ひよきちわーるど

2015/03/12(木)10:20

世に知らず暑き

季節の美(92)

昨年も夏の暑さを堪え忍んだ・・と記憶しているのだけれど 今年は、おそらくは昨年の暑さなど吹き飛ぶほどの強烈さ。 日差しは、もはや「痛く」、 殺人的であるとさえ思う。 かといって、部屋の中を冷房で冷やす・・・というのも ひよこの場合、困りものであって (体調がおかしくなる) お昼間の暑い時間帯にはひたすら水仕事に精を出し 首筋には保冷剤をあて 何とかしのいでいる。 ・・・つよい冷房による体調不良と このひどい暑さ、一体どちらをとりますか?と問われれば ちょっと考え込んだ後に このひどい暑さをとるだろう。 どんなに暑くても 水仕事のおかげで涼をとることも出来るし 窓を開けていれば風も流れ込んでくる。 それでも暑さから逃れることの出来ないときには 少し温度の低い浴槽に身を沈めればよい。 ・・・こういうとき 幼い頃に父が言っていた言葉を思い出す。 「南国で生まれ育った人間はどこででも生きてゆける」 それが科学的に立証されているものなのか、それは分からないのだけれど(笑) この気温、湿度の高さの中において 冷房をつけずとも生きてゆけるのは やはり幼い頃の過ごし方によるものかもしれない、と思ったりもする。 記憶がおぼろなのだけれど・・・どうやら汗腺に関係しているもの、だったような。 地獄のサウナ状態である南国の夏に比べれば こちら関西は幾分しのぎやすい。 しかし、しかしである。 スーパーの、あの怖ろしいほどの冷房はどうにかならぬものか(涙)。 体調を整えるため 自宅においてはほとんど冷房を使わぬよう気をつけているというのに スーパーに入ったとたん、その努力も水の泡である。 お買い物から帰ってきた後、ぐったりとなってしまう。 倦怠感、ひどい吐き気、腹痛・・・ 何処も、ほどほどの冷房でよいはずなのに。 「夏は、世に知らず暑き」 夏は徹底的に暑いのがよいのだそうで それでも、今年のこの暑さには閉口している。 折しも 今日は立秋。 体調不良に悩まされた今年の夏ではあったけれど それでも、夏にしか味わうことのできないさまざまなものには 愛着を感じてもいる。 ・・・早朝、網戸から流れ込む涼しい風。 眼に飛び込んでくる光の眩しさ。 窓からのぞく空はくっきりと青く 力を与えてくれる。 よそさまの花壇に咲くHeavenly Blue . お隣から聴こえてくる風鈴の音。 汗をかいて仕事に励んだのち 石鹸でさっぱりと洗い上げる心地よさ。 熱く、フライパン状になったアスファルトへの打ち水。 いつしか 自分の心も 冷たい水で満たされてゆく。 ひんやりと冷やした西瓜。 小さなスプーンですくって頂く。 我が子と一緒に作るかき氷。 シャッ シャッ シャッと涼しい音。 「美味しい」と笑いかける その愛らしさ。 道端で早くも秋の花・・・女郎花の咲く姿を見 あ、と胸をつかれる。 蝉時雨の中に身を置くとき 今年の、この2010年夏の中に 確かに私も存在していたのだと思う。 夏のひとときをかみしめながら 確かに生きていたと。 ただ、そのことに感謝していたい。 暦通り 確かに秋はすぐそばに来ているのかもしれないけれど もう少し、夏を身近に感じていたい。 「夏は世に知らず暑き」などと呟きつつ 確かにこの暑さにはほとほと困ってもいるのだけれど 今、目の前にある季節を 視覚、聴覚、触覚・・・備わるさまざまな感覚を使って 受け止めていたいと思う。 おそらくはそれもまた、 生きていることのひとつの形だと思うから。

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