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カテゴリ:茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次
香川7丁目2−1にあった「道祖神」を後にして「遊水池」まで戻り、「遊水池」の先を 西に折れて進む。 次に訪ねたのが「曹洞宗 玄珊寺 ( げんさんじ )」。 神奈川県茅ヶ崎市香川2丁目27−24。 道路の角にあった「供養塔」。 右側面には「萬霊塔」、左側面に「禁葷酒」と刻まれていた。 裏面には「天明三癸卯十一月 施主観音講中」と。 「玄珊寺 」の正面に。 山号は「香川山」。 「六地蔵」。 歴史を感じさせる石仏は弘法大師像であろうか。 「御詠歌碑 相模國 新四國八十八ヶ所 弘法大師第五十五番札所 御詠歌 伊予の海 三嶋の神の みづかきを にほふ香川の うつしくみけり」 「お姫子育て地蔵」。 「お姫子育て地蔵 元文三年(一七三八年)当時の領主、本間家十代季元忠左衛門が早世した娘の菩提を弔うために 造立したもので、当時よりお姫地蔵とも呼ばれていました。 いつしか子供を守る子育て地蔵としても親しまれ現在に至っております。」 「お姫子育て地蔵」。 寺務所。 「本堂」。 宗派:曹洞宗 開基:開山宗賢院四世の長厳 創建:天正9年(1581) 本尊:釈迦牟尼仏(お釈迦様) 曹洞宗 香川山玄珊寺 ( げんさんじ )は、天正九年(1581年)、現在の 茅ヶ崎市 香川の地に 創建された。 開山は冷室長厳(れいしつちょうごん)大和尚、藤沢市大庭にある宗賢院の第四世住職であった。 開創当初は禅修行のための草庵であったと想像される。 天正十二年、当地の地頭であった本間李忠(ほんますえただ)候が長久手の戦いで戦死し、 その菩提を弔うため、伽藍をたて、寺領を寄進した。 李忠候の戒名は「金剛院殿樹心玄珊居士」、現在は本堂裏手の墓地に本間家の墓所がある。 ちなみに、玄珊寺本堂は西向きというめずらしい建て方がされているが、これは合戦の地で あった長久手を望んでいるためと伝えられている。 当時より香川の村は平坦で田畑多く、その村の中心地に建てられた玄珊寺は、村の名前がそのまま 山号になるほどに村と寺の結びつきが強かったようである。 正面左に安置されているお姫子育て地蔵尊は、元文三年(1738年)、本間家10代季忠元左衛門が 早世した娘の菩提を弔うために造立したもので、当時よりお姫地蔵と呼ばれていた。 以来子供を守る子育て地蔵としても親しまれ、今でも多くの方に参詣されている。 内陣。 ご本尊: 釈迦牟尼仏。 「晋山結制法要 令和四年五月二十九日厳修」と。 「晋山式」とは、新しく任命された住職の正式な就任式であり、また、「結制法要」とは新住職が 最高の法階である大和尚の位に就くための儀式である と。 先代の「本堂」の鬼瓦であろうか。 石庭には、狸の置物が鎮座。 親子連れ? 「本堂」前から境内を見る。 境内は管理された芝生で覆われていた。 寺務所であろうか。 「玄珊寺」を後にして「香川小学校」の通学路を南東方向に進む。 民家の庭のツツジの八重咲きが美しかった。 その先にあったのが「日本キリスト教団 茅ヶ崎香川教会」。 神奈川県茅ヶ崎市香川1丁目34。 「日本キリスト教団 茅ヶ崎香川教会 「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と。 十字架の見える位置から。 掲示板 主日礼拝:毎日曜日 午前10:15~11:30 湘北地区ボランティアセンター。 「当センターは湘北地区社協が運営しています。 湘北地区にお住いの65歳以上の一人暮らしや高齢者世帯の方、病気がちの方、アクシデントで お困りの方などが、手助けがほしいときに、当センターに登録したボランティアがサポーター としてお手伝いします。」と。 左手に「松風台南公園」。 神奈川県茅ヶ崎市松風台3−9。 茅ヶ崎市甘沼の住宅街を次の目的地の「成就院」に向かって進む。 住宅街には、1本のツツジの木に様々な色合いの花が。 ツツジの花の特徴とも言えるのが、いろいろな色の花を一本の木から咲かせること。 そして正面に「成就院」が姿を現した。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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