2022/05/19(木)16:11
古都「鎌倉」を巡る(その115) : 鎌倉湖墓苑~鎌倉湖~鎌倉霊園
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「今泉不動・称名寺」を後にして、次に鎌倉湖畔に向かう。
「鎌倉湖墓苑」の駐車場に車を駐めさせていただく。
「鎌倉湖墓苑」。
鎌倉市今泉3丁目943−1。
現在は「有限会社みどりの杜」が墓地霊園の管理、運営しているとのこと。
駐車場の周囲には「小倉百人一首」が。
「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき 猿丸太夫
秋が深った人里離れた寂しい奥山。土石に散り積もった色とりどりの紅葉を踏み散らしながら、
妻を恋しく思ってか、切々と鳴くお雄鹿の声。この声を聞くときこそ、とりわけ秋の悲しみが深く心に、沁み入ってくる。」
奈良後期または平安初期の伝説的歌人。生没年不明。「猿丸」は名、大夫とは五位以上の官位を
得ている者の称。三十六歌仙の一人。古今集の真名序にその名がみえる。
「世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟(をぶね)の 綱手(つなで)かなしも
鎌倉右大臣
世の中は無常だというが、永遠に変わらず、いつの世も穏やかであってほしいものだ。この渚を、漁夫が小舟に引き綱をつけてゆっくり引いていくさまは、しみじみと心動かされる眺めであるよ。」
鎌倉幕府第3代征夷大将軍源実朝は歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、
小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。
小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。
「高砂の 尾上(をのへ)の桜 咲きにけり 外山(とやま)の霞 たたずもあらなむ
前中納言匡房
(ふり仰げば)はるかに高い峯々の桜も、ようやく開花したようだなあ。人里近い山の霞よ、せっかくの桜が見えなくなってしまうから、どうか立たないでおくれ。
春ももう過ぎ、なごり惜しまれることだ。」
前中納言匡房(さきのちゅうなごんまさふさ・長久2年~天永2年 / 1041~1111年)は大江匡房の
ことで、赤染衛門の曾孫にあたる。
八才で史記、漢書を読み、詩をつくったと言われ、幼い頃より神童と呼ばれていた。
東宮学士に三度も選ばれるなど学問に優れ、正二位権中納言になっている。
また、八幡太郎と呼ばれる武家の棟梁・源義家の兵法の師でもあり、「野に兵が隠れていると、
飛んでいる雁が列を乱す」と教えたことは、よく知られている と。
「秋風に たなびく雲の 絶えまより もれ出づる月の 影のさやけさ 左京大夫顕輔
吹きわたる秋風によってたなびいている雲の切れ間から、時折もれ射してくる月の光の、
なんと清らかで明るく澄んでいることであろうか、だが「、たちまち白雲の中に月は
隠れてしまう・・・。」
藤原 顕輔(ふじわら の あきすけ)は、平安時代後期の公家・歌人。修理大夫・藤原顕季の三男。
官位は正三位・左京大夫。六条と号す。小倉百人一首では左京大夫顕輔。六条藤家2代。
「めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな 紫式部
久しぶりにめぐり逢ったのに、月であったかどうかの見分けもつかないうちに雲に隠れて
しまった夜半の月、その月のように、ゆっくり懐かしむ間もなく、あなたはあわただしく
姿を隠してしまいましたね。」
平安時代中ごろの女性作家、歌人。「源氏物語」の作者。中古三十六歌仙の1人。
藤原為時のむすめで、幼少の頃より当時の女性に求められる以上の才能で 漢文を読みこなした
など、才女としての逸話が多い。藤原道長に認められ、一条天皇の きさき、彰子
(藤原道長の長女) の家庭教師役として仕え、少なくとも1012年頃まで奉仕 し続けたようである。
54帖にわたる大作 「源氏物語」、宮仕え中の日記 「紫式部日記」を著した。
家集 「紫式部集」が伝えられる。
「鎌倉湖墓苑」の前の鎌倉湖畔通りの坂道を上って行くと右手に「散在ガ池森林公園」の
入口があり、ここから公園内に入った。
今泉台にある「散在ガ池森林公園」は、「鎌倉湖」と呼ばれる池を中心とした風致公園。
「のんびり小径」「馬の背の小径」「パノラマの小径」「せせらぎの小径」の4種類の散策路が
楽しめると。
ここを下ると「せせらぎの小径」に出られるのであったが・・・・。
「立ち入り禁止」のバリケードが。
「通行止めのお知らせせせらぎの小経は、集中豪雨の影響により、土砂が堆積している為、当分の問、通行止めとさせていただきます。こ利用の皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、ご理解・ご協力をお願い申し上げます。 散在ガ池森林公園」
止む無く下に降りずに山道を進む。
「木材を生産する森」案内板。
その先に「散在ガ池森林公園」案内板が。
「みなさんこんにちは散在ガ池森林公圓にようこそ、この森林公園はみなさんの憩いの森として、また鎌倉の自然のしくみを理解する場所として整備したものです。散在ヶ池を中心に東西に広がるこの公園は、
小面積ながら、起伏に富んだ地形と静かな森、そして四季圻おリに姿をかえる自然のさまは、
都会の生活に疲れた心をきっといやしてくれることと思います。
市と県では、この残された貴重な森の利用を図ると同時に、未来の子供達にのこしたいと考え、
荒廃した林地などへ植栽を行とともに、みなさんが安心して利用できる必要最小限の施設を
整備しました。都市化が進んでいくなかで残された貴重な森を、大切に守っていけるよう、みなさんのご協力をお願いいたします。それでは、この自然と心静かに心ゆくまで語り合ってください。」
「散在ガ池森林公園」地図。
見にくいのでネットから。
「管理事務所 便所」、「のんびり小径」、「馬の背の小径」案内。
その手前には「マムシに噛まれたら」説明板。
「マムシに噛まれたら」。
そして「鎌倉湖」。
「鎌倉湖(散在ガ池)」は、大船や岩瀬の水田を潤すために江戸時代に山を切り開いて造られた
人造湖。「鎌倉湖(散在ガ池)」は、大船や岩瀬の田を潤すために造られた池で、堰を築いて
造りあげられた。
堰が切れたら水田が全滅してしまうという心配もあって反対する者もあったようだが、
水不足による争いも絶えなかったことから造られたのだと。
「管理事務所の案内」。
「管理事務所」を見る。
そして車に戻り「散在ガ池森林公園」の「南側入口」を訪ねたが、同じ案内板が設置されていた
のであった。
そして次の目的地の「鎌倉霊園」にカーナビをセットして進む。
今泉台住宅地は約2100世帯、5140人が住んでいると。
今泉台住宅地を赤線---のルートで縦断し、その後は山の狭い坂道・明月院通りを下り、
「明月院山門」前に出て、県道21号線で建長寺前、鶴ケ岡八幡宮前を通過し金沢街道・
県道204号線に入り、約30分かかり「鎌倉霊園」に到着したのであった。
「鎌倉霊園」入口。
「霊園内全体案内図」。
「詳細図」。
「鎌倉霊園」は4万基以上の墓が並び、その面積は50万m2以上に及びぶとのこと。
おなじみ、東京ドームの大きさで言うと、東京ドーム11~12個分にあたるのだと。
【https://www.anzaisekizaiten.co.jp/kamakurareien/】より
「鎌倉霊園」内の道路を走り、「観音堂」下で車を駐める。
富士山の勇姿が確認できた。
ズームして。僅かに残雪が確認できた。
「鎌倉霊園 合葬墓 やすらぎ」案内板。
前方の芝生の下にある地下室に設置されたロッカーにご遺骨を骨壷のまま納めるお墓で
あるようだ。
「やすらぎ」碑。
骨壷1個用 1,000,000円骨壷2個用 1,800,000円 であると。
「鎌倉霊園」の最高地点にあった「観音堂」を見上げる
しかし「観音堂」への道は閉鎖され近づけなかった。
ズームして。
手前に「休憩所・売店・管理事務所」。
広大な「鎌倉霊園」を見下ろす。
車がないと墓参りは難しそうな広さなのであった。
再び墓地越しに富士山を見る。
「鎌倉霊園」内の帰路を望む。
「鎌倉霊園」内の「私道」を走る。
・・・もどる・・・
・・・つづく・・・