怠惰の壺
ロシア語で怠惰のことをレーニと言うそうである。ウラジミール・イリッチはなかなかに食えない男であったわけだと河西稔は第一詩集に書いている。自分もあやかりたいものだと。子供の頃から詩が好きで、ずいぶん詩は暗記もしたし作りもした。話のまとまらぬ村落共同体より、老後は詩でもまた作ったらと、私の若き日の詩を二三読んだだけの、ソクラテスになりきれぬ農業青年は悩める顔を隠しもせず、そんな世間一般的な誰でも言いそうなことを言ったが、吉本の言う職業詩人ならいざ知らず、詩なんてものは作れたら作ればいい、作れなければ書かなくてもいい、そんなもんだ。朔太郎曰く、文学の中では詩が一番!の理由がそこにあると思う。まー私の場合は、脳みそが全然詩的でなくなっただけのことだが。主人の先輩がそろそろ終活を始めるんだとか。いまだ残っているのは刀と硯。私は殊更終活をする必要性を感じないが、するなら詩集ということになろうかとは思う。そんなわけで実家のものは出せないが、今日はここにある詩集を少しだけ引っ張り出してみた。