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ひよきちわーるど

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2007.01.02
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カテゴリ:生きていくこと


先月でしたか ユングの心理学についておさらい致しましたが
そのことをきっかけとして様々思うことがありました。

自身の中には 自分が生まれてこの方思ったこと、言ったこと 経験したこと等
全ての情報が蓄積されていて
いや、それのみならず自分の先祖の情報までもが積み重なっていること。

先祖といいましても何代か前・・・という生やさしいものではなく何千年も遡ること。





・・・子供を持って ふと思ったことがあるのです。

遙か昔から伝えられてきた命を次の世代に伝えることが出来、ほっとひと安心しますと同時に
命の持つ不可思議について様々思うことも多くなってきたのです。

他のご家庭のことにつきましては全く分かりませんし
このようなことを他の方とお話しする機会もありませんでしたので
これからここに書きますことはどうしても我が家のことになってしまうのですが
娘の成長過程におきまして ふと気付くことがあったのです。

いつかの日記に書いたことではありますが
我が家には推理小説の類は一切置いていないのですね。

なのに娘が小学中学年になりましたとたん、急に推理小説に夢中になり始めたのです。
もちろん、お友達の影響ではありませんでした。
事件もののテレビも我が家では見ませんし、
きっかけとなるべきものが我が家には何ひとつとしてなかったのです。
それにもかかわらず まるでタイマー付きの時限装置が作動するかのように
彼女の中で何かが動き始めたのでした。

実は夫も私も小学中学年の頃、推理小説に夢中になった時期があるのですね。
夫はホームズ、私は江戸川乱歩でした。
そして娘はアガサ・クリスティ。

娘に訊きますと「何か知らないけど急に読みたくなった。」と。






今、彼女は漫画を描くのに夢中になっています。
その漫画ノートも既に数十冊にもなっており、お話も十何話に突入とのこと。

思えば、私も小学校5,6年生の時には漫画を描くのに夢中になっており
クラスのお友達にみてもらっていたのですね。そう、今の娘と全く同じなのです。
何十冊というノートを描きつぶし自分の世界を表現するのが楽しくて仕方ありませんでした。

娘も現在、自分の描いたものをクラスのお友達にみてもらってまして
「続きはどうなるん?」と訊かれ 困るやら嬉しいやら・・・なのだそうです。

もちろん今の私は漫画を描くこともありませんし、読むこともほとんどなくなっている状況です。
自分にそういうことがあったということすら忘れ去っておりました。

それなのに 娘はまたもや時限装置の法則に従い(?)
来る日も来る日も漫画を描き続けているのですね。
今の娘をみていますと まるで30年前の自分自身を見ているようなのです。






・・・自分の実家のことを考えてみますと
父は学校にて建築を教えておりましたが
その建築の夢を、我が家の末の妹が引き継いでいるのですね。

そう、建築設計業を営む旦那様と一緒に毎日忙しい日々を過ごしております。
今春からは幼稚園の園舎の建設も始まりますます多忙となってくることでしょう。

末の妹はもともと銀行員だったのです。
けれど ふと気付けば父と同じ道を歩んでいるのですね。




そしてまた弟は、父と同じ教育の道に進んでおります。
私たち子どもが幼い頃、よく父の生徒さんが家に来られまして何かしら相談していました。

そう、時間なんか関係ないのですね。
夕食時に来られることもありましたし 夜遅く・・・ということもありました。
そして学校の寮から電話などかかってきますと、父は素早く着がえ 
学校にまで飛んで行っておりました。
自分のことを省みることなく人のために動くその姿を見、教育という仕事の崇高さを思わずにはいられませんでした。

そういう父の姿を見て育ったからでしょうか。
弟は父と同じ教育への道を進むこととなります。

そしてまた弟の選んだ専門が(偶然ではありますが)曾祖父と同じものでした。
曾祖父は潮力発電に取り組み、戦艦の設計に携わった人でもありました。



私の次の妹は現在看護師をしておりますが
おそらくは私たち先祖の誰かが医療に携わっていたか
もしくは人の手助けとなる仕事をしていたのではないかと思うのです。
心優しい妹です。

そしてまた今の自分が染色や着物に関心を持っておりますのも
もしかしましたら 関西にて織物の仕事をしていた祖父や
呉服商を営んでいた曾祖父母の血を受け継いでいるからなのかもしれません。



不思議だと思いませんか?
毎日何らかの刺激を絶えず受け続け 多くの情報に触れているというのに
その膨大な量の中から自分が無意識のうちに取捨選択してきた結果がこれなのです。

この「無意識」というものが実は怖い(笑)。
自分の意志で選んでいるはずのものが 実は遙か昔からの先祖の記憶に深く影響されているものらしいのです。
ユングの説によれば、ね。





自分の今の人生が 先祖の記憶に深く影響されているものであるならば
自分の先祖が一体どのような人生を歩んだかとても気になるわけですね。
だって自分も先祖と同じ道を歩むことになるかもしれないわけではないですか。

そこで気になりますのは 彼らがどんな仕事に就いていたかではないのです。
彼らが幸せであったかどうか。
どんな心根で生きていたのか。
悔いのない人生であったのか。


何千年も遡る先祖の記憶が自身のうちに存在することを思えば
これから先の人生、どの先祖の記憶がより鮮明に現れてくるのだろうと そんなふうにも思うわけです。



自分の代から2、3代遡りましただけでも
何組もの夫婦のうち(つまり私の両親、祖父母、曾祖父母ですね)
実に70%から80%の確率で 夫婦のうち片方が幼い子ども達を遺し30代の若さで亡くなっているわけです。
どうしてこうも似通ってくるのだとぞっと致しました。

そしてまたどうしたことでしょう、親族には交通事故が多いのです。
ユングによりますと交通事故に遭う人というのは一生のうち何度でも遭ってしまうそうですし
遭わない人というのは滅多に遭わない、とのこと。
そういう人の先祖を江戸時代にまで遡り調べてみますと
先祖もまた早馬や早籠によって亡くなっているのだそうです。

夫など一体何度事故に遭っていることでしょう。入院もしております。
そしてまた私もそうです。重傷を負い4ヶ月もの入院を余儀なくされました。
私の父も何度も遭っておりますし母だってそうです。弟も。そして妹も。
従妹も今から18年前に事故で亡くなっております。

・・・・一体何なんだと思いました。





先祖を遡れば何千人、何万人もの人との深いつながりを意識せずにはいられないことでしょう。

時折ふと思うのです。
山上憶良の貧窮問答歌を眼にしますとき、自分に繋がる先祖もまた
このように厳しく辛い中を生きてきたのだろうかと。
家族を抱え炊くべき米も何もない中を一体どのようにして命を永らえたのだろうと。

時代を下れば 戦国の世を逃げまどい 身分制度の確立後はそのことで更に苦しみ
どのような思いで生きたのだろうと思うのです。


最も近いこの100年のうちにおきましても
(上記の如く 2、3代遡れば高い確率で夫婦のうちどちらかが若くして亡くなっている)
配偶者を亡くし 遺された方は幼い子どもを抱えどんなにか途方に暮れたことでしょう。

そして若くして逝かなければならなかった人たちもまた自身の幼い頃に親を亡くしており
親を亡くすその淋しさを痛いほど分かっているが故に
今我が身もまた 子を遺して逝かなければならぬことをどれほど悔しく思ったことでしょう。





明治時代、平和を望んでいたはずの曾祖父も一体どのような思いで戦艦を設計したのだろうと。
我が子にどのような想いを託していたのだろうと思うのです。

母の家が 割菱の紋を守り続けてきたことを思う時
主君のために一体どれだけの人々が血を流してきたことだろうと。

戦の中で人を殺めた者もいたことでしょう。そして命を落とした者も。
それで本当に幸せだったのかと、それしか生きる術はなかったのかと
痛ましい気持ちで先祖のことを思うのです。

そして一方漁業を生業としていた先祖もまた
荒れ狂う海でしか生きる術はなかったのかと
もっと安全な場所で生きていくことは出来なかったのだろうかと。






・・・思いますことは、これから先自分の人生におきまして
一体どのような出来事が起きてくるのだろうと。

それが我が先祖とどのようなつながりを持つものだろうと。

いや、その前に 何故にそのような先祖の記憶を背負う者として
この世に生まれてこなければならなかったのかと。

別に 隣の家の○○家の長男として生まれてきてもよかったわけです。
もっと言えばまたその隣の△△家の次女として生まれてくることも可能だったわけです。

しかし、自分はこの家の長女として生まれてきたわけでして
この家の先祖の記憶(言い換えれば遺伝子ですね)を内在させる個体として
この世に生を受けなければならなかったわけです。


誰がどこに生まれ落ちるか。
そのことを決めるのは神仏では決してなく
(神や仏が決めなさるのだとするところから宗教の腐敗は始まる)
あくまで自分なのだと思います。








この生は 良く生き良く死ぬためのもの。

そして次の生へと繋がるもの。




私ね、人は生まれたくてこの世に生まれてくるのだと思います。
誰かから命令されたからとか、苦しみを受けるためとか
生まれ出てくることを運命づけられているとか そういうものではなくてね。

生まれてきたいからこの世に生まれでてきたのだと思うのです。
幸せになるために。



自分が春の生まれだからというわけではないのですが
春の暦の異称に「夢見月」とありますでしょう?
そう、春三月の別の名です。



人は誰しも夢を持ってこの世に生まれてくると思うのです。
叶えたい夢、先の世で届かなかった夢。

その夢が一体何であるのかは人それぞれなのでしょうけれど
生まれてきたばかりの赤ちゃんってお手々をぎゅっと握りしめているでしょう?

そのちいさなちいさな手の中に
一体どんな夢を包んでいるのだろうと思うのです。





ユングの説が真理であるならば 誰しもその奥に遙か昔の記憶を秘めているのでしょうけれど
幸せになりたいと祈った先祖の思いも このような人生を送りたいと胸に描いた夢も全て
その記憶の中に鮮やかにのこされていると思うのです。

そして今 この自分が思い描く夢も我が子に引き継がれ
何百年後かの眷族の中に現れてくるものなのかもしれません。





子孫のことに思いを馳せますとき 胸によみがえる言葉があります。
2002年9月のひよわーるどにて書いた日記ではありますが

生ある限り

この日記の中に書かれてあるブッダの言葉に触れましたとき
私はそのひろやかさに心打たれたのです。





そう、今生きている人も
そしてこれから生まれ出てこようとする人も 皆しあわせであるように。

哀しいことも 辛いことも乗り越えてゆく。
乗り越えゆくだけの力が私たちの中にはある。

乗り越えて つよく幸せになりゆくための生である。





私のこの生は一面から見ましたら
先祖の記憶を受け継ぎそれを次代に引き継ぐためのものであるかもしれません。

確かに先祖の記憶を塗りかえることはできません。
けれどその上に更に書き込んでいく記憶は 紛れもなく私のものなのです。




子孫の中に残っていくであろうその記憶が
少しでも豊かで美しいものであるよう

自分の生を丁寧に紡いでゆくだけです。
















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Last updated  2015.08.19 22:38:01
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