2016/02/23(火)11:52
せめて2番目で
病気になって気付いたこと。
自分のことを一番心配してくれるのは、他ならぬ自分だということ。
(こうやって文章にしてみると身も蓋もない)
一番心配してくれるのは、親でもなければ知人でもない。
自分自身である。
自分と同じくらいか、もしくは
自分以上に心配してくれている人がいる・・・というのは幻想に過ぎない。
(最初)、人は案外、このことに気付かない。
けれど年数が経つにつれ、否が応でも気付かされることとなる。
だからこそ、他者が病を得たときには
私はせめて、2番目に その人のことを心配する存在でありたい。
いや、もっと言えば、
一番心配している存在になりたいと思うことは大切ではあるけれども
それでも、なれないのだ、
なれるとすればせめて2番手なのだ、と気付くこともまた大切。
人間は本来、独り。
誰しも、癒えることのない病を得た時には
深い孤独を感じる。
だからこそ、人は、この長い旅路を
他者とともに手を携えていかなければならないのではないかと思う。