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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.07.21
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カテゴリ:海外旅行
『中国工业博物館』を後にし、『北陵公園』にバスは向かう。



『崇山東路』を進む。



『新开河』を渡る。



大きな門には『辽宁省(遼寧省)人民政府』の文字が。



辽宁省(遼寧省)の都市配置図。
この沈阳市をはじめ、この後訪ねる本溪市、丹東市、大連市を含む辽宁省(遼寧省)。
北東部を吉林省、北部を内モンゴル自治区、西部を河北省と接す。
また南西部は遼東半島を境に海域が分かれる黄海と渤海に面し、南東部は
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する。
人口は4500万人を超えるの巨大な省なのである。



『北陵公園』外南の石碑
北陵は後金の2代目、清の初代皇帝である太宗皇太極ホンタイジとその妻の孝文端皇后のお墓。
敷地面積330万m2あると。。
北陵は瀋陽の中心部から北にあることからつけられた通称で、正式名称は昭陵という。
陵墓、建築物などは現在でも良好な状態を残し、清朝初期の技術・建築文化の一端を
知ることができるのであった。
2004年にユネスコの世界遺産(文化遺産)の明・清王朝の皇帝墓群の一部として追加登録された。
規模は清の関外三陵(他の二陵は東陵と永陵)のうちで最大規模。
また現在、周囲は瀋陽で1番大きな公園「北陵公園」となっており、自由な散策が可能
なのであった。



『北陵公園』入口前の広場は花に包まれていた。



生花と造花でコーディネイトされて。



龍の姿も。



鳳凰の姿も。



『北陵公園』ウォーキングコース案内。



ここが世界遺産『昭陵』のある北陵公園の正門入り口。



獅子像。



『券売所』
現地添乗員が私たちのパスポートを持ってチケットを購入してくれた。
中国は理由はわかりませんが世界遺産の訪問にはチケット購入時に
パスポートが必要なのであった。



入口門の扁額・『昭陵』。



右手の門から入場する。



『北陵公園』案内図。



ホテルの部屋にあったガイドブックの写真です。



同じく『昭陵』上空から正門方向に向けての写真です。



園内は緑と池が。
敷地面積は330万m2。
北陵は瀋陽の中心部から北にあることからつけられた通称で、正式名称は昭陵。



見事な彫刻。



園内の大型電動カートに乗り込み進む。
世界遺産の昭陵へは、この直線の道を1.5Kmも歩かなければならないので、
私達はこのカートで移動した。
もちろん有料で、一人10元とのこと。



『太祖ホンタイジ像』。
中国、清朝の第2代皇帝。在位1626‐43年。廟号は太宗。太祖(ヌルハチ)の第8子。
太祖の下でサルフの戦に抜群の功を立てるなど武将の誉れが高く、国政を処理する
四大ベイレ(貝勒)の一人であった。即位後ただちに八旗制度の改革に着手し,
皇帝の独裁権力の強化に努めた。この改革の完成したのち、1636年改めて皇帝の位につき
国号を大清と称し、改元して崇徳とした。
対外面では、即位後,明とひとまず山海関を境界として和議をすすめ、かたや朝鮮に対しては
1627年朝鮮王仁祖を江華島に追い、これを屈服させて和議を結んだ人物であると。



『世界文化遺産 清昭陵』
ここは2004年にユネスコの世界遺産(文化遺産)の明・清王朝の皇帝墓群の一部として
追加登録された。
墳墓の規模としては、清の関外三陵(他の二陵は東陵と永陵)のうちで最大規模。



石畳を進む。



『神橋』から、柳に囲まれた池に浮かぶ手漕ぎボートを。



昔からの石畳は保護されていた。
中央は死者の通る道と考えられ、翡翠?で出来ていると。



この門が『石碑坊』。
建立は1801年頃で、三楼の入母屋倣木の牌楼の彫刻は立派。
柱の根元には四対の獅子と一対の神獣がいた。



見事な彫刻が施されていた。
順治帝あるいは康煕帝の時代に建てられたと。木製に見せかけて作られた石造建築であると。



薄い門ですので、倒れないように両側からつっかい棒がしてあった。



階段を上がったところにあるのが『正紅門』。
ここからが世界遺産の昭陵で、入場は別料金になっているようであった。



見事な龍の焼き物?
北京の紫禁城にあるような九龍壁の如し。ただここの彫刻された龍は1頭だけ。



それぞれの入口には見事な欄干彫刻の石の階段が。



一番右側の入口が入場口になっていた。



『正紅门』。



『全国重点文物保護単位 昭陵』。
瀋陽市人民委員会が設置した『昭陵』の石碑。
1982年に国務院から全国重点保存単位に指定されたことを受けての石碑。
よって世界遺産の登録される、ずっと前からのもの。



入口から『大碑楼』が見えた。



その『大碑楼』に向かう昭陵神道の両側には動物の石像が並んでいた。



『華表(The Ornamental Pillar)』の表示があった石柱。
『魔天柱』や『万雲柱』の呼び名もあるようです。
頂上には天に向かって吠える獅子像が。







『立馬(The Standing Horses)』の名前が記されていた石像。



ズームで。



『駱駝(The Camel)』の名前が記された石像。座り込んだフタコブラクダの像。『
黒石(Black Stone)』が石材に使われていると。
ホンタイジの戦に何度も従ったラクダがモデルのようです。



『立象(The Standing Elephant)』の名前が記された石像。
材料は、白石(White Stone)』と記されていた。
これらの像が神道の両脇に各1頭ずつ並んで立っていた。



そして『大碑楼』へ。



『大碑楼』の『神功聖徳碑亭』 



『神功聖徳碑』。



神功聖徳碑を背負う亀。



横から。



後ろから。



先ほどの『大碑楼』を抜けると現れるのが昭陵の中心部にある『方城』と『隆恩門』。



『隆恩門』。
この建物は四角の城壁の『方城』の上に立っており、この『方城』の床にはかつては
金箔が敷き詰められていたのだと。



『隆恩門』。



『隆恩門』を横から。




                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2019.11.02 00:00:58
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