HIRO.F's Scrawl

2010/12/25(土)06:50

新井弟、電撃虎入り!兄弟タイガース誕生や

阪神2010(268)

う~む、さんざんミスして、落合監督に、呆れられて二軍落ちしたイメージしかないしなぁ。。。 もっとチャンスに強い大砲がほしいなぁ。。。 出身地 大阪府大阪市西淀川区 生年月日 1980年11月4日(30歳) 身長 体重 175cm 74kg 選手情報 投球・打席 右投右打 ポジション 二塁手、三塁手、遊撃手 プロ入り 2000年 ドラフト7位 初出場 2001年8月8日 年俸 950万円(2011年) プロ入り前 大阪桐蔭高校、社会人野球のプリンスホテルを経て、2000年のドラフトで西武ライオンズに7位で指名され入団。 西武時代 2005年にファームで3割を打ち、守備だけでなく確実な打撃も評価された。 2006年はオープン戦で結果を残し、開幕一軍入りを果たした。遊撃手の中島裕之の故障などで出場機会が格段に増えたが、先発出場は2試合のみで守備固めがほとんどであった。8月6日の北海道日本ハムファイターズ戦で、守備固めとして出場し回ってきた打席で、MICHEALからプロ初本塁打となるランニング本塁打を打った。プロ初本塁打をランニングホームランで達成したのは、武上四郎・緒方耕一・坪井智哉に次ぐ、2リーグ制以降史上4人目だった。またこれが水田のこの年唯一の安打であった。他の3人はその後スタンドインによる本塁打を記録しているため、打った本塁打がランニングホームランのみの打者は2リーグ制以降では水田1人である。 2007年は右打ちからスイッチヒッターに転向し、二軍で主力選手として活躍したが、打率2割と低迷した。シーズン終盤に一軍に昇格したが、やはり守備固めとしての出場がほとんどだった。 2008年は本来の右打ちに戻し、2月の紅白戦でルーキーの平野将光から2本塁打を打ったものの、一軍出場は17試合に留まった。打席に立ったのも交流戦の2打席のみであったが、その内容は「投犠打」と「四球」で出塁率10割であった。 2009年は7月4日に一軍に昇格するが、7日後の11日に藤田太陽とのトレードで阪神に移籍[1]が決定した。これはアレックス・グラマンの離脱などでリリーフ投手が手薄だった西武と、内野手の補強を求めていた阪神の思惑が合致した結果であった。トレード発表後の試合となった同日の対オリックス・バファローズ11回戦において、渡辺久信監督は水田をよい形で送りだそうと、9回裏同点の場面で二塁打で出塁した上本達之の代走として起用。移籍が決まった選手の試合出場は異例のこと。試合終了後にチームメイトから胴上げされて別れを惜しんだ[2]。 阪神時代 7月13日に阪神に支配下登録。背番号は15。一軍では主に代走として出場した。 2010年は背番号が32に変更される。シーズンは8月14日に一軍昇格したものの試合出場のないまま8月31日に出場選手登録を抹消され、一軍公式戦試合出場はなかった。二軍のウエスタン・リーグでは79試合に出場し、打率.263、本塁打3であった。 出身地 広島県広島市佐伯区 生年月日 1983年8月16日(27歳) 身長 体重 187cm 89kg 選手情報 投球・打席 右投右打 ポジション 一塁手、三塁手 プロ入り 2005年 大学生・社会人ドラフト4巡目 初出場 2006年7月25日 年俸 1,100万円(2011年) プロ入り前 小学5年時からソフトボールを始め、五月が丘中学2年時には軟式野球で中国大会3位に輝く。 広陵高等学校に進み、広陵3年の時、四番・主将で春の選抜大会出場。主にファーストを守っていたが、ピッチャーとして甲子園のマウンドに上がり、自身は3回を無失点に抑えたものの、吉村裕基(現・横浜)が二年で四番を打っていた東福岡に4-8で敗れ初戦敗退した(巨人・西村健太朗、広島・白濱裕太は2学年後輩)。 卒業後は東都の名門・駒澤大学へ進学し入学まもなく4番に座る。東都大学1部リーグ通算79試合出場、273打数65安打、打率.238、14本塁打(歴代7位タイ)、49打点。ベストナイン2度受賞。(1シーズン2部リーグでプレーし3本塁打している。) その後、2005年のドラフトで中日ドラゴンズから4位指名を受け入団。ドラフト順位でも分かるように、プロの評価は決して高くはなかったことや体格など、兄と共通の部分がある。 プロ入り後 プロ入り後は兄を上回る素質があると評価され、ルーキーイヤーの2006年は、ファームでもルーキーながらほぼ毎試合4番で出場していた。しかし打率.254、3本塁打と、パワーはあるものの粗い打撃と拙守のためシーズン前半は2軍暮らしを送る。7月17日にプロ初の一軍昇格。同日の横浜戦で代打として待機するが、降雨コールドとなり初打席はお預けとなってしまった。 その後一軍再昇格し、同年9月10日広島戦でプロ初ヒットを記録。その後4度の代打機会にてすべてヒットを放ち、右の代打として存在をアピール。10月12日対阪神戦では6番・一塁手でプロ初スタメンを飾った。 2007年は、二軍で打率.286、6本塁打(チームトップ)と打撃が向上し、一軍でも打率.280を記録、プロ初打点も上げた。 10月7日横浜ベイスターズ戦で3番・左翼手でスタメン出場するも死球を受け、打席で悶絶。途中交代となった。これに関しては立浪和義から「痛がるなら一塁へ行ってからじゃないのか」と叱咤された(せっかく与えてもらったチャンスを不意にしてしまった事への戒めである)。この言葉に新井は「今度は顔に当たっても塁へでます」と教訓を得たようであった。事実、スタメン出場したアジアシリーズ第1戦では試合中の一塁守備時に手の指を負傷(後に骨折と判明)していたがそれを痛がるそぶりもなく引き続きプレーした(第2戦以降は欠場)。このシーズンから私設応援団による選手別応援歌が作られたが、新井のみ1番・2番の構成になっている。 2008年、春季キャンプは一軍スタートだったものの、中盤に二軍に降格。そのまま二軍で開幕を迎えたが、ファームでは好成績をおさめ、5月14日に一軍に合流。5月15日に負傷した森野将彦に代わって一軍に昇格した。しかし、わずか3日で再び二軍に降格したが、二軍で3割の活躍をみせて、6月7日に二度目の一軍昇格となった。また、このシーズンは二軍で規定打席に4打席達しないながらも、認定ルールにより、打率.332でチームとしては1970年の坪井新三郎以来となる例外規定での2人目の首位打者、出塁率.418で最高出塁率のタイトルを獲得した。 オフにはドミニカ・ウィンターリーグに派遣され、Leones del Escogido(レオネス・デル・エスコヒード)に所属した。しかし、結局選手登録はされず、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのアカデミーでの練習試合に出場して通算8打数3安打4四死球と、選手登録されて出場した藤井淳志や前田章宏に比べて低いものであった。しかし、派遣されている間にタイロン・ウッズが退団、さらに、来季一塁手最有力候補の中村紀洋もFAで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍し、定位置である一塁が空いたため、開幕スタメンのチャンスができた。 2009年、春季キャンプは一軍スタートでそのまま完走。3月1日の中日対日本ハムのオープン戦で6回表無死、日本ハムの3番手江尻慎太郎(現横浜ベイスターズ)から中越えに1軍初本塁打を放った。その後は不調となり二軍に降格されたが、初の開幕一軍入りを果たす。しかし代打で結果が出せず、4月20日に降格した。二軍では4番・一塁のレギュラーとして打率.299、9本塁打、55打点(リーグ3位)。出塁率.426、最多四死球(60個)で二年連続となるウェスタン・リーグ最高出塁率のタイトルを獲得した。 2010年、6月9日の楽天戦で一軍での初ホームランを放つも一軍に定着することができずに終わり、オフに背番号を二学年後輩である大島洋平が付けていた32への変更が決定された。 新井弟、電撃虎入り!兄弟タイガース誕生や  虎党にサプライズプレゼントだ。クリスマス・イブの24日、阪神・水田圭介内野手(30)と中日・新井良太内野手(27)の交換トレードが両球団から発表された。阪神は不足していた右の長距離砲を獲得し、新井貴浩内野手(33)との兄弟タッグが実現。右の代打候補として期待されており、兄弟同時にプレーする可能性が高まった。  街がすっかりクリスマスムードに染まったイブに、思わぬ“赤い糸”が結ばれた。中日でプレーしていた新井の弟、新井良が、水田とのトレードで電撃の虎入り。岐阜県岐南町内でイベントに出演中だった午後2時、中日球団からトレード通告を受けた。  「阪神にいっても、一生懸命プレーします。兄については、立場も実績もかけ離れているので、とにかく僕は一生懸命やるだけです」  聖なる夜にタテジマの新井兄弟が産声をあげた。新井貴浩の実弟は、2006年に大学・社会人ドラフト4巡目で中日入団。今季プロ初本塁打を放ったが、1軍に定着できずにいた。それでも2軍では08年に打率・332で首位打者に輝き、08、09年と2年連続最高出塁率をマークした。今季も・354。可能性を感じた阪神が動いた。  神戸市内のホテルで取材に応じた真弓監督も、期待感を口にした。  「長打力があるのが一番の魅力。うちにはタイプ的に似た、足が速くて小回りがきく若い選手は多くなったが、長打力がある右打者がいなかったから。代打? 最初から代打ということはないが、右の代打、長距離砲がいない中で、代打の期待も最初から持てるんじゃないかな」  阪神では嶋田宗彦(現2軍コーチ)、章弘(現スコアラー)以来となる兄弟同時在籍選手。兄が三塁手で弟が一塁手。指揮官は「プラス効果はあるだろう。本人はやりづらい部分もあるかもしれないが、お互い刺激しあっていい方向に出れば」と相乗効果をあげた。  球団事務所で対応した沼沢球団本部長も「兄弟の要素は(トレード成立に)大きいわけじゃないく、右でパンチ力がある選手という意味合いが大きいですが。お兄ちゃんを脅かす存在になってくれたら、うれしいですね」とハッパをかけた。  プロでの実績で大きく上回る兄・貴浩にとっても、大きな刺激となるのは間違いない。金本をアニキと慕うが、実の弟が同じチームに入ってきたとなれば、もう金本の“弟”ではなく、正真正銘の兄貴だ。アニキと兄貴と弟-。頼もしい虎3兄弟の誕生。V奪回を期す虎にとって、大きなクリスマスプレゼントであり、カンフル剤となりそうだ。 中日・新井弟が阪神に移籍 水田とトレード 阪神の水田圭介内野手(30)と中日の新井良太内野手(27)の交換トレードが24日、両球団から発表された。  新井は阪神に在籍している新井貴浩内野手(33)の弟で、2006年にドラフト4巡目で中日に入団。プロ通算成績は124試合で打率1割9分1厘、1本塁打、4打点。  水田は昨季途中に西武から移籍した。通算成績は130試合で打率9分7厘、1本塁打、4打点。 水田の話 「短い期間でしたが、地元関西の地でプレーできたこと、多くのファンの皆さんにご声援いただいたことは、プロ生活において良き財産となりました。このトレードを機に大きく飛躍できるように頑張ります」

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