どうせだったら、最後、矢野の勝負強さに賭けて、代打に出して欲しかった。。。
それなら諦めついたんですが。。。
ほんと、最悪の雰囲気のセレモニーでしたが、下さん、アニキのスリーショットがみれたので、よしとしましょう
そして、矢野のおかげで、たくさん夢を見させてもらいました
すべて、矢野のおかげです。矢野が来てから、阪神が変わりました
感動を、たくさんありがとう!
矢野監督が再び甲子園で見れるのを待っています
引退、阪神・矢野号泣!7度宙に舞った!
無数の手に支えられて、7度宙に舞った。そぼふる雨が寂しさを増す。プロ20年目のラストゲーム。球児が打たれ、自力優勝が消えた後に自身の引退セレモニーが行われた。ありえない結末…。気丈にあいさつしファンに別れを告げた背番号「39」だが、セレモニー後、こらえていた涙があふれた。
「カネとは縁があって、大学では一緒にやって、(プロで)敵として戦って、最後は味方として戦った」
同い年の金本と抱き合ったシーンについて質問が出ると涙腺が決壊した。東北福祉大時代から追いつき追い越せの精神で歯を食いしばってきた。数々の思い出がフラッシュバックされた。
昨季から右ひじ痛に悩まされた。今季から城島加入した。出場機会激減は明らか。昨年12月15日に母校・桜宮高で行った講演会では、生徒から城島に関しての質問が出た。
「どんな立場になっても頑張る。もうダメやダメやと思って、あきらめたらアカン。自分ができることをやる。だからキミたちも、どれだけつらいことがあっても頑張れ」。学校側が差し出したお礼金は野球部に寄付した。そして自らは鳴尾浜で声をからした。
この日のベンチ入りは前日に木戸ヘッドコーチから伝えられた。九回二死になれば、球児とバッテリーを組む予定だった。かなわなかったが、悔いはない。
「球児でどれだけいい思いさせてくれたか。俺も球児にいい思いさせてもらった。『俺らの誇り』ってファンの人も思ってると思うけど、球児が打たれて文句言うやつなんていない。球児が打たれたら、仕方がない」
個人のことは二の次。自力優勝がなくなったチームに「あしたから勝つしかない。あきらめることはない。野球選手はいい時ばかりではない。多くの阪神ファンが付いている」とカツを入れた。
「本当に最高の野球人生を送れました。本当に感謝、感謝、感謝です。僕にとっては第2の人生の出発だと思っています。またいつの日かこの甲子園で会いましょう」
今後は評論家としてリスタートする。努力に努力を重ねる矢野の雄姿に誰もが勇気づけられた。涙と雨が入り交じったタテジマを脱いだ。