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JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.08.12
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カテゴリ:JINさんの農園
「田村八坂神社」を後にすると、雨が本格的に降り出し、雷音も聞こえて来た。
傘をリュックから出す為もあり、伊勢原藤沢線(県道44号線)の「田村跨道橋(こどうきょう)」
下に向かう。



「田村跨道橋
平成5年10月
延長12.848m 幅6.000m
高 4.500m
神奈川県」と。



壁面に描かれた絵画を左側から追う。
田村地区を横切る東海道新幹線の姿、そしてその奥に富士山の姿が大きく描かれていた。
手前には相模川も。



向日葵(ひまわり)の姿が。



右側。
八坂神社の朱の鳥居、神輿、桜、神田小学校、そして仲良く手を繋ぐ老若男女の住民の姿が。



相模川で遊ぶ少年の姿、相模川に棲む魚たち、そして神川橋の姿が。



「田村の未来
神田小学校 神田中学校
神田小学校PTA 神田中学校PTA
田村自治連合会 平塚をみがく会」と。



傘をさして、堤防上の道に戻る。
左手に見えて来のが「神川橋」。



伊勢原藤沢線(県道44号線)の「田村跨道橋」越しには「さがみ川」の文字が。



「神川橋」。
「神川橋」は昭和二十八年開通、名は、神田村(現平塚市の一部)と寒川町を結んだ事による。



「神川橋」から「寒川取水施設」の「洪水吐水門」を再び。



「神川橋」から相模川の下流を見る。



更に堤防上を進み、「神川橋」を振り返る。



そして右手に現れたのが「田村の渡場跡」。



「田村の渡場跡」碑。



「田村の渡場跡」碑の横にあった石碑には、
「 阿夫利嶺を まともに仰ぎ 旅人ら 声あげにけむ ここの渡しに 中村清四郎 」と。
ちなみに阿夫利嶺とは、現・阿夫利神社のある大山のこと。



「田村の渡し場
田村の渡しは、中原街道と大山道の二つの往還の渡しでした。中原街道は中原村と江戸を結んだ
脇往還で、大山道は藤沢・江ノ島からの大山参詣のために使われた道です。渡し場のある田村は、
この両往還と平塚から厚木へ向かう八王子道が交差する所で、旅籠屋などもあり「田村の宿」
とも呼ばれていました。渡船場の業務は、田村と対岸の一之宮村・田端村(寒川町)の三か村が
勤めていました。また、田村の渡し場付近は、大山・箱根・富士山を眺望することができ、
景勝地としても知られていました。」



「歌川国芳「富士三十六景相州大山道田村渡之景」(天保5年(1834)頃)」。
大山へ向かう中原街道にあった田村の渡し。空にはそれまでの日本の絵画には見られない
入道雲が浮かんでいる。
渡し場へと降りる高台から対岸とその背後に聳え立つ山並を眺望している。



こちらにも昭和時代の説明碑が。




「田村の地は 古くから 坂上田村麿に由縁の 地と伝え 箱根路につづく 陸奥への海道に
沿ったところに 相模川の渡し場があった
鎌倉時代には 三浦平六義村の田村の館があり 鎌倉武士が しばしば往来したことは 史書に
あきらかである 



また 江戸時代には 関東の霊域大山石尊社への 参詣道として繁昌した
田村の渡し場は 大往郡田村 高座郡一之宮 村 同田端村の三村が管理し 渡し舟・馬舟 など
四艘を常置していた
明治初年の記録に「川幅五百二十二間(約 939米) 水流六十間(約108米)」と
みえている
渡し場から 西方諸山岳の眺景の記録は 最も著名で 詩歌の作品が多くのこっている」



「神川橋水位観測所」。



「神川橋水位観測所
設置場所 神奈川県平塚市田村
     相模川水系 相模川」と。



八王子道と「中原街道・(田村通り)大山道」とが交差する「田村十字路」に向かうと
サルスベリの花の下に「十王堂跡」の石碑があった。



「十王堂跡碑」。
江戸時代にはこの地に、十王堂が建てられていたということ。



「田村十王堂
江戸時代にかってこの田村十字路に十王堂が建てられていた。
伝承によると、天文六年小田原の北条氏が河越の上杉氏を攻撃する際、相模川で合戦があり
多くの戦死者を出した。
この戦死者を妙楽寺の住職が集めて、篤く弔い後生のため十王堂一宇を建てたといわれる。」



道標が2基。



多くの漢字が刻まれていたが・・・。



「右大山みち」と。左側面には「田村講中」と。



その先、左にあったのが「(有)井筒屋菓子店」。
明治時代からの老舗和菓子店。初代店主の「手焼きせんべい」をはじめ、「たむら 渡し最中」で
県指定名菓第144号を取得、「いちご大福」「すあま」など『お菓子は繊細な生き物』を
モットーに菓子づくりに励んでいるとのこと。
しかし未だ開店前。
神奈川県平塚市田村6丁目4−14。



そして「旧田村十字路」交差点まで戻る。
ここは八王子道と「中原街道・(田村通り)大山道」とが交差する場所。
田村は平塚の北東部・相模川沿いに位置し、平塚~厚木線と藤沢~伊勢原線の交わる
田村十字路を中心に展開した地域。
田園の中を西に延びる街道の先に、大山を望める平坦で風光明媚な地域。
古くは、藤沢~田村~伊勢原を通る大山街道と、南北に走る八王子道の茶屋町・宿場町であった。

「田村」という名の由来については2つあると。
1つは、田村とはもともと水田の村という意味を持っていて、単純に水田があったから、という説。
もう1つは、平安時代の武将・坂上田村麻呂が、陸奥征伐の際に訪れたことにちなんだという説。



再び相模川方面に向かって進むと民家の庭には。



夜になるとゆっくりと自分で葉を閉じる。それがまるで眠るようなので「眠りの木」、
それが次第に「ねむの木」に変化し、木の名前になったのだと。
昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る  合歓木(ねぶ)の花 君のみ見めや 
戯奴(わけ)さへに見よ」 万葉集  紀女郎(きのいらつめ)」の歌があると。



歌の内容は「昼は咲いて夜は恋いつつ眠る合歓木の花をあるじだけが見てよいものだろうか。
お前も見なさいな。」と、合歓木の花を自分だけが楽しむのはもったいないので家持も
見なさいと詠い掛けた一首。
「君」とは万葉の時代、女性が男性に対して使う言葉で、また身分の高い女性に対しても使われる
ことがあったようだ。
ただ、この歌の場合は気心の知れた紀女郎と大伴家持の間で、年上の紀女郎が自身を「君」と
呼び、年下の家持を「戯奴」と戯れて呼んだのであろう。
「昼は咲き夜は恋ひ寝る」とは合歓木の花のことを詠ったものと思われるが、これは同時に
夜には男女が恋に乱れて眠るという意味の譬えでもあるのだろう。
まさに「合歓(男女の伴寝の意味)」というこの植物の漢字の由来にもぴったりの表現。
ただ、実際には夜に閉じて合わさるのは合歓木の葉で、花は逆に昼間は閉じていて夕方ごろに
開いて夜の間咲きつづけるという特性があり、この歌の内容とはちょっと矛盾?。
これは紀女郎が合歓木の花の性質を勘違いしていたからだとも言われているが、実際のところは
どうだったのか。
あるいは、この上の句までは「夜には葉を閉じて眠る合歓木」と合歓木そのもののことを詠って、
そこに「そんな合歓木の花…」と続けたと解釈するのが正解か。
合歓の木(ねむのき)の花が雨に濡れて。



そして次に訪ねたのが「田村館」。
神奈川県平塚市田村7丁目21−6。



「三浦義村田村ノ館の跡」碑。



「三浦義村田村ノ館の跡
この地一帯は鎌倉時代の武将三浦平六義村の田村ノ館の蹟である 承久元年七月鎌倉第四代の
征夷大将軍を嗣ぐべき人として迎えられた藤原頼嗣は五日間この山荘に滞在し七月十九日
晴れの鎌倉入府を行った 東鑑によると頼経将軍は数回来泊している 安貞二年七月廿三日も
そのひとつである この時は執権北條泰時 連署北条時房等 鎌倉の将〇多数が〇従し三日間に
わたり田村の秋興を満喫した 館は田村の渡につらなる古街道に面し 大手を北にもっていた
ものと思われる 義村は延應元年十二月に歿している この館はそれに前後して廃された
ものとおもう
承久元年より七百四十年 昭和丗四年春建 平塚市長戸川貞雄撰
真洲田中真治書」



「詩
この附近一帯は三浦平六義村氏の館跡と伝えられています。市はここに昭和三五~三七年に
木造平屋建九五戸を建設しました。その当時田村の皆様は由緒ある館跡地が永遠に消えることを
憂慮されこの敷地の一部でも後世に伝えたいと「由縁の碑」及び館跡地の一部二八一平方米
(八五坪)を市に寄附され、市は田村館跡地として管理してきましたが、その後
昭和五六~五八年に木造住宅を中層耐火構造住宅に建て替えした時、この事業に伴い寄附当時の
位置から北側に若干移設し現在のように整備したものです。」



「鎌倉殿の13人」で「​三浦義村​」👈リンク を演じている山本耕史さん。



                              ・・・​もどる​・・・


                   ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.08.12 04:18:05
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