2024/05/11(土)06:20
横須賀市浦賀の旧跡・神社仏閣を歩く(その13):旧川間ドック~長瀬隧道
久里浜方向への道を「旧川間ドック」に向かって進む。
「city marina VELASIS(シティマリーナヴェラシス)」。
VELASISは、Vela (帆/スペイン語)とOasis(楽園/英語)からなる造語で『帆の楽園』と
いう意味。皆様にやすらぎとくつろぎの場所としてご利用いただき豊かなマリンライフに
少しでもお役に立てればとの願いを込めての命名したと。
「city marina VELASIS(シティマリーナヴェラシス)」入口。川間ドック(住友重機械工業川間工場)は、当時、東京石川島造船所の取締役会長たった渋沢栄一の
提案により1895年(明治28年)から建設が開始されたレンガ積みドライドックです。
横須賀製鉄所(横須賀造船所)で技術を学んた恒川柳作が設計を担当し、東京石川島造船所
浦賀分工場として1898年(明治31年)から営業を開始した。近隣の浦賀船渠とのダンビンクによって両社は経営を悪化させることとなり、1902年(明治35年)
には浦賀船渠に買収されて、浦賀船渠の川間分工場となり、浦賀船渠1号トックの通称
「浦賀ドック」に対して、「川間ドック」と呼ばれるようになった。1984年(昭和59年)に工場が閉鎖された後は、跡地はマリーナ施設として再開発されて
現在の「city marina VELASIS(シティマリーナヴェラシス)」となったのだ。
「city marina VELASIS(シティマリーナヴェラシス)」配置図。
入口にあった錨のモニュメント。
右手奥に事務棟。
正面に(株)HSマリン。
ボート・ヨット用品、艤装品、マリンアクセサリー全般を扱う会社であると。
椰子の葉の影を。
右手にあったのが介護老人保健施設「ソレイユカーマ」。
横須賀市西浦賀5丁目32−2。
そして眼下に「川間ドック」。
川間ドックは世界に4か所しかない(諸説あり)とされるレンガ積みドライドックの一つで、
国内では同じ浦賀工リアにある浦賀ドックと川間ドックだけしかなく、貴重な近代化遺産です。現在はシティ・マリーナ・ウェラシスの一部として利用されていて、クルーザーの係留や
ダイビングの体験などに利用されています。ドックのゲートは撤去されていて、常に海水が満たされた状態のため、レンガ積み
ドライトックとして内側を見ることはてきません。そのため、レンガ積みドライドックの
内側壁面の全体像を見たり底に降りることができるのは、日本国内では浦賀ドックだけです。」
常に海水が満たされている川間ドック。
ゲートの外はそのままヨットハーバーにつながっているのであった。
移動して。
介護老人保健施設「ソレイユカーマ」を振り返る。
道路の擁壁にはヨットやカモメ、ハマナス、灯台の姿が、
ここを右折して久里浜方面に進む。
自販機には案内地図が描かれていた。
「ようこそ、横須賀へ」。
そして前方に「長瀬隧道」が現れた。
少し西側にある川間隧道の旧道である。
隧道入口脇には多数の石仏が置かれていて、道の歴史を感じられたのであった。
「長瀬隧道 横須賀市」。
完成 1930年(昭和5年)
改修 1971年(昭和46年)
全長 51.5m
幅 5.8m
高さ 5.4m
入り口には複数の庚申塔がまとめて置いてあった。
横須賀市西浦賀5丁目33。
一面六臂青面金剛立像。
隣のこちらも一面六臂青面金剛立像。
これも一面六臂青面金剛立像。
手は六本で、本手は合掌か。
その奥にも石碑が所狭しと並んでいた。
延長 52mの「長瀬隧道」を歩く。
「長瀬隧道」では女性の幽霊・少女の幽霊・老婆の幽霊が目撃されているため心霊スポットと
呼ばれているとネットには。
「長瀬隧道」を出て少し歩くと、右手桜が描かれた「川間隧道」の出口が。
「現在地」。
・・・もどる・・・
・・・つづく・・・