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カテゴリ:国内旅行
ここ5ヶ月ほど、アイルランド・ロンドン旅行記を長々とアップしてきましたが、今日からは、
その後の旅行についてアップさせていただきます。 この日は6月13日(金)、成田山新勝寺に自治会役員仲間と向かいました。成田山新勝寺の総門に 向かって進む。右手奥に見える大きな屋根の建物が総門で、その先に仁王門や大本堂へと続きく。 道の両側には土産屋さんや飲食店が並び、参拝客でにぎわう場所。 このあたりは「成田山表参道」と呼ばれ、うなぎ料理や和菓子のお店が多いことで知られて いるのだ。 ![]() 成田山新勝寺の総門(そうもん)が前方に現れた。 総門は新勝寺の表玄関にあたる荘厳な門で、平成19年(2007年)に建立された比較的 新しい建築物。門の前には「成田山金剛力院新勝寺」と刻まれた大きな石柱があり、 参拝者が記念撮影をしている様子が見えるのであった。この総門をくぐると、 次に「仁王門」、そして「大本堂」へと続いていた。ちなみに、総門の屋根は銅板葺きで、 木組みの細工や装飾も非常に見事で、伝統的な寺院建築の美しさが感じられたのであった。 ![]() 成田山新勝寺案内図。 地図の下の方(南側)から参道を通って入ると、次のような順に主要な伽藍が並んでいた。 1.総門(そうもん) — 表玄関 2.仁王門(におうもん) — 金剛力士像が守る門 3.大本堂(だいほんどう) — 成田山の中心、本尊・不動明王が祀られている 4.三重塔(さんじゅうのとう) — 色鮮やかな重要文化財 5.釈迦堂(しゃかどう) — 旧本堂 6.光明堂(こうみょうどう) — 江戸時代初期の建築 7.平和の大塔 — 新しい時代のシンボル塔(仏舎利奉安) また、右上の方には広い池と庭園が描かれており、ここは成田山公園。春は梅や桜、 秋は紅葉が美しい散策スポットになっているのだ。 ![]() ネットから。 ![]() 名称:総門(そうもん) 所在地:千葉県成田市 成田山新勝寺 建立:平成19年(2007年)再建 形式:入母屋造(いりもやづくり)、重層門 特徴:伝統的な木造建築で、組物(斗きょう)や彫刻が極めて精巧。屋根の反りや飾金具などに 荘厳な意匠が施されています。 🔹中央の扁額(へんがく) 中央に掲げられている額には成田山(なりたさん)」と。 これは成田山新勝寺の山号(さんごう)であり、 正式名称:成田山金剛王院新勝寺(なりたさん こんごうおういん しんしょうじ) 宗派:真言宗智山派 本尊:不動明王(ふどうみょうおう) 所在地:千葉県成田市成田1番地 創建:天慶3年(940年) 開山:寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう) その起源は、平将門(たいらのまさかど)の乱を鎮めるため、朱雀天皇の勅命によって、 寛朝僧正が京都・東寺から不動明王を奉じて成田に来たことに始まります。 戦乱が収まった後も、不動明王は「ここにとどまりたい」と示したため、寛朝が堂宇を建立し、 これが成田山新勝寺の始まりとされています。 通称:「成田不動」「成田のお不動さま」 ・成田山(なりたさん) 「成田」は地名ですが、「成(なる)」=成就・成功、「田」=豊穣を意味することから、 「すべての願いが成就し、豊かに実る地」という吉祥的な意味もあります。 ・新勝寺(しんしょうじ) 「新たに勝つ寺」すなわち「平和と安寧の勝利を祈願する寺」という意味。 開山の際、平将門の乱を鎮めるために護摩修法を行い、「戦乱を鎮める=勝利する」という 願いから名付けられたのだと。 ![]() 総門を振り返る観光客そして我が旅友。 ![]() その先に仁王門。 ![]() 仁王門。 新勝寺の境内入口正面石段を登ると阿形、吽形の二力士像を安置した仁王門がある。 その正面向かって右側に口を開いた阿形の那羅延金剛(ならえんこんごう)、左側に口を 閉じた吽形の蜜迹金剛(みしゃくこんごう)、裏仏には右側に広目天、左側に多聞天が 安置されており、境内の入口にあって伽藍守護の役目を担う。この仁王門は、3間1戸の 八脚門であり、屋根正面は千鳥破風及び軒唐破風、背面は軒唐破風付きの入母屋造の 銅板葺である。組み物は三手先で、軒は二軒の扇垂木である。両側面の壁には、ケヤキの 一枚板を用いるなど、堅牢で宏壮に建造され、材料、工法とも優れており江戸時代末期の 特色が見られる。 また、頭貫上の各柱の間には、後藤亀之介、天保2年(1831)の竹林の七賢人、司馬温公 瓶割りなどの彫刻が施される。建立は、棟札の記述から文政13年(1830)である。 ![]() 名称:仁王門(におうもん) 建立:文久元年(1861年) 構造:入母屋造(いりもやづくり)・銅板葺(どうばんぶき)・二重門(にじゅうもん) 重要文化財指定:1958年(昭和33年) 場所:成田山表参道の終点、大本堂へと続く石段の手前に位置 仁王門は、成田山新勝寺の表玄関にあたる壮麗な山門で、 参拝者が俗世から聖域へと入る「結界の門」としての役割を持ちます。 ![]() 門の中央には、ひと際目をひく大きな赤い提灯が掲げられていた。「魚がし」と書かれた 大提灯は、東京・築地の魚河岸の旦那衆が、1968年に奉納したもの。紙張りのように見えるが 骨部分は砲金(青銅の一種)製で、重量が800キログラムにもなる と。 ![]() 正面向かって右側に口を開いた阿形の那羅延金剛(ならえんこんごう)。 左手に堂庭御護摩受付所横の「光輪閣」入口門。 ![]() 「光輪閣」脇門へと進む。 ![]() 「光輪閣」。 1975年(昭和50年)建立 本坊(寺務所)及び客殿を備える地上4階・地下2階の建物 四階「光輪の間」は千数百人が、一度に入れる480畳の大広間がある。 一階が受け付け・二階から四階は坊入りなどの接待をする客殿。 ![]() 明治天皇成田行在所碑。 ![]()
棟 梁 常州那珂郡羽黒村 桜井瀬左衛門 次棟梁 同国同郡 中野左五兵衛 同国茨城郡笠間 藤田孫平次 竜の尾垂木彫刻 下総国武射郡堺村 伊藤金右衛門 彫物師 江戸○○住 無関圓鉄 羽目板「十六羅漢図」彫刻 法起寺(ほっきじ)の三重塔(国宝)が現存最古の三重塔である。 創建は慶雲3年(708年)
聖徳太子像。 大山忠作画伯の壁画が堂内六面にあります。 写真では牡丹・白鷺・菊が見えた。
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Last updated
2025.11.16 00:00:11
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