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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.11.01
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

​『大社神社』から100mほどの蒲郡信金先国府支店の先にあったのが『御油一里塚』。
江戸日本橋より76里。
本陣が2軒あったとされ、姫街道への追分けの宿であることから、旅籠の数も多かった御油宿。



旧東海道を更に進む。



旧東海道と姫街道が交わる交差点。



国府町行力にあったのが『姫街道追分』
追分には 「秋葉常夜灯・秋葉三尺坊道標・砥鹿神社鳳来寺道標」が。
「秋葉山三尺坊大権現道」の石柱と常夜灯、「三州御油宿→これより姫街道 遠州見付宿」の
木の案内板が置いてあった。



『三州御油宿これより姫街道 遠州見付宿まで』の木の案内板。



旧東海道の反対側には『御油の追分』碑も立っていた。

微妙な表記の揺れ。本坂通と姫街道。もちろん、同じ道。



京から江戸に向かって左に分岐する道が「本坂道」、浜名湖北岸を迂回する脇往還で
通称『姫街道(ひめかいどう)』である。
姫街道は、浜名湖の北側、本坂峠を経由して静岡県磐田市見付町(東海道見附宿)と愛知県豊川市
御油町(東海道御油宿)を結ぶ街道である。道程約60キロメートル。古くは東海道の本道で、
二見の道(ふたみのみち)と呼ばれていた。中世以降、浜名湖南岸の往来が盛んになると長距離を
移動する利用者は減り、地震などで浜名湖南岸が通行不能になった後に迂回路としてよく
利用された。本坂峠を経由したことから本坂越(ほんざかごえ)、本坂通(ほんざかどおし/
ほんざかどおり)、本坂道(ほんざかみち)、本坂街道(ほんざかかいどう)などと呼ばれた。
戦国時代に街道が整備され、江戸時代には東海道に付属する街道とされ、宿が置かれた。
幕末頃から姫街道の呼称が定着し、明治以降、新道が出来て本坂峠はトンネルで通過する
ようになり、峠越えの道は廃道となっている。


   【https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AB%E8%A1%97%E9%81%93】より

なぜ姫街道なのか?
このロマンチックな響きの名前の道、「姫街道」というのは、どうしてなのか。
ネットで調べてみると姫街道の名称由来にはいくつも説があると。

①女性が新居の関所の厳しい取り調べを避けた。
②新居・舞坂の危険な渡船を女性が避けた。
③新居関所を別名今切関所といい、今切が不吉な言葉なので女性が避けた。
④「ひなびた」「ひねた」街道
⑤東海道を男性に、脇街道を女性に見立てて、「姫」とした。
などと。
今は「姫街道」という呼称が定着し、国道257号や362号の通称も姫街道になっているのだと。



更に住宅街の旧東海道をこの日の目的地に向かって進む。



そして前方に『音羽川』に架かる橋が見えて来た。



橋の手前、道路の右角にあったのが『従是楠社道』碑
楠正行が祭神らしい、八面神社への道。



『御油橋』



『ごゆばし』と。



下を流れる『音羽川』。
水源は豊川市長沢町にあり、市内長沢町 - 国府町間では国道1号に沿うように流れ、
市内国府町から南へ三河湾に注ぐ。



『御油橋』を渡った直後、左にあったのが『若宮八幡社』。
小さな社殿と小さな狛犬。



旧東海道沿いの連子格子窓の民家。



路地脇にあった『花・ベルツゆかりの地』。



「花・ベルツ(一八六四~一九三七)は、明治政府がドイツから招いた医師ベルツの妻と
なった女性です。日本での近代医学の普及に尽力したベルツを支え、明治三八年(一九○五)に
任期を終えたベルツとともにドイツに渡りました。
国際結婚の先駆けとして、ベルツ死後もドイツに残りましたが、第一次世界大戦の勃発などが
あり、大正十一年(一九二二)に帰国しました。当地は、花の父親熊吉の生家で、江戸時代に
旅籠屋を営んでいた戸田屋のあった場所です。
戸田家の菩提寺である西明寺(八幡町)には、花が建てたベルツの供養塔があります。」。



『高札場跡』が右手の桜の木の下に。
江戸時代に代官所が町民や旅人に諸規則を知らせるため、宿場の中でも人通りの多い場所に
立てた告知板を高札という。
御油宿でこの場所に高札が立てられていたということは、ここが当時のメインストリート
だったのであろうが・・・・。



『高札場跡』。
「高札場とは、江戸時代に代官所が町民や旅人に、諸規則を知らせるために設置した掲示板を
高札という。御油宿ではこの場所に高札が立てられていた。」



『三十五番宿 御油の松並木』案内板。



『歌川広重 東海道五拾三次内 御油 旅人留女』の浮世絵とその先に問屋場跡が。



正面から。
御油は、浜名湖の北岸を迂回する姫街道の分岐点にも当たる交通の要地でした。
強引に腕や荷物をつかみ旅人を奪い合う宿の女たちをユーモラスに描いた動きのある情景は、
『東海道中膝栗毛』の弥次喜多をそのまま描いているようです。
旅舎の軒に懸かる木札には、絵師名やシリーズ名、版元名とともに、彫工・摺工の名が
記されています。



『問屋場跡』。
「問屋場には、馬や人足が常備され、旅行者や荷物などを、次の宿場に継ぎ送る業務が
行われていました。御油宿の問屋場はこの場所にありました。」



上記の写真の浮世絵は『歌川廣重 狂歌入東海道五拾三次 石薬師 問屋場ノ図』
狂歌は「石薬師瓦と黄金まく人は瑠璃の玉とも光る旅宿」。



そしてこの日の最後に『御油の松並木資料館』を訪ねた。
国の天然記念物に指定されている「御油のマツ並木」と東海道五十三次35番目の宿場として
栄えた「御油宿」に関する資料が展示されていた。



入口横には樹齢ほぼ380年の松の根っこと幹が展示されていた。



『御油の松並木資料館』入口。
国の天然記念物に指定されている御油の松並木と東海道五十三次35番目の宿場として栄えた
御油宿に関する資料が展示されていた。
江戸時代の御油宿の街並みの復元模型や広重の浮世絵版画、近世交通文書や、旅装束などの
資料約130点等々。



『東海道御油宿と松並木』。
「御油宿は、慶長6年(1601)徳川家康によって、東海道に宿場制が定められ、
東海道五十三次の第35番目の宿場として繁栄しました。
ここから東の、かつて上五井、中上町、仲町、横町、茶屋町と呼ばれたこの通り沿いには、
今でも宿場町の面影を残す旧家がみられます。
また、この御油宿と隣の赤坂宿との間には、慶長9年(1604)に整備された御油の松並木が
あります。昭和19年に国の天然記念物に指定され、「日本の名松百選」にも選ばれています。」



様々な浮世絵が。



天保年間の旅装束、その横に同じく天保年間の助郷の旗であると。



御油・赤坂・国府地区の街並みの復元ジオラマ(仏:diorama)。
音羽川沿いにも松並木が。



左に『御油の松並木』。



『御油の松並木』の写真。



御油宿高札(左)と手筒花火(右)。



『弘化年間の御油地図』。



天井には駕籠が。
文政年間の医者の往診用駕籠であると。



『御油の松並木資料館』を後にし、音羽川沿いを歩き『青戸橋』を渡る。



『音戸橋』から『御油橋』を見る。
土手には彼岸花が開花を始めていた。



御油駅前交差点の地下道を渡る。



そして名鉄・御油駅に到着。



踏切を渡り豊橋方面の電車に乗る。



そして2連泊した豊橋のホテルに戻り、旅友の愛車での帰路に。
国道1号線『潮見バイパス』を進む。国道42号線下を潜る。



国道1号線『道の駅 潮見坂』手前。目の前に太平洋が姿を表した。



湖西市の浜名湖カントリークラブゴルフ場の風力発電装置。



浜名バイパスの『浜名橋』手前より浜名湖を見る。



南浜名湖に浮かぶ弁天島のシンボルタワー、赤の大鳥居。



浜名橋を渡り終わると、前方に『舞阪灯台』が。
この灯台は岬にあるわけではなく遠州灘の浜名湖入り口付近に。
海からも距離があり回りは松林に囲まれていた。
塔高:28m、灯高:37m、初点灯:昭和39年3月とのこと。



そして西の空には夕焼け雲が。



この後は、運転を旅友に全て!!任せウトウトと。
そして茅ヶ崎の旅友邸に22時前に到着し、自宅に22:30前に帰宅したのであった。

                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・完・・・​





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Last updated  2020.05.01 14:50:28
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