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カテゴリ:旧東海道53次を歩く
『旧東海道を歩く』ブログ 目次
天守閣下広場から浜松城公園 本丸南広場を見る。 『天守閣』と『天守門』。 スタンプを依頼した旅友は天守最上階の展望台に。 続日本100名城のスタンプを頂きました。 天守閣の下部には石垣の上に張り出した『石落とし』が。 登ってきた敵に石を落としたりして攻撃するための仕組み。 天守閣の屋根には鯱瓦が。 これは本丸に残る銀明水という『井戸』。 「この井戸は、銀明水と呼ばれていたという。浜松城には、天守台に一つ、天守曲輪の埋門 (うずみもん)のそばに一つ、本丸に一つ、二の丸に三つ、作左曲輪に四つ、計十本の 井戸があったという。 天守台の井戸は、再建の時に残し、今は天守閣の地下室にある。 直径一・三m、深さは現在一mほどになっており水はない。」 井戸の中を覗く。 天守台そして天守閣を別の角度から。 幟には『三つ葉葵』。 この日は平日の為か、天守閣の展望台には観光客の姿は少なかった。 天守台の石垣にはかなりの隙間が。割れてしまった石も。 一見崩れやすいように見えたが、奥が深く内側に小石や砂利を詰めてあるため、 水はけもよく堅固であると。 算木積みはされておらず、叩き割ったままのゴツゴツした石がそのまま積み上げられた野面積み。 かなり独特な雰囲気だ。主要な石材は浜名湖北部産の堆積岩の模様。 『八幡台』。 天守台の北西隣にある石垣で、天守台よりも高い。 かつては城を守る神社が祀られていたと。 『ようこそ出世の待ち 浜松へ』 今の私には、必要ない文字列。 浜松城公園 入口。 『浜松市戦災被爆者慰霊碑』。 「昭和十六年(一九四一年)十二月八日太平洋戦争に突入したわが国は緒戦に勝利を 収めたもののやがて戦況は逆転し同二十年八月十五日遂に降伏のやむなきに至った、 この間浜松市は三十回余りに及ぶ空爆艦砲射撃を受け市の大半が廃墟と化し死傷者も八千人を 越えた。特に昭和二十年六月十八日の敵機による焼夷弾投下は熾烈を極め市の中心部は一瞬にして 紅蓮の炎に包まれた恐怖の一夜が明け死を免れた人々が肉親を求めて彷いあるいはあとかたも 無いわが家の跡を茫然と眺める悲惨な姿は言語に絶するものであった、しかし戦争が終わって すでに三十四年戦前をはるかに越える豊かで平和な暮しは人々をしてその念頭から死の街と化した 郷土の惨状や往時の苦難やまた戦災死者の方々への痛恨の情を日ごとに稀薄なものにしていく、 かかる時市民の間からこれを何らかのかたちで後世に遺そうとの議が興り市各界の方々からも 深いご理解による浄財が寄せられここに浜松市戦災被爆者慰霊碑を建立して悲惨な戦争の絶滅を 期し三千有余名の戦災死者のご冥福と世界の恒久平和を祈念するものである」 『浜松城公園歴史ゾーン 整備計画』 浜松城公園歴史ゾーン整備計画が現在進められている最中。 井伊直虎、直政と徳川家康についての解説もパネルに展示されていた。 そして国道1号線・浜松バイパスを浜名湖に向かって進む。 前方左手には雲の間から夕日の光が放射状に。 車窓からの夕日を楽しむ。 浜名バイパスを『浜名大橋』に向かって進む。 『浜松市西部清掃工場』。 雲の合間から陽光が刻々姿を変えながら。 『浜名大橋』から、浜名湖の海水の出入り口で、遠州灘が繋がっている今切口手前から 今切新居堤(今切口東堤)付近を見る。 前方に渥美半島の山々の姿が。 そして新居弁天ICで浜名バイパスを降り、海浜公園駐車場に車を駐め、徒歩にて浜名バイパス下を 潜り海岸まで歩く。 西の空は、だんだんとオレンジ色に染まり始めて来た。 『浜名大橋』が見える浜名湖方面には未だ青空も。 5月24日に旧東海道を歩いた際に、舞阪近くから見た『浜名大橋』 構造形式は、PC5径間連続有ヒンジラーメン箱桁橋である。橋梁全長631.8m、有効幅員9.0m。 最高地点は海抜31 m。中央支間長は240 mにおよび、桁橋としては建設当時には世界最大支間 であり、2004年(平成16年)の鳥取県境港市と島根県松江市との間にかかる、江島大橋開通 まで日本最大の支間長を誇った。 浜名湖および遠州灘の海岸線沿いにあるため、工事および耐震の関係上大きな構造になっている。 弁天島からの眺望は非常に雄大で、ライトアップをしようという意見もあったが、 近隣で行われているシラス漁の関係、また、アカウミガメの上陸・産卵を妨げるという理由で 不可能になっている。 波打ち際近くに陣取り西の空の変化を楽しむ。 しかし次第に雲の量が多くなり夕日の姿が隠れてしまう。 そして更に雲が増え太陽はほぼ姿を隠してしまったのであった。 そして豊橋駅前のホテルに18:30過ぎに到着し、初日の大移動は無事終わったのだ。 ホテルにチェックイン後に、近くの居酒屋でこの日の反省会を行ったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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