|
カテゴリ:旧東海道53次を歩く
『旧東海道を歩く』ブログ 目次 田園地帯をひたすら歩き浜名の街並みに入る。 左手にあったのが『立場跡』碑。 『立場跡』 「旅人や人足、駕籠かきなどが休息する茶屋を立場といって、江戸時代、東海道の各所に 設けられていた。この立場は、新居宿と白須賀宿の間に位置し、代々加藤家がつとめてきた。 立場では旅人を見ると湯茶をすすめたので、ある殿様が「立場立場と水飲め飲めと鮒や金魚じゃ あるまいに」という戯歌(ざれうた)を詠んだという話が残っている。」 次の訪問寺・『東新寺』に向かって旧街道を進む。 両側に民家が立ち並び、往時の街道を偲ばせていた。 『東新寺』入口。 『本堂』。 山 号■松林山 寺 号■東新寺 住 所■静岡県湖西市新居町浜名2660 宗 派■臨済宗方広寺派 本 尊■聖観世音菩薩 札 所■浜名湖岸新四国八十八ヶ所霊場第64番札所 本堂の隣には神社が。 石仏群。 歴史を感じさせる民家。 街道右手の山が迫ったところの段上に新しい秋葉山常夜燈の建つ秋葉神社があった。 秋葉神社の創建年代等は不詳であるが、社殿には金刀比羅宮が合祀されているのだと。 この先に『明治天皇御野立所阯碑』が左側に立っていた。 「明治元年(1868)9月20日、岩倉具視らを従え、東京へ行幸のため京都を出発した 明治天皇が10月1日、豊橋から新居へ向かう際に休憩した所である。 明治天皇は、その後、新居宿の飯田本陣に宿泊し、10月13日に東京に到着した。」 そして右手には巨大ながけ崩れの現場が。 怪我人等はなかったのであろうか? 右手に『火鎮神社(ほづめじんじゃ)』
『山門』。 『本堂』。 『火鎮神社(ほづめじんじゃ)』 ・鎮座地 湖西市白須賀5942番地 ・御祭神 火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ) 品陀和気命(ほんだわけのみこと) 徳川家康公 ・例祭日 十月十四日 ・由 緒 本神社は三座を祀り、由緒正しき神社なりしが、応永年間(1394~1428) 海瀟及安永年間(1772~81)社家火災の為め、古文書散失し、由緒を 詳に能はざるも、徳川家康の崇敬厚く、除地壱町四方余、丸太船壱双の 御墨付きを賜り、地方一般の崇敬を蒐めて、御隆盛を極む。大正十四年一月九日 村社に列せられ同年同月十四日神饌幣帛料供進社に指定せらる。 『白須賀宿マップ』 白須賀の須賀とは砂浜を意味します。その名の通り宿場は潮見坂下の海辺にあった。 宝永4年(1707)の大地震による津波で主馬の大半が流出してしまい、 翌年坂上の現在地に移った。 それから坂上が白須賀になり、坂下の宿場跡を元町というようになった。 本陣1軒、旅籠27軒、人口2704人。 夢舞台東海道道標『白須賀宿 火鎮神社』。 二川宿まで10.1kmと。 『風力発電』。 街道を進むと右手の山に大きな白い風車が回っていた。 この風車は、浜名湖カントリークラブ(浜名湖CC)の風力発電である。 民家の戸袋も芸術作品。 鯉の滝登りの姿であろうか。 更に『白須賀宿』を西に進む。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.05.01 14:52:26
コメント(0) | コメントを書く
[旧東海道53次を歩く] カテゴリの最新記事
|