ひよきちわーるど

2015/02/19(木)09:45

知恵袋

病(80)

タイトルのように「知恵袋」などと書いてしまうと 何やらたいそうな感じがするのだけれど。 このたびの入院生活で感じたことを 改めて書き留めておこうと思う。 頭に思いうかぶものから順不同に。 1、まず、術後、過ごす部屋について。   時計を付けてほしい。   時間を知ることは、ベッドに眠る患者にとって必要なこと。   時計さえあれば 今の痛みをあと何時間我慢すればいいか見当もつくし   うまく言えないけれど、心の支えになる部分は大きい。   ラジオ、もしくは音楽を流してほしいな。   しーんとした中、術後の傷も痛く、身体の自由もきかず   ・・・殺風景な天井を見つめているだけなんて辛すぎる。   看護師さんは無言で体温をはかるのではなく   声かけ、もしくは身体の一部に手を添え励ましてほしい。 2、腹部手術をした者にとって食事は拷問。   ただでさえ少食の人間に対し、「完食」を要求するのはやめてほしい。   食事など 傷を修復しながら少しずつ、少しずつ摂ればいいと思う。   摂取できる量も何もかも、患者によって千差万別である。 3、ベッドの中からだと看護師さんの人間性が見えてくる。   中には「白衣の天使」そのものの方がいらして   どんなに嬉しく有り難かったことだろう。   患者の痛みや不安に寄り添い、助けてくださる。   本当にすごい方々だと思った。   反面・・・・うーん、この方は、一度ご自分も手術を受けてみる必要が   あるのでは?と思わせる方も(笑)。   痛みのため、ゆっくりとしか動けぬ患者を強く引っ張る。   足もとに落ちてしまった物を(お願いしても)知らんふりする。   心電図をとるための機械をあちこち探すのはよいのだけれど   「ないわねえ、どこいったのかしら」などと独りごち    廊下を歩く患者の胸元を(断りもなく)はだける。   要するに、患者をひとりの人間として見ていないのではないだろうか。   痛みや不安を感じる人間としてではなく、あたかもひとつの症例として見ている。   共感能力に欠けていると言わざるを得ない。   共感能力に欠ける人間は医療、教育の現場に立つべきではない。 4、退院するということは完全に治癒したというわけではなく   あくまで急性期を過ぎた、というだけに過ぎない。   なので、ほとんどの患者がそうであるように   日常生活を自力で送ることが出来ないままの退院となる。   痛みも残り、体力もほとんど戻らぬ状態での退院。   これがどんなにしんどいものか、このたびのことで痛感させられた。   まず、台所に立っても野菜を切ることができない。   腹部の傷が痛く、力を込めて野菜を切ることができないのである。   これには驚いた。   琺瑯のお鍋がもてない。元気なときには全く気にならなかったのに   退院していざお鍋を持とうとすると大層重く、困り果ててしまった。   消化器に関係ない手術だったらそう神経質になる必要もないのだけれど   とにかく・・・今回だけは食事に気を遣った。   腸閉塞になっては大変なので、消化のよいものを摂るよう心がけた。   しかし退院直後は、消化のよいものを自分で作ることができない(涙)。   それでレトルトのおかゆに頼ったのだけれど・・   レトルトなど、あれは元気な人のための物だ。   そう、あくまで元気な人のための非常食にすぎない。   病人は食べるべきではない。   ・・・・わかってはいたのだけれど 自分で作ることができないので   仕方なくレトルト生活だった。      しかし、レトルトなんて3日間が限度。消化にもよくない。 つ、続きは また次回に。 日記を書き留めるにも体力がいる・・・・(^_^;)    

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