日は沈み月が昇る

2013/10/24(木)14:51

生と死

かなり久しぶりにブログを更新します。 最後にブログを更新したのは、2011年の5月下旬ですね。 その頃私は、中学の頃から仲良しだった親友を亡くしたばかりでした。 彼女は、癌で亡くなりました。 2010年の6月に一度顔を見せに来て以降、メールしたりして近状報告をしていましたが、病気についての話は無く、元気だよ~って返信を信じて年末か年明けに集まろうねと言っていました。 その間友達は、私達に会うことを励みに辛い治療をしていたそうです。 おかしいなと思い始めたのは、年末年明けの集まりに来れなさそうだといい始めた時でした。 風邪をこじらせた、インフルエンザと言われ、日にちをずらすといっても都合が合わないと言われ、嫌われたのかな?と本気で悩んでいました。 それから1ヵ月後余命半年と宣告され、最後に会いたい人はいる?と聞かれた時に私ともう一人の親友に会いたいと本人から癌だと教えられました。 それまで、家族やごく一部の親類にしか病気のことを言っていなかったそうで、ご近所さんも亡くなるまで知らなかったとビックリしていました。 余命半年と聞いて信じられなかったし、一緒に年を取っていくものだと思っていたので友達に迫る早すぎる死に、受け入れることができずにいました。 そんな時に起きた大震災。 多くの方がお亡くなりになり、人の命はこんなにも儚く尊いものなのかと日々の報道を見て感じていました。 被災地で懸命に復興される方々を見て、自分もがんばらねば!!と勇気をいただきました。 30年近く生きてもこの様に奮い立たせていただかないと何もできないのだと、まだまだ未熟で学ぶべきことが多いと痛感しました。 奇跡が起きて、友達が助かるんじゃないかという期待を持っていましたが、そんな甘い考えは現実になることはないのだと、以降友達に何ができるかを考えました。 どんな小さなことでもいいから、友達を思い考えました。 これは、前からやっていましたが、面白い画像を探して笑わせる。 友達のお母さんが友達が送られてくるのを楽しみにしていたと言っていました。 毎日だと疲れるだろうから、少し日にちを置いて送っていました。 ディズニーランドに行きたいと本人から言われ、具体的な日取りを決め、車の手配、病院への根回し等体調を考慮して話を進めていましたが、急変して叶わず。 もっと早くにこちらから誘えば良かった・・・ 会うときは、普段通りにする。 私も友達に会うまでは不安でしたが、いざ会うと話したいことがいっぱいで楽しく話せました。 変わらないことが嬉しかったとメールを貰ったときは、友達も不安だったのかと余計な気苦労をさせてしまったのかと、自分を責めました。 まだ色々ありますが、できなかったことの方が多くてもっと早く行動していればと後悔ばかり。 できなかったことを実行していたらしていたで、友達の負担になったかもと考えたり・・・ 私の思いは、親友に届いていると思うから、これでよかったのだとようやく思えるようになりました。 翌年祖父が交通事故にあい、脳損傷で障害が残り施設に入所。 入所後1年もしないで癌になり余命半年と宣告され、最後の1ヶ月は私と母が交代で付き添い泊まりをしました。 親友に何もしてあげられなかったと後悔していたので、祖父にはできるかぎりのことはしたので悔いはあまりありません。 後悔は、一緒に見ようと言っていたグレムリンの映画を祖父が寝落ちてしまったので一人で見たこと。 翌日ちょっと拗ねてたみたいです。 祖父の最後を看取ったのは私でした。 いつもは、4時頃に寝るようにしていたのに、その日に限って12時くらいに眠くなり祖父に少し寝るねと声をかけて、簡易ベッドに横になって2時間したら祖父の呼吸が弱くなっていると、看護士さんに起こされました。 それから10分もしないで呼吸が止まり、心臓が止まり亡くなりました。 涙や汗を拭いたり、体の向きを変える手伝いをしたり、夜中に急変することが多いと聞いていたので起きていたのですが、亡くなった日にかぎって寝るなんて。 祖父が心配かけまいと、寝かせたんだじゃないかと親戚に言われました。 祖父は優しい人だったからな~とちょっと納得。 立て続けに、親しい人を亡くし生きること、死ぬことを考える機会が多くなり、何気ないことが幸せなんだと改めて感じました。 車で追突され後遺症が残り、仕事でヘルニアになり、健康そうに見えても体が思うように動かなくなったので、余計そう感じるのかもしれません。 体を動かす仕事は辞めて、自宅でできる仕事を探そうかと思っています。 そんなに仕事がなさそうなんで難しいかな?

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