ひよきちわーるど

2016/01/12(火)00:10

忙中閑あり

万葉集(11)

毎日多忙で身体も疲れ切っているはずなのに 眠りがとても浅い。 つい3時間ほど前、ベッドの中に入ったのだけれど もう目がさめてしまった。 床の中でじっとしているのも辛いので 思い切って起き出す。 パソコンを起動させ メールチェックをすませ 返信が必要なものに関しては返信する。 お気に入りのサイトを一巡し ひよわーるどにログイン。 ただいま 明け方の5時半。 今日の動きは神戸と尼崎。 かなりハードな1日となりそう。 選挙戦において いったん闘い始めたからには 勝つ以外にない。 勝たなければ意味がない。 「頑張ってみたけど、だめでした~!」では お話にならないのである。 そんな中でも、星空を見上げたり 夕焼けを眺めたりする気持ちは失いたくないと思う。 □■□■□■□■□■□■□■□■□■ まんじゅしゃげ 赤き籠編む曼珠沙華 夢を匿うかたちと思え            吉川宏志 「青蝉」 あの彼岸花の形をもって「夢を匿う」とは 何と素敵な例えだろうと思う。 成る程その花を見ていると その花の中に 何かがすっぽりと収まりそうである。 実は紅い彼岸花はあまり好みではなく どちらかと言えば 白やクリーム色、ピンクの方が好きである。 殊に白い彼岸花など繊細優美で しばし見とれてしまうほど。 道の辺の いちしの花の  いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は           柿本朝臣人麻呂歌集 巻11・2480 万葉集中、ただ1首に見られる彼岸花ではあるけれど (今のところ彼岸花が定説のようになってはいるらしいけれど  諸説があまりに多い。いわゆる「壱師論争」) この歌に出てくる「いちし」は白い花のように思える。 確かに「いちしろく」は「はっきりと」という意味ではあるが それだけではないようにも思えるのだ。 第一 作者にしたって 本によっては柿本人麻呂の作と伝えるものもあり また作者不詳としているものもある。 この「いちしの花」が 一体どの花をさしてるのかは この歌を作った人にしか分からないのだろうな。 私自身、全くの素人だからこそ 勝手なことを言えるのだけれど もし、この歌の作者が人麻呂だったと仮定して 歌聖とも呼ばれる彼が 何より大切に思う自分の妻を詠う中において そのひとつの歌の中に 自分の妻と彼岸花とを 一緒に詠い込むだろうかと思うのである。 彼岸花は 言わずとしれた毒草。 学者によっては 「いちし」を紅い彼岸花とする人もいるけれど あの毒々しい赤を呈している彼岸花を (しかも毒草を) 自分の愛する妻を詠った歌の中に一緒に織り込むだろうか。 万葉の時代に生きた人々が 何より白い花々を愛したことを思えば そして自分の想いを詠い上げた歌であるならば やはり「いちし」は 気高さをも感じさせる 白い美しい花ではなかったか。 万葉植物について調べるのであれば 確かに数多くの文献、資料にあたることも大切ではあるけれど それらの資料だけで結論を出すのはどうかと思う。 万葉の世界は あくまで感性の世界である。 万葉の頃の人々と同じ目線で そして何より  あの頃の人々と現代の私たちの間には 気の遠くなるような年月が横たわっているとしても それでも、根底は全く何も変わっていない、同じ感性を秘めた人間なのだと言うことを いつも忘れずにいたいと思う。

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