JINさんの陽蜂農遠日記

2024/02/07(水)11:22

伊豆の紅葉、イルミネーションを愛でに(その5):                          熱海梅園-5・根なし梅~供養梅~石割り榊~常盤木羊羹店~雨宮翁碑~中山晋平先生追憶の碑~

JINさんの農園(2091)

「中山晋平記念館」の裏庭の塀には西条八十作詞、中山晋平作曲の「​熱海ぶし​」👈リンク の 楽譜が彫ってあった。 『♪♪伊豆のあたーみーーか伊豆のあたみか あたみのー伊豆かーオサーヨイトサノセー♪♪』。 右側には「熱海梅園」の梅の姿が。 このラッパ状の黄色い花をたくさん咲かせていた花の名はキバナアマ(黄花亜麻)。 下の写真は入口近くに咲いていたもの。 「黄花亜麻(キバナアマ) ヒマラヤの原産 十一月なかばより咲き始め三月中旬まで咲きます。 茎が筒状で表面が麻のようです。」 「中山晋平記念館」を後にし、入口方面に向かって進むと右側にあったのが「根なし梅」。この近くの梅は未だ蕾。 「根なし梅野梅性の実梅(長束・ナヅカ)の一種で、昭和四十七年の台風により倒れかけていたものを起こしたもので、その際根元が半分幹から裂け、上半の根元は根が切れてなくなったことから「根なし梅」と呼ばれてる。」 左側にあったのが「供養梅」。 「供養梅有難や 熱海栄えの 人柱熱海の今日の繁栄は東海道線丹那トンネル開通に起因するといわれておりますが、この梅の木の直下で大正十四年の丹那トンネル工事中落盤事故により十七名の殉職者がでました。これを含め昭和九年の竣工まで六十七柱の尊い犠牲者に対し(敬虔なる)感謝の意を表し、昭和三十五年ここに梅の木を植え、供養梅と名付け市民の意を体し顕彰したものです。」 「石割り榊」 「月光は 流れに砕け 河鹿なく   羽多野光雨(はたのこうう)」。 真っ直ぐ進むと正面ゲートへ。 再び紅葉を追う。 この正面ゲートへの初川沿いの路は、紅葉のプロローグはこれから? 紅葉鑑賞には緑も必要!! 「常盤木羊羹店」。 お茶を御馳走になりました。 「鶴吉羊羹」と。 梅ようかん。フルーティーで上品な味わいが特徴とのこと。 「雙眉橋」を再び見る。 これぞ「熱海梅園」の紅葉が続く。 中国人用の「熱海梅园指南」と。 左手奥にあったのが「雨宮敬次郎翁碑」。 「軽便鉄道の創設者 雨宮敬次郎翁碑 甲州の人 雨宮敬次郎翁は資性豪邁にして不言実行の人 翁はことの外熱海を愛し明治四十四年 一月二十日病を得て此の地桜ヶ丘の別荘にて逝く。享年六十六才。 翁は熱海をこよなく愛し熱海の街の発展を思うことから「熱海ー小田原」間の人車鉄道 軽便鉄道の 開拓にのりだし困難を排除して遂に実現させたのであります。今日の熱海伊東線・東海道線開通の 糸口も翁の先見性と絶大な努力がなかったならば熱海の今日の発展はなかったでありましょう。 もって翁の恩恵が熱海のためにいかに大きなものであったかをうかがい知ることができるので あります。因みに翁の生家は山梨県東山梨郡奥野日村です。」 この路線は、少なくとも「人車鉄道」なる、人間が客車を押すという際だった特徴を持つ 鉄道の中では、全国一有名なものと。 ​​人道鉄道・豆相人車鉄道​👈リンクは明治29年(1896 )に小田原~熱海間に開通した鉄道 (下記緑で示された線路)で、4~6人を乗せた客車を​2~3人の人夫が押して走るものであった。 そして明治40年(1907 )、人車鉄道は蒸気機関車の軽便鉄道に変わったと。     【http://yamaiga.com/rail/zusou/main.html】より 「熱海鉄道の軽便列車」。      【http://yamaiga.com/rail/zusou/main.html】より 2020年に根府川の「おかめ桜」を愛でに行った際に第2会場の『離れの宿星ヶ山』にあった 「​​​人道鉄道・豆相人車鉄道​​」👈リンク の写真。 「中山晋平先生追憶の碑」。 「中山晋平先生追憶の碑について 明治20年( 1887年)長野県に生まれ、明治45年( 1912年)東京音楽学校一現東京芸大)卒業。今向名曲として伝わる「カチューシャの唄」でデビュー以来歌謡曲ては独特の「晋平節」を確立。多くの劇中主題、童謡、新民謡を作曲した。昭12年( 1937年)以来熱海市西山に住居、熱海に関する数々の作曲をされた。「熱海節・熱海とろりこ・梅祭りの唄・丹耶トンネルの唄・熱海第一小学較校歌(熱海国民学校)」がそれらてある。代義的な歌曲としては、島村抱月と相馬御風の「カチューシャの唄」北原白秋の「さすらいの唄・別れの唄」吉井勇の「ゴンドラの頭」等でその後「東京音頭・船頭小唄・波浮の港・東京行進曲・銀座の柳・雨降りお月・諸城寺の狸囃子・てるてる坊主・あの町この町」等々数多くの名作を残し、その数3000曲を超える。昭和27年(1952年)12月30日、熱海市西山で逝去。没後西條八十先生を会長とする中山晋平顧彰会を中心に昭和36年(1961年)1月建碑・碑面には「熱海節」の譜を理め込み、「熱海の風光を愛しここに不朽の名曲を生めり中山晋平追憶碑・西條八十誌」と彫りこんである。」 元熱海市長の「小松勇次像」。 「澤田政廣」の作品であると。 ​ 「石乗りもみじ」。​ 「全国梅サミット記念植樹 水戸市・安中市・越生町 大梅市・小田原市・岐阜市 田辺市・南部川村・岩国市 武雄市・人吉市・熱海市     平成八年二月八日」 「’96全国梅サミット宣言 1996年2月1日、”梅”を共通の資源と考える市町村が日本全国からここ熱海市に集い、 寒に耐え、新春を彩る”梅”をキーワードとして次のとおり宣言を行いました。 1 梅が香る我がまちを愛します。 2 梅に始まる日本の四季を尊びます。3 梅に集う多の人を歓迎します。4 梅を住民のやすらぎに生かします。 5   梅を愛でる心の文化を広めます。6   梅を仲立ちとする友情を大切にします。」 再び初川沿いの流れを追う。 「もみじまつり 熱海海上花火大会」ポスター。 そして「熱海梅園」入口前の「梅園 観光熱海」碑。                                  ・・・​もどる​・・・                    ・・・​​つづく​​・・・ ​

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