2021/05/25(火)16:23
横浜市泉区の古道を巡る(その27) 永明禅寺(1/2)
「永明寺」に向かって進むと大きな広さの墓地の角にあった観音像。
ズームして。
墓地入口左手にあったのがコンクリート製の四阿(あずまや)の如き建物。
そしてその場所近くから「鐘楼」を見上げる。
そして「曹洞宗 岡津山 永朙禅寺」参道入口に到着。
寺号標「曹洞宗 岡津山(こうしんざん) 永朙禅寺(ようめいぜんじ)」。
石段の上に「山門」が見えた。
「永明寺由緒
横浜市泉区岡津町1569-9
一、宗旨 曹洞宗(大本山總持寺の孫末寺)
ニ、名称 岡津山(こうしんさん)永明禅寺(よらめいぜんじ)三、本尊 木造聖観世音菩薩立像(像高三六・五)奉安
四、勧請開基 前太田左衛門大夫持資入道道灌(江戸城築城) 開基 悟眞寺殿花林道灌栄公大禅定門 文明十八年(西暦一四八六)七月ニ六日寂 太田越前守入道宗真、祖父太田道灌の菩提を弔う為
五、開創 天文十一年(西暦一五四ニ) 川上町徳翁寺第ニ世典舜養大和尚を勧請六、中典 当他願主黒田直綱の後継、黒田用綱が中興の祖 中興開基 玄融院殿泰嶽道安居士 寛文十ニ年(西暦一六七ニ)十一月七日寂七、前立本尊 木造聖観世音菩薩立像(像高一〇四・五)奉寄進 桂屋妙貞大姉淑霊 繁翁教栄居士覚霊 為両霊位善提 施主 武蔵州江戸霊厳島 梅村 八郎次 第三世傑州順英代
【寺城内で三度移転】一五六九番地(基苑下の住宅地)に建立、延宝六年(西暦一六七八)現山門 建立地に引移した。大正十ニ年(西暦一九ニ三)関東大震災に裏山の崖、堂宇が崩壊し、
岡津町一六一六(現別院)に移転した。平成ニ年(西暦一九九〇 )周囲の開発と、河川の氾濫による
浸水も度重なり、山頂の現在地に再度移転した。【寺城の整備】寺城南側に、歴代住職の基地を整備、併せて檀信徒の墓地(やまふき墓苑)を
整備拡張し、各檀信徒の先祖を大切に祭祀している。墓苑入口に六地蔵尊、苑内に釈迦如来立像
(やすらきの墓)子育、水子地像尊像、北側に釈迦如来坐像、岡津八景歌碑等、本堂前に
大観世音菩薩立像、寺城内に十六羅漢石像を奉安している。」
「山門」。
「山門」の扁額は「岡津山」。
阿形像が「金剛力士像」、
阿形像は「那羅延堅固王」(ならえんけんごおう)、吽形像は「密迹金剛力士」(みっしゃくこんごうりきし)と呼ばれる。
横から。
吽形像が「密迹力士」(みっしゃくりきし)。
横から。
「金剛像」の裏側にも木造の仏様が。
向かって左側の上には「七福神」の姿が。
向かって右側の上には色鮮やかな「十二神将」の姿が。
そして「山門」を潜り「本堂」への石段を見る。
石段下に「六地蔵」。
「山門」の左側に先程見上げた「鐘楼」。
石段下横の池と十六羅漢像。
境内には十六羅漢像が祀られていた。
この石段を上って行った。
石段前の「伝光閣」。
石段の横で白梅が迎えてくれた。
十六羅漢像が石段の上で迎えてくれた。
羅漢は阿羅漢の略称で、一切の煩悩を断って修行の最高位に達し人びとの供養を受けるに
値する仏弟子や聖者と言う。
十六羅漢は
跋羅駄闍尊者(ばらだしゃそんじゃ)、迦諾迦伐蹉尊者(かにゃかばっさそんじゃ)、
諾迦跋釐駄尊者(だかはりだそんじゃ)、蘇頻陀尊者(そびんだそんじゃ)、
諾矩羅尊者(なくらそんじゃ)、跋陀羅尊者(ばだらそんじゃ)、
迦哩尊者(かりそんじゃ)、弗多羅尊者(ほったらそんじゃ)、
戎博迦尊者(じゅはくかそんじゃ)、半諾迦尊者(はんだかそんじゃ)、
羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)、那伽犀那尊者(なかさいなそんじゃ)、
因掲陀尊者(いんかだそんじゃ)、伐那婆斯尊者(ばなばしそんじゃ)、
阿氏多尊者(あしたそんじゃ)、注荼半託迦尊者(ちゅうだはんたかそんじゃ) と
呼ぶのだと。
石段の上から山門を振り返る。
ここにも十六羅漢像。
「本堂」。
十六羅漢像。
「螢山禅師御尊像」。
曹洞宗の大本山總持寺は、元亨元年(1321年)瑩山禅師が能登半島の櫛比庄「
現在の石川県鳳至郡」にある諸嶽観音堂に入山し、諸嶽山總持寺と改号、元亨2年(1322年)
後醍醐天皇より紫衣を拝領、曹洞宗の大本山となったといわれているのだ。
ズームして。
扁額「永明禅寺」。
寺務所であろうか。
一休さん石像。
日本の曹洞宗の開祖「道元禅師御尊像」。
ズームして。
「本堂」を横から。
「本堂」を斜めから。
「本堂」前の境内を見る。
「本堂」前の石柱には「大圓鏡智」の文字が。
その奥に十六羅漢像。
『もし、ここに水の入った壺があったとして、水面が風で波立っていたとしたら、この水は、
物を正しく映すことができるであろうか?
またもし、この壺が火にかけられて煮え立っていたとしたら、この水は、物を正しく映すことが
できるであろうか?
さらにまた、この壺の水が、長く放置されて、腐り、水苔に覆われていたとしたならば
どうであろうか?
もちろん、これらの水は、物をありのままに映すことはできない。
それと同じく、もし我々の心が、貪り(むさぼり)で波立ち、瞋り(いかり)で煮え立ち、
愚痴(ぐち)で腐っていたならば、我々は正しく物を見ることができるだろうか?
皆の者よ、もちろんそれは不可能なことである。』
ありのままを素直に映す鏡のような心、落ち着き払って正しい判断ができる心、
これを「大圓鏡智(だいえんきょうち)」と言うのだと ネットから。
石柱の先にも「十六羅漢像」の姿が。
・・・もどる・・・
・・・つづく・・・