に入れたかった理由がここにあるということが
想像出来る博物館なのであった。



この中国工業博物館は、以前は「瀋陽鋳造博物館」と呼ばれていた。
少し前のガイドブックには「瀋陽鋳造博物館」として書かれている。



入口にあった巨大な獅子像。



『中国工业博物館』の入口ロビー。
ロービーには巨大な銅製のモニュメントが。



『中国工業博物館紹介』
「中国工業博物館は、中国工業の歴史を展示する総合的な博物館であり、瀋陽鋳造工場の
生産現場から拡張することである。延べ床面積が6万m2、展覧面積が4.54万m2、8つの
展覧館があり、2013年9月から対外的に開放した。展示する品物が豊かで、展示する形式が
シンプルで、これは広範囲な市民及び観光客が工業遺産を理解し、認識し、鑑賞し、工業中身を
解明し、工業遺産の保護の結果を享受する重要なプラットフォームである。これは愛国主義の
教育を発展する、工業文化を普及する、大衆の心身を楽しめる精神の故郷である。」



『中国工業博物館』展示案内図。



製鉄の工程の「出鋼」の場面、そして労働者の姿か?



「蒸気機関車」。



巨大な機械が通路脇に。



最初の展示場・『通史館」』に向かう。



入口には歯車が象徴的に。



『工业前奏』。



最初の人物の名は?。



ジェームス・ワット像。
スコットランド出身の発明家、機械技術者。
トーマス・ニューコメンの蒸気機関 へ施した改良を通じて、イギリスのみならず
全世界の産業革命の進展に寄与した人物である。



グラハム・ベル像。
スコットランド生まれの科学者、発明家、工学者。世界初の実用的電話の発明で知られている。



エルウッド・シャノン像。
アメリカ合衆国の電気工学者、数学者。
20世紀科学史における、最も影響を与えた科学者の一人である。



懐かしき「氷削り機」。



「タイプライター」



1900年、ツェッペリン伯爵が、初の硬式飛行船ツェッペリン LZ-1を初飛行させる。



1966年、『红旗二号导弾』。
1960年代半ばに中国によって開発された中高高度の対空ミサイルの一種。



そして近代の『シリコンウェハー』。



現トヨタ自動車㈱社長『豊田章男』氏の姿も。



「鋳造館 Foundry Museum」の展示室を見ていく。



大きな製鉄工場がそのままに。



巨大な鉄骨作りの建屋。



「転炉」であろうか?



労働者の姿も。



そして自動車の歴史コーナー『汽车館』へ。



人力車からスタート。



三輪自動車の原型。



そして四輪自動車へ。



『红旗敞篷试制车』。



『林肯加长车』
1998年のリンカーン社製リムジン車。



大夫、現代風の車に近づいてきた。



米国製『威利斯』・Willis、1942年。
軍用のジープであろう。



工場内には引き込み用線路も保存されていた。



『丰田皇冠豪华型3.0』。
トヨタクラウンなのであろう。



そして日本占領時代の資料展示コーナーへ。



1905年の奉天の機関庫(上)と1906年満鉄奉天ビル(下)の写真。



『日本侵占东北的重要棋子』。



『残酷圧榨鉄西人民』の文字が。
圧榨とは「圧力をかけ搾取する」こと。



様々な日本占領時代の写真が展示されていた。



そして工場を見学する習近平国家主席の姿も。



そして現在の中国の工業地帯の姿が。



百年の歴史が解る写真コーナー。



その他にも「机床館 Machine Tool Museum」の展示室、屋外展示もあったが、時間がなく
見学することは出来なかった。
しかしながら、ここは1933年に建てられた森田鉄工所(建国後は、瀋陽鋳造工場)の
廃墟を改装したものとのことだが、満鉄時代から近年までの工作機械や車両、写真など
ある意味では『負の遺産』を大規模に展示していることに驚きと感動の場所であったのだ。
                             

                             ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・







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Last updated  2019.11.02 00:00:16
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