最高の天皇
古代史を多少読むに過ぎない私。天皇のことなど何も知らないに等しい私だが、今上天皇が歴代天皇の中では最高の天皇ではないか思う。それは政と関係なくなったせいかもしれないし、象徴としての天皇ということを突き詰めて考えて来られたせいかもしれないが、健造先生がよく講義された、あの昔々の本家から分家に分かれて行った頃の、皆が身内であったような、皆がわが子であったような、人に対する時の、その慈愛の眼差しを思うのである。誠実さ。気高さ。すべてにおいて、庶民の私たちにとっては最高の人だったと思う。「孤独の人」にあったように、たった一人しか歩めない道を、これ以上ないほど真摯に歩まれたのだと思う。子供の頃、昭和天皇のことをあれやこれや言う人が沢山いた。大抵は皇室否定論者達だったのだろうが、下々のそのまた下々の私達家族には、天皇や皇室など何の意味も感慨もなかったと思う。戦争で肉親や知人を失い、家や故郷や多くを失った者達の心情は察するに余りあるが、空襲も戦後焼け跡闇市も何も知らず、私達は戦後教育を受けて育った。二十歳を過ぎた頃だったか、100人が語った昭和天皇とかなんとか、そういう題名の本をなんとはなく読んでみる気になった。読みながら幾度も涙した。戦後間もない貧しい田舎の畑中をやれた背広姿で歩かれていた天皇。天皇の顔を拝んだら、あんたのせいで家族は皆死んだ、あんたのせいで皆こうなった、あれもこれもいっぱい文句を言ってやろう、そう思っていたのに、顔を見たらもう胸が詰まって、ただ涙だけが溢れ続けた、そう言っていた人の気持ちがよく分かるような気がした。天皇の戦争責任という本は何冊も読んだ。当然責任はある。責任はある、天皇と私達は皆同じ心だった。あると言ってください、一緒に責任を取ろうと仰ってください、と訴えた人の言葉にはやっぱり涙が流れた。私はあの甲高い、あれが帝王学を学んだ人の口調なのかもしれないが、昭和天皇のお声というのが好きではなかった。けれど、天皇に関するそういう本を読んだ頃から、天皇という人は可哀そうな人なのだと思うようになった。御逝去のニュースはスキー場で聞いたのだが、その死に方もやはり可哀そうな死に方だと思わずにはいられなかった。私はその後、割合よく古い皇室関係のグラフや書物を手にするようになった。美智子様がナルちゃんを見る目が良かった。カメラなど構わずわが子ばかりをご覧になっていた。そしてやはり天皇が良かった。美智子様を見る目が優しさに満ち、愛に満ちていた。そうして私はどこまでが本当か嘘かは知らないけれど、「孤独の人」を好きになった。今は誰も小泉信三なんか読まないが、そのうちまたひも解いてみようかしらんと思う。さて、新しき天皇の時代はどういう時代になるか?来年は私より若い天皇のご誕生である。