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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.11.21
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カテゴリ:海外旅行
バスの待つプロブディフ (Plovdiv)の旧市街入口のロータリーまで戻る。
ロータリーの周辺には遺跡の遺物がゴロゴロと。
案内板には『Източната порта на Филипопол』➡『The Eastern gate of Philippopolis)』
の文字が。
「フィリポポリスの東門は、プロヴディフで発見された古代都市の3つの入り口の1つ。
ゲートは、ビザンチウムとボスポラス海峡への主要道路に建設された。
ハドリアヌスの治世中に2世紀に最初に建設された門とその周辺の複合施設は、
4世紀に完全に再建され、5世紀に部分的に修復された。東門は1970年代に発見されました。

とウィキペディアより。
未だ発掘途中なのであろうか。
この写真の如き東門周辺の建築物の存在が確認できているのであろう。



旧市街地散策を開始した場所であるロータリーの反対側を再び。



『The Eastern gate of Philippopolis(Източната порта на Филипопол)』
真ん中の石畳は『フィリッポポリスの東門』への『参道』の如きものか。



そしてバスに乗り、約124km先の『カザンラク』に向かって進む。
再びマリツァ川に架かる橋を渡る。



橋を渡った直後の右側の広場には世界各国の国旗がたなびいていた。



広場の先にあったのが『プロブディフ国際見本市会場International Fair Plovdiv
(Международен панаир Пловдив)』であった。



右手に発電所『EVN Bulgaria EAD District Heating(EVN България Топлофикация ЕАД)』。
の巨大冷却塔が見えた。



飼料工場の貯留サイロであろうか?



64号線を北上、道路脇の小さな教会。



64号線から6号線(E871)に入り田園地帯を進む。



そしてバスはひたすら東に進み、カザンラク(Казанлък)の街に入る。



 "Osvobozhdenie" 通りをトュルベト公園の中ににある『トラキア人の古墳(レプリカ)』に
向かって進む。



駐車場に到着し、『トラキア人の古墳(レプリカ)』に向かって進むと。
墳墓が姿を現した。



トラキア人の墳墓とは、関係ないが、墳墓(保存施設)の隣に建っている
イスラムの遺跡であると。



赤レンガが歴史を感じさせてくれた。



こちらが世界文化遺産、紀元前4世紀の『トラキア人の墳墓』。これが本物!!
この世界遺産、現在は誰も見ることが出来ないのだと。
本当はこの小屋の中にあるのですが、保存状態を守るために中に入る事が出来ないと。



『世界遺産』に登録されている「カザンラクのトラキア人の墓地」は、カザンラクの町の
北東部ある、直径約40m、高さ約7mの丘にあった。
この墓地は、第2次世界大戦中の1944年に、防空壕を掘っていた兵士たちによって
偶然発見されたとのこと。
トラキア人は古代の東ヨーロッパ周辺に住んでいた民族である。インド・ヨーロッパ語族に
属するトラキア語を話した。古代ギリシアやローマ帝国の文献に現れ、当時のヨーロッパでは
有数の人口と勢力を誇ったといわれる。
考古学的には多数の精巧な金製品をはじめとする遺物・遺跡で知られる と。



『トラキア人の墓地  オリジナル 
Тракийска гробница Оригинал Thracian Tomb Original』。



そして墳墓から約30m程度離れたところにあった『トラキア人の墳墓』のレプリカに到着。
説明板。
レプリカ(コピー)の設計者、絵師の名前も記載されていた。



入場時間、入場料案内板。



順番を待って小グループ毎に入場。



遺品の土器、壺類が展示されていたがこれはホンモノ?



入口には、1944年の発見から1979年の世界遺産登録までの歴史が写真とともに解説が。
もちろん日本語語表記はないが、写真を見るだけでも歴史がわかるのであった。



墳墓の構造の平断面図そして墳墓内で発見された遺品の位置図。



墳墓の横にあったイスラムの遺跡の昔の写真であろう。
そして現在の姿も。



カザンラクという町は、ブルガリアのほぼ中心地にあり、バルカン山脈とスレドナ・ゴラ山脈に
挟まれたバラの谷の一番大きな町である。
現在ではカザンラク市は、バラの産業で一番有名で、毎年バラの祭りが行われる6月の初めごろ、
世界中からきた観光客で溢れる。しかしカザンラク市には、もう一つの訪れるべき見所がある。
それはカザンラクの古代トラキア人の墳墓である。古代トラキア人がバルカン半島に
定住していたのは、紀元前2世紀から6世紀ごろまでだったとされている。
そして異教徒であったトラキア人は後生を信じていたため、古代エジプト人がしたように、
死者を葬るとき、死者の大好きな所有物、そして後生に役に立つような道具、宝飾などを
古墳に入れておく習慣があった。カザンラク盆地には、トラキア人から残された古墳が
20ほどあるが、町の中心からたった1– 2キロ離れたところの「カザンラクの墳墓」が一番有名で、
保存状態も良いのだと。



発見当時の写真であろう。



オドリュサイ王国は、紀元前5世紀から紀元後1世紀にかけてトラキアに存在した、
40以上のトラキア人諸部族と22の王国からなる連合国家。
その領域は現在のブルガリアを中心に、ルーマニア南東部(北ドブロジャ)、ギリシャ北部、
トルコ領東トラキアにあたる地域まで及んだと。



細い通路、狭い墳墓を進む。
地下墳墓は、四角の玄関、回廊と丸天井型の埋葬室からなっていた。



回廊に描かれたフレスコ画。
壁画には戦闘場面が描かれているようであった。



そして玄室は、直径3mぐらいの円形で、その天井部に丸く描かれた
見事なフレスコ画が。
この世界遺産には夫婦の告別の様子、大切にされている事が見て取れる見事な装飾の馬、
勇猛といわれていた戦士などが描かれていた。見学できるのはレプリカですが精巧に
作られており、当時の様子を十分伺い知ることができるトラキア人の墳墓なのであった。



場所を変えてズームで。



2300年以上もの時を経た今でも、色鮮やかな色彩を保ち、トラキア人の生活・芸術・信仰や儀式を
語っているこの壁画が、墳墓がユネスコに指定された主な理由であると。
発見の時にはすでに盗掘されていたそうだが、幸いなことに、見事な壁画はそのまま残されていた。
それどころか、さまざまなオリジナル出土品(金、銀、銅の装飾品、土器など)も墳墓の中から
見つかり、現在展示されていたのであった。



回廊も埋葬室も、慣例的な宴におけるトラキア人男女を描いた壁画で飾られているのだと。
極最近までそれは葬式のシーンだとされてきたが、最新の研究によると、逆に結婚式の
場面なのではないかと考えられるようになった。中心には、召使・給仕係や音楽家に囲まれた
死者とその妻の姿がある 。そして主人のすぐそばに、ある背が高い女の人の姿も描写
されているが、それはおそらく、トラキア人が信仰していた万能の女神だと考えられている。
この壁画は、ヘレニズム時代からのブルガリア美術の中で、最も保存状態の良い傑作である。



宴の場面以外には、葬られた男性の生前の戦闘場面も見られる。
そして、男性の顔をよく見れば、彼は、妻と違って、かなりの日焼けをしていたとに
気づくだろう。これは、その人が戦闘や狩りで多忙だったと言う証拠である。
それから二輪馬車の競技を表すフリーズもあるが、実はローマ帝国に取り上げられる前に、
競馬という娯楽はトラキア人が発明されたものだと研究たちが述べている。





これは当時の王と王妃が最後の別れを描いたものと。
王はたくさんの食べ物が並べられたテーブルの前に座り、王妃は頬杖をついているような感じに。
さらによく見てみると、王妃が玉座のような立派なイスに座っているのだ。
実は、トラキア人にとって女性は信頼できるもの、もっとも愛すべきものとして尊敬される
べき存在であり、そういった女性がいなければ、来世にたどりつけないと考えられていたから
なのだと。



見学を終え、ツアー仲間全員が見学を終えるのを待った後、墳墓を後にし階段を降りる。
トュルベト公園内の階段の途中?にあったこの人物は?
この石碑にはブルガリア語の名前の上に音符が刻んであったので多分音楽家なのであろう。
ブルガリアの作曲家エマニュエル マノロフ(Емануил Мaнолов 1860-1902)であろう。



『トラキア王の谷 The Valley of the Thracian Kings』のマップ。



ここにもEU内での重要文化財であることを示すパネルが。
そして写真右上の『ОПРР』とは地域開発そして文化財保護のために資金を出す



そして徒歩にてニコラ・ペトコフ(Nikola Petkov)通りにあった
バラ製品の土産物屋に案内される。
ここブルガリア・カザンラクは実はバラの名産地。
ローズ製品の香りに使われているバラはダマスクローズという種類で、ブルガリアの
ダマスクローズは特に香りが良く最高級の品質と言われているのだと。
ブルガリアのダマスクローズの栽培地としてはバラの谷が有名。
バラの谷」の中心がここカザンラクなのであった。
バラを摘む女性の衣装か。



ローズオイルを採る昔の写真。
ローズオイルの蒸留器に花びらを入れる姿が。
蒸留器の材質は銅製だったのであろうか?



バラ摘みの女性の姿も。



ローズオイルを競争のように買う我がツアー仲間の女性陣。



『house of roses』と書かれた店のガラス。



たくさん売れた為か?店のオバちゃんが我々のバスを見送ってくれたのであった。




                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2019.12.12 06:29:19
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