2024/03/25(月)06:31
浦賀ドック見学とYOKOSUKA軍港めぐりツアーへ(その1) : 往路~浦賀ドック(1/3)
この日は2024年2月26日 (月)、
横浜発 浦賀ドック【世界に4か所しか現存しない造船所跡】見学と軍港めぐりYOKOSUKA
クルージングツアーに元同僚2人と参加しました。
横浜駅中央南改札口に9:30に集合し、ツアーの出発場所に向かう。
途中、道に迷ったがが定刻の9:50に集合場所に到着し、大型バスで出発。
参加人数は合計10人と極めて少人数。
横浜横須賀道路に向かって進む。
左手に「横浜ランドマークタワー」。
首都高速神奈川1号横羽線を進む。
前方に「富士山」の姿が現れた。
「首都高速神奈川3号狩場線」を進む。
横横道路方面に。
「六ツ川料金所六ッ川料金所(むつかわりょうきんじょ)」を通過。
「六ツ川料金所」から横浜横須賀道路に入り横須賀方面へ。
「佐原」ICで「横浜横須賀道路」を降り、国道134号をJR久里浜駅方向に進む。
「尻こすり坂通り」と書かれた道路標識。
1853年、開国を求めにアメリカからやってきたペリーが初めて日本の地を踏んだのが、
現在の横須賀市久里浜。ペリー上陸の地から車で5分ほど、国道134号線沿いに
「尻こすり坂通り」という標識が掲げられていた。
急坂のため荷車を押して坂を通ると、荷車の後部が擦れてしまうことから名付けられたという。
「尻こすり坂通り」の全長は約3.3km。
そしてこの日の最初の見学場所「浦賀ドック」に到着。
バスを降りると、前方に造船所跡の巨大な構造物とクレーン(一部解体)が目の前に。
ここは、一世紀以上にわたって約1,000隻にのぼる艦船等を造り続けてきた住友重機械工業
株式会社旧浦賀工場の跡地。
平成15年(2003)に閉鎖されるまで、日本丸や海王丸をはじめ、青函連絡船・護衛艦などの船が
この造船所で建造され、街で働く人たちでにぎわったのだ。
『レンガ造り』のドライドック(明治32年(1899)建造)を見られるのは国内で唯一ここだけ
とのこと。
令和3年(2021)にドックを含む周辺部について住友重機械工業株式会社から横須賀市に
寄贈されたのであった。
ドックサイドに現在も残る唯一のクレーンを見る。
クレーンには「浦賀船渠(うらがせんきょ) 昭和20年6月 7T」と書かれた
銘板が掲げられていた。終戦2ヶ月前の昭和20年6月に設置されたクレーンなのであった。
浦賀船渠(うらがせんきょ)👈️リンク は、神奈川県横須賀市浦賀地区にあった造船所。
通称浦賀ドック。日本海軍の駆逐艦建造で有名である。太平洋戦争後も艦艇の建造が
続けられたが、2003年(平成15年)に閉鎖された。2021年(令和3年)3月に、施設及び周辺部が住友重機械工業から横須賀市に無償で寄付されたと。
現在の社名「住友重機械工業株式会社」は、昭和四十四年(1969)に浦賀船渠(株)にはじまる浦賀重工業(株)と合併してからのもの。
正面にクレーン用のレールが残されていた。
造船マンたちにも、このレールを敷く作業はなかなか難しかったとみえ、レールの
敷設工事にはJRマン(旧国鉄の技術者)の技術を借りることがあったと聞いた。
クレーンが数十トンの鋼材をつり下げて高所へ運び上げる際に、下のレールの数ミリの誤差に
よって大きな事故が起きることのないようにと、細心の注意を払って敷設作業を行っていた
のだと。
レールの先には「浦賀ドック」の建造物が拡がっていた。
控室入口には「URAGA DOCK HOUSE」と。
そして、説明員の方の案内で「浦賀ドック」の見学開始。
浦賀ドック(浦賀レンガドック、住友重機械工業浦賀工場)は、1899年(明治32年)から1世紀以上
に亘って約1 , 000隻以上の船舶の製造や修理を行ってきた、世界に4か所しか現存しない
(諸説あり)とされるレンガ積み「ドライドック」の一つ。「ドライドック(乾ドック)」とは、船体の検査や修理などのために水を抜くことができる
ドック。船渠(せんきょ)、乾船渠(かんせんきょ)とも呼ばれるのだ。
レンガ積みドライドックは、国内では同じ浦賀工リアにある川間ドックと浦賀ドックだけしか
なく、明治期の産業革命の技術や歴史を知るうえで、貴重な近代化遺産。なお、川間ドックはマリーナとして利用されているため、海とドックを隔てる門が撤去され、
常時海水が満たされた状態である。そのため、保存状態は浦賀ドックのほうが良好とのこと。
浦賀ドックの寸法は長さは約180m、幅は約28.2m、深さは約10m。
創建時の規模は長さ約148m、幅約18(下部)~21(上部)m、深さ約10mであったと。
船舶の修理・メンテナンス用のドライドック。フランス人技師による設計で、レンガの長手の
小口を交互に積み重ねる「フランス積み」という技法で造られている。
海とドックを隔てる門・ドッグゲート(扉船式)の方向を見る。
ズームして。
中央に「船台(せんだい)」が並ぶ。船体を水から上げることは「上架(じょうか)」と呼ばれ、その際に船体を載せる台は「船台(せんだい)」と呼ばれるのである。
以下 ネットから
「浦賀船渠株式会社 第1号船渠設計図」。
明治31年3月設計 担任技師 杉浦栄次郎
「ドックの構造1.レンガ 船渠側壁・底部用:約130万個 (上等焼過レンガ等を愛知県安城市の岡田煉瓦製造所創業者 岡田氏から購人) 船渠裏込用:約85万個 (久比里・久我氏から購人)2.セメント 外国産(イギリス・ドイツ) 総量1430.6 t ( 8,300樽) ※1樽380ポンド入
3.石 相州産堅石と割栗石 総量 約1377m34.ドックゲート(扉船式) 当初国内製を採用予定だったが、物価高騰によりイギリスから購入
ドックの大きさ
1.長さ: 148m (488.140尺)
2.渠ロの幅:上部21m (70.290尺)
下部18m (59.070尺)3.深さ(渠口) : 10m (33.660尺)」
「明治三十一年四月起工 明治三十ニ年十一月竣工 担任技師 杉浦学次郎」
私が生まれた1950年代の浦賀ドック全景。
◯部分が今回見学した「第1号ドック」。
浦賀ドックの歴史案内。
①ドック底を収めた写真
②参画した咸臨丸フェスティバルでは、機関工場横にステージを設置し、地元中学校の
吹奏楽コンサートなどが多数開かれた。
③ドックゲート部を掘削中の写真。
⑤練習帆船 日本丸の進水式で、支綱切断を美智子妃殿下(当時)が行われた。
④レンガドック建造中の写真。
現在ドックがある場所にはもともと山があり、建造にあたり山を人の手で切り崩し現在の形が
出来上がった。
⑥レンガドックの改造工事図面。明治32年の竣工時点で
全長148m、最大幅28.2m、深さ82mであったが、昭和58年に28mの延長が工事行われた。
⑦明治33年に軍艦 「吾妻」がドックへ入った(入渠)ときの写真。左奥に見える煙突を持った建物はポンプ所で、
ポンプが格納されている地下部分は現在も当時のまま残っている。
「浦賀ドック120年あゆみ」。
船首方向を見る。
船の大型化が進み、船首部分は昭和58年に28m延長されたと。
ズームして。
桜の蕾はまだ固かった。
「浦賀ドック(住重旧浦賀工場1号ドック)
浦賀駅の目の前に広がる工場跡地は、かって住友重機械工業株式会社浦賀工場でした。
1 8 9 6 (明治29 )年に浦賀船渠株式会社が創設され、浦賀ドックが建造されました。
2003 (平成1 5 )年に閉鎖されるまで、一世紀以上にわたって帆船日本丸をはじめ、青函連絡船・護衛艦など多くの艦船を建造・修理してきました。ドックの底まで見学できる総煉瓦造りの
ドライドックは国内で唯一ここだけです。」
船首方向からドックゲート方向を見る。
全長180mあると。
船渠側の壁にはフランス積みのレンガ壁が。
右手には、この後にドック底部まで降りた白く塗られた鉄骨製階段が見えた。
「横須賀 浦賀レンガドック PHOTO SPOT
~浦賀レンガドックと写真を撮ろう~」
「浦賀船渠(うらがせんきょ)昭和20年6月 7T」と書かれたクレーンを振り返って。
近代化遺産の宿命とも言えるのが、施設の老朽化。使用されなくなった建造物や機械は、
ほとんどメンテナンスされなくなることから、老朽化が加速していく。ここ浦賀ドックも例外ではなく、放置することで危険をともなう施設は、解体や撤去されて
いっているのだ。浦賀ドックを象徴する施設の一つてあった大型のタワークレーンも、近年まで
アーム部分が取り外された状態で残されていたが、現在は撤去されて、クレーンが移動していた
レールとわずかな部品を残すのみとなっているのであった。
説明員の方から「ドライドックの仕組み」についての説明が。
船舶・艦船をドックに入渠(にゅうきょ)させる前に、まず盤木と呼ばれる支えを構築
しなければならない と。
その後に扉を閉じて海水をドックに入れる。
そして外部海面と同じになったら扉を開け船が入渠(船がドックに入ること)する。
そしてポンプにて海水を抜く。
盤木を設置することで、ドックが排水された後でも艦船を直立させておくことが可能となる。
船体の形状に合ったものを設置する。いわば、船の模型を置くための台のようなものをつくる
のである。盤木の材質はコンクリート、鉄、木などである。
盤木の一例を紹介したページがネットに有ったので紹介します。
下記の写真に示す盤木は、鉄筋コンクリートと、樫と松の木から成り立っています。
盤木とタッチする船体形状に合わせて、硬い樫と柔らかい松を組み合わせて使います。
船体が盤木全体とタッチする場合は、松を船体にあてその下に樫を敷きます。船体が
盤木の一部分にだけタッチする場合、船体には樫をあて、その下に松を敷くことにより
クッション性を保ちます。
当社で使用している盤木の重量はおよそ 2~3.5ton ほどで、フォークリフトの爪やワイヤーを
鉄筋コンクリート部分にあいている 2 つの穴に通して移動させます (写真 1 参照)。
一船の盤木をセットするのにかかる時間は、船底がフラットな船であれば 1~2 日ですが、
曲がり部が多くかつ精度が要求される船の場合は 4~5 日かかることもあります。当社には修繕で様々な船が入渠しますので,各々の船型にあわせた盤木配置とする必要が
あります。大型のタンカーやバルカーの場合,船底のフラットな部分にだけ盤木を配置しますが、
曲がり部が多い船はほとんどの盤木が曲がり部に配置されます。下記写真2に盤木配置の一例を
紹介します。きれいな船型になっていて、まるで船体に優しいベッドのようです。このような
曲がり部が多い盤木配置の場合、盤木の高さ調整等の苦労があるようです。スタビライザー、シーチェスト、ボトムプラグ、ソナードームなど、盤木が当たってはいけないものには注意が
必要です。かなり以前の話ですが、改造で船底に追加設置されたソナーが船渠係に手渡された
図面に反映されていなかったために、船体と盤木との間でソナーがサンドイッチになったことが
あるそうです。ベッドは体に合ったものでないといけないように、体の状況 (船体の状況) は
しく伝えないと怪我につながります と。
写真2
スタビライザー、ソナードームの位置の紹介パネル。
スタビライザー: 船底近くの両舷に魚のひれ(Fin)のような金属板が突き出しており、船の
揺れに対応して航行時の水流に対する角度が自動的に調整され、この時生じる
揚力によって揺れを最小限に抑えるよう働く。船体に沿って流れる水流を
利用しているため、船速が早ければ効果は強く、遅ければ弱く現れ、船が停止
すれば全く効果を失う
ソナードーム: 軍艦ではバルバス・バウの内部にソナードームを備えた艦艇が多数存在する。
主に敵潜水艦の位置や動きを把握するために使用される軍用ソナーを配置する
場所として、船首部水中にあって大きな球状のバルバス・バウはうってつけで
あるためである。
すぐ近くを通る県道に鉄粉や塗料が飛ばないようネットを張るための柱であったと。
現在は半分ほどの長さに切断されていると。切断面には草たちが元気に生えていた。
手前の2台の装置は、船舶が真っ直ぐにドックに入渠するように制御する装置であると。
こちらも入渠時に船舶をワイヤーで牽引する際の巻き上げ装置・ウィンチであろうか。
ドックに海水が満たされている時の写真。
牽引装置・ウィンチ。
再びクレーンを見る。
今回の説明員の方。
浦賀奉行所の与力、中嶌三郎助。
1853(嘉永6)年の黒船来航時、浦賀奉行所与力の中島三郎助はペリー側の「最高位の役人
以外とは面会しない」との強固な姿勢に対し、同行した役人を「副奉行である」と嘘をつき
黒船に最初に乗船した日本人です。中島は、大砲などの装備を探るため、ちょこまかと動き
まわるのでペリー側の記録には「大胆で出しゃばりしつこく詮索好き」と残されています。
しかし、その行動は、西洋型軍艦鳳凰丸の建造に大いに役立ちました。その後、勝海舟・
榎本武揚らとともに長崎の海軍伝習所へ派遣され、江戸に戻ってからは海軍操練所教授方
として後輩の指導にあたり、海国日本の造船・操船の第一人者となりました。戊辰戦争で
函館五稜郭にて新政府軍を迎え撃ちますが武運尽き、ふたりの子供ともども壮絶な死を
遂げました。
再びドックゲート部方向を、その先には浦賀湾が。
再び右側の船渠側の壁にもフランス積みのレンガ壁が。
反対側をズームして。
レンガ積みの説明。
浦賀ドックは「フランス積み」で施工されていると。
フランス積みは、長手と小口を交互に並べていく方式。正面から見ると、長さが違うレンガが順番に並んでいます。
積み上げていくと、長手の中央部分に小口がくる規則性もフランス積みの見た目の特徴。
フランス積みには、小口のみ長時間加熱する「鼻黒(はなぐろ)」という技法があると。
加熱することで独特な色合いが出て、長手との濃淡の差から「外観を最も美しく見せる積み方」
として、明治初期頃、洋風の建造物に多く使用されて来たとのこと。
また、フランス積みで知られる方式ですが、発祥の地がフランドル地方とされているため、
正式名称は「フランドル積み」、または「フレミッシュ積み」と言うのだと。フランス積みの耐久度
建造物に多く用いられてきたフランス積みですが、その後日本に登場したイギリス積みの方が
耐久度に優れているとされ、徐々に衰退していったとされています。しかし、明治後期以降もフランス積みを用いた建物は残っています。
イギリス積みは、レンガの長手(長い面)だけの段、小口(短い面)だけの段を交互に
積み上げる方式。
イギリス積みは、土木構造物や鉄道の橋梁などでよく見られる。
日本では時代的にフランス積みよりも後に採用された積み方であるとのこと。
ネットからの写真。
・・・つづく・・・