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テーマ:タイガース党(8213)
カテゴリ:阪神2010
虎・金本、矢野のために優勝するぞ!
この日ばかりは、矢野のために-。盟友へ白星を贈りたかった。脳裏に焼き付く思い出が、金本の背中を押したが結局、無安打。2四球で得点には絡んだものの、同点で迎えた七回には勝ち越して、なお二死一、二塁の好機で二飛に倒れた。 練習後に行われた会見。自身の気持ちを整理するように一度、報道陣をスルーした。ベンチに向かいペットボトルを手に取り水を含んだ。心を落ち着かせた…つもりだったが、溢れる友への言葉は止まらなかった。 「『俺の分まで頑張ってくれ』と連絡がありました。どうにかならなかったのかと、悔いが残ります。ちょっとショックです。大学時代(東北福祉大)から一緒に野球をやって、敵としても戦いましたし、味方としても2回優勝しました。2回の優勝の瞬間に、同じグラウンドにいれたことを、うれしく思う」 長年バッテリーを組んだ球児も登板はなし。恩返しの150Sとはならなかったが、こちらも“愛妻”への感謝を口にした。 「前日に連絡をもらいまして『お前の球を受けられてよかった』と言ってもらいました。思い出は多すぎて分からない。打たれたときに、一緒に悲しんで、辛い思いをしてくれた唯一の人なので、寂しい。自分をここまで上げてくれた1番の方です。できたら最後の1イニングだけでも、僕の球を受けてもらえたらと思っていました」 この日、勝利で応えることはできなかった。だが、改めて強くした思いがある。 金本 「矢野の分までというのを忘れずにやっていきたい」 球児 「優勝が決まってからでも、受けてもらえたら」 矢野のために優勝を-。117試合目にして、新たなスローガン。もう突っ走るしかない。 矢野引退にノムさん「努力は裏切らない」 ◆阪神監督として矢野を正捕手に育てた楽天・野村克也名誉監督(サンケイスポーツ専属評論家) 「いつか現役に終わりはくるが、自分から身を引くのもまじめな矢野らしい。正捕手にしたのは、何より真面目だったから。基本を大切にし、私の考えを受け入れてくれた。その性格がアダとなり、無難なリードをよくしかったものだ。30歳を過ぎて優勝を経験し、リーグを代表する捕手に成長し、努力は裏切らないことを証明したのも、まじめな人間性があればこそ。正しい野球を教えられる人材が少ない今、後継者の育成に尽くてほしい」 ◆阪神・坂井信也オーナー(62)=阪神電鉄社長=は大阪市内の本社で取材に応じ、感謝の言葉を並べた。 「おとといの晩に聞きました。うちにとっては、大功労者。残念ではあるけれど、仕方ない。阪神の顔としてがんばってくれたので、寂しいところもある」 また2年に及ぶひじ痛との戦いをねぎらうとともに「勝負強いバッティングを何度もみせ、JFKをしっかりリードしてくれた」と、攻守でのチームへの貢献をたたえた。 ◆阪神・南信男球団社長 「矢野選手は03年、05年のリーグ優勝には多大な貢献をしてくれました。彼を生え抜きの選手のように考えていました。いい指導者になってくれるのではないかと期待をしております。去年のオフから城島の獲得だったり、契約更改の中での(大幅減の)年俸提示だったり、辛い思い、嫌な思いをさせたと思う。腹の中では『くそっ』と思っていたと思うけど、『男はじっと我慢』で仕事をこなして、やっぱりしっかりしているなと。そういう印象が強い」 ◆中日時代の恩師であり、2002、03年に阪神で矢野と再び師弟コンビを組んだ星野仙一オーナー付シニアディレクター 「4日ほど前に一緒に食事をして、昔話をたくさんした。入った時からセンスは抜群で、足も速かったし内野手でも外野手でも成功できたと思う。阪神に移籍してからは球界を代表する捕手として活躍したが、矢野なくして2003年も05年も阪神の優勝はありえなかった。本当にお疲れさん。でも、これからもまだまだ勉強だし、誰にも負けない知識と経験を武器に、立派な指導者になってほしい」 ◆阪神時代の05年に正捕手・矢野でリーグ優勝したオリックス・岡田監督 「藤川にしても、久保田にしてもな。(矢野が)育てたいうか、しっかりアドバイスしとったからな。投手が信頼しきっとったからなあ。(サインに)首を振るとか、そういうのはほとんどなかったんと違うか。任せとったらエエ、それぐらいのキャッチャーやったわな。(言葉を掛けるとしたら)そらもう『お疲れさん』よ。今年で20年か。大学から20年、スゴイで」 ◆楽天・藪 「思い入れがありすぎます。自分で決められてよかったんじゃないかな。これだけ長くやって、悔いを残さずやれたと思うよ」 ◆ロッテ・今岡 「ビックリしています。2003年、05年に優勝の喜びを分かち合えたことはとてもいい思い出」 ◆真弓明信監督 「2年間一緒だったけど、本来のプレーができなかった。守備では投手をリードしてくれたし、打撃も基本的にクセのないというか、どういう投手でもしぶとい打撃をしてくれた選手だった。先発陣も引っ張っていってくれたし、本当に長い間、ご苦労様といいたいです」 ◆阪神・桧山 「午前中に(大阪から広島に)移動だったのですが、メールで教えてもらって、『本当かな?』と思っていたら、新幹線の移動中にテロップで(引退報道が)流れていました。それでもまだ半信半疑です。一生懸命リハビリをされていたのは知っていましたし、もう1度、戻ってこられると選手はみんな信じていた。最後には矢野さんと一緒にもう1度優勝を味わいたい」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 5, 2010 07:12:13 PM
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