その後のピーターパンとウェンディ(続・大人になりたくない人たち)
「ピーターパン」は、イギリスの有名な児童文学ですが、終盤にウェンディが大人になってからの話がのっているヴァージョンの本はどれくらい出回ってるのでしょう。私は子供の時に世界の有名な物語・民話を集めたシリーズ誌を、毎月買ってもらっていました。母が買ってくれていると思い込んでいたのですが後からきくと、叔母(1/2の日記の叔母とはまた別)が買ってくれていたらしい。ほんと感謝。あの配本すごい楽しみだったんだよね。彼女は絵や工芸が好きで、今インドで学生をしていますが、自分が本好き・絵好きになったのは基本的にひとりあそびが好きな子供だった(誰かと遊んだり集団行動をとったりというのが苦手だったので一人で本読んでるか絵描いてるほうが楽しかったのです)というのもありますがその叔母の影響というのも、大変大きいと思います。そのシリーズの中のピーターパンには、ウェンディが大人になってからの話はのっていなかった。(その割には、「眠り姫」の話の王子との結婚後の続きの、人食いお后の話はのってたのになあ^^;グリム残酷童話が有名になって出回る前のこと私は小学生くらいのときにそれを読んでいたので、眠り姫っておっかない話だなーと子供心に思っていた。)ウェンディが大人になってからの話は、おぼろげに人づてに知り、興味を持って英語版のピーターパンを買って、そのときに読んだのでした。細かい描写などははっきりおぼえてないのですが、ものすごく切ない場面でした。はっきり覚えてないけど、ピーターがだんだんウェンディのところに行かなくなったのか、ウェンディがピーターのことを次第に忘れてしまったのか、自然にお互い疎遠になってしまったのか、どれでしたっけ。で、ウェンディは人間ですから大人になって、結婚し、子供もいるわけですがそこに昔の(子供の)ウェンディがまだいると思いこんでるピーターがある日突然いくわけです。大人になってしまってからのウェンディからみたピーターパンという存在と、大人になることを永遠に拒否しつづけている存在であるピーターからみた大人になってしまったウェンディという存在のお互いの衝撃と温度差のからみは痛々しくシビアでした。救いも用意されてはいますが。興味がある方は、結末まで書かれているピーターパンを読んでみてください。