2020/03/11(水)12:35
生きていくこと 5
小学校3年生の時でしたか、同じクラスのお友達が話しかけてきました。
「 ○○さん、勉強できるね。 」と。
・・・一瞬、え・・?と思いました。 謙遜などではなく、本当にまごついた。
誰か他の人と間違えている、と。
今にして思えば 当時、いつも一緒にいたお友達が頭もよく、
はきはきとしてクラスのリーダー的存在でした。
顔が似ていたため、おそらくはそのお友達と私とを間違っていたものと思われます。b(T-T)
前回の日記にも書きました通り
当時、私は交通事故により4か月もの入院生活を余儀なくされ
ようやく退院してきたばかり。痛む右脚を引きずっての毎日ではありました。
そして( これまた前回の日記に書いたことではありますが )
1年生の算数のテストでは軒並み0点(笑)。
そんな風に・・ただでさえみんなに後れをとっていたというのに
2年生で、いきなり長期にわたる入院生活。 これは本当に大きかった。
あとでわかったことではありますが、学校の職員会議にて
私をひとつ下の学年に編入させようという意見も先生方から出ていた、とのこと。
思えば、1年のうちの3分の1以上学校を休んでいたことになるのですから
先生方のお考えも頷けるというものです。
結果的には学年を変わることなく、有難いことにそのままだったわけではありますが
久しぶりの学校ではまさに浦島太郎状態。勉強もわからなかった。
当時、水泳も球技も苦手、クラスの中でもいるかいないか分からぬおとなしさ、
身体も1番小さかったまさにないない尽くしの私にとりまして
唯一( いわば )自身の武器であったはずの逃げ足の速ささえも
交通事故の後遺症により全く失われていたのでした。
そして右手には以前にはなかった大きな傷。 本当に・・まいりました。
そんな中、クラスメートからかけられた言葉が、上記のようなものだったのです。
いや、人違いだ、私はそんなんじゃない、と慌てて否定しましたが
その友人はこうも続けたのでした。
「 ○○さんは、きちんとしてる。 」と。
きちんとしているという内容がどのようなものだったのか・・
今では確かめる術もありませんが
今にして思えば、勉強面・運動面・社交性の面において優れたものなど持たぬ、
退院してきたばかりの頼りない自分。
そんな自分が、「学校」といういわば閉ざされた世界で生きていくためには
何に対しても全力でぶつかっていくしかなかったわけです。
本当にそれしか方法はなかった。
クラスメートには難なくできることが、自分にはなかなかできない恐怖。
幼い頃から 皆に取り残される怖さが身に沁みていました。
だからこそ 宿題が出されれば、絶対に忘れないよう肝に銘じる。
漢字の書き取りも学校でのテストも(無闇に)頑張る。
先生の仰ることをしっかり聞く。
・・・そうでもしなければ、とても安心できなかったのです。
おそらくは、そんなのっぴきならぬ精神状態で学校生活を送っていた私の姿を見、
そのクラスメートは 「きちんとしてる」と感じたものでしょう。
実際にきちんとしていたのかどうか今ではわからないのですが(笑)
そしてまた冒頭の勉強云々、という言葉につきましても
もはや言わずもがなのこと、完全なる人違い。
けれど、今にして思えば・・・その時のクラスメートの言葉が本当に有難かった。
だって、不安いっぱいで入学した小学校では
テストを受けるたびに0点。 これは恐怖だった。
国語の本読みをしても先生から「声が小さい!」と叱られ
家に帰り、父に算数の特訓を受けましてもさっぱり理解できず
理解できないがゆえに父にも叱られる。
怠慢で、そしてふざけていて理解できないのではなく
懸命に努力しても駄目だった。
もう、限界だった。
当時は家に帰りましても、既に自分の下には弟や妹が3人おりましたから
何処にも私の甘える場所などなく
おそらくはストレスによるものだったのでしょう、
7歳という年齢であるにも拘わらず自律神経失調症を発症することとなります。
・・・そんな時の クラスメートの冒頭の言葉だったわけです。
そんな言葉、
私にとりましては生まれて初めてだった。
人違いだと分かってはいても
私の心にどんなに大きく響いたことか。
その彼女の屈託のない言葉には
まるで魔法の力がこもっているようでした。
なんて安心できる言葉なんだろう、と。
そして、たった一言、こんな風に言ってもらえるだけで
こんなに安心できるのであれば
もし、実際に、本当に、勉強のできる人になれたら
もう、毎日不安と闘わなくていいんだ、と。
それが、勉強を頑張り始めるきっかけとなってくれました。
今にして思えば 確かに、頑張る目的が「 探究心 」ではなく
ただ安心を手に入れるため、と言うのが少々疑問ではありますが
そしてその後、頑張る割には案の定結果が伴わないわけですが(笑)
それでも、大きく踏み出すひとつのきっかけになったのではないか、と思うのです。
( 続きます )