|
テーマ:タイガース党(8213)
カテゴリ:阪神2011
涙こらえ…虎将V誓った「絶対優勝する」
絶対優勝する-。6月27日に心筋梗塞(こうそく)で亡くなった阪神・渡辺長助チーフスコアラー(享年54)の通夜が30日、西宮市内で行われ、320人が参列した。亡きがらと対面した真弓明信監督(57)は声を詰まらせ、弔いVを約束。選手会長の鳥谷敬内野手(30)も呼応した。 虎の涙雨だった。焼香が始まると同時に、西宮市内の斎場の空からポツリ、ポツリと小さな雨粒が降り注いだ。6月27日の深夜、遠征先の富山市内の宿舎で急逝した渡辺チーフスコアラー。長さんの思いを、必ず結実させる-。通夜に駆けつけた真弓監督が、その決意を、強く口にした。 「長さんが、あれだけ熱心に資料を集めてくれて、タイガースが勝つよう、優勝するように一生懸命仕事をしてくれた。その意をくんで、チーム全員、オフにいい報告をできるよう、がんばっていきたいです」 1978年オフにクラウンライターから阪神へトレード移籍した将と同年のドラフト3位で入団した渡辺氏。「同じ年(79年)からプレーして、しかも熊本出身(真弓監督は福岡県出身)で同じ九州なんで、非常に仲良くしてもらっていました」。同じ釜の飯を食ってきた。09年に監督に就任後は、頼りになるチーフスコアラーとして、支えてもらった。 「とにかく野球が好きで、タイガースを愛していて、球場にいる時間が長く熱心にデータを集めてくれていました」 感謝の言葉を続けると「本当に体が大きいし、非常に健康で…。いきなり逝って…。まだ本当に亡くなったことを受け止められない。お別れに来るところなんですが、別れるという気にはなれないですね」と、言葉を震わせ、詰まらせた。 将の思い-。それはチーム関係者、ナイン全員の思いと重なっていた。当初、この日は広島戦が行われた福井からきょう1日の横浜戦の舞台、岡山へ移動し、倉敷マスカット球場で練習予定だった。通夜には監督、ヘッドと選手会幹部4選手が代表で出席することになっていたが、選手からの強い要望で急きょ変更。いったん甲子園に戻って室内練習場で練習し、通夜には全員が参列した。 選手会長の鳥谷は「顔を見ても、まだ信じられないです」と、無念さを隠し切れなかった。 「みんな個々にいろいろな思いがあると思うんで。チームのためにずっとやっていただいたし、日程的にも1日あいて、みんなで来られたことはよかったと思います」 ナインは参列後、新神戸駅から岡山へ移動。選手会長は「スコアラー室で、勝っても負けても、いつも『お疲れ』と声をかけていただいた。何とかいま、自分たちができるのは、優勝を目指してがんばること。それを長さんに伝えました」と全員の意思を代弁した。 首位ヤクルトとはまだ7ゲーム差。6月28日の広島戦(富山)のウイニングボールを祭壇に届けた真弓監督は「とにかく長さんの意をくんで、喜んでくれる試合をどんどんしたいと思います」と誓った。盟友の思い、たくさんの貴重な“遺産”は、決して無駄にしない。 虎・平野、3度目球宴「いい報告できる」 “お父さん”に捧げる夢舞台だ! 阪神・平野恵一内野手(31)が30日、選手間投票でマツダオールスターゲームに選出された。6月27日に心筋梗塞で急逝した渡辺長助チーフスコアラーに「いい報告ができる」としみじみ。会見後、西宮市内で行われた通夜で活躍を約束した。 想えば想うほど、思い出があふれた。急逝した渡辺チーフスコアラーへの感謝。 「お父さんって呼んでいた。そしたら(自分を)兄ちゃんって呼んでくれて…」 明るく振る舞いながらも、時には神妙に。球宴出場を決めた平野は、本音を吐露した。 「夢舞台といわれるところ。球宴で何をしたいかより、出して頂けるのが光栄です。下手くそなのに頑張ってきてよかったと思える瞬間。長助さんも亡くなられたから…。いい報告ができたのが一番です」 2年連続3度目の出場は成長の証だ。昨季はベストナインとゴールデングラブ賞を獲得。真の飛躍であることを今季のプレーで証明してきた。真っ先に報告したのは、虎の父親だった。 「(会見前に)長助さんがいつも座っていたデスクに報告してきた」 結果が出ず、スコアラー室のドアを叩いたことは多々。 「いつも明るく背中を押してくれた。もっと、もっと野球を教えてほしかった」。支えがあったからこその成長。伝えられなくなった言葉の代わりに、夢舞台への切符を差し出した。 オリックスからトレード移籍し、初めて臨んだ2008年の春季キャンプ。右も左も分からず、宿舎の食堂で1人で食事をした。声をかけてくれたのが渡辺氏だった。 「1人だったのに、いつも一緒に話してくれた。(全体)練習後も(打撃投手を)投げてくれて。毎年恒例になった」。二度と繰り返されない光景を胸にしまい、自分のスタイルを貫くことを誓った。 「今年は特別な年。シーズンと同じ、自分の力を出し切りたい」 練習後、通夜で霊前に手を合わせて岡山に向かったガッツマン。常に全力。それが恩返しだ。 阪神・南球団社長「残念…言葉が出ない」 6月27日に心筋梗塞(こうそく)で亡くなった阪神・渡辺長助チーフスコアラー(享年54)の通夜が30日、西宮市内で行われ、320人が参列した。 葬儀委員長をつとめた南球団社長は「何ともいいようが無い…。早すぎる…」と、言葉を失っていた。 「2歳違いの同世代。一言で言えばショック、残念、ですが…。後は言葉が出てきません。家族より一緒にいる時間が長いくらいの付き合い。四六時中、一緒に飯を食って話をして…。そういう世界。そういう仲間が1人、いなくなった…」 また、1軍ナインが急きょ全員参加するなど、1、2軍の現場、関係者など、球団関係者みんなが参列したことに「みんな大勢来てくれて、ありがたい。みんな同じ気持ちだと思います」としんみりと話していた。 岡田監督、試合後渡辺さん通夜参列 阪神のチーフスコアラーで6月27日に心筋梗塞(こうそく)のため亡くなった渡辺長助さん(享年54)の通夜が6月30日、西宮市内の斎場でしめやかに営まれ、球団関係者を中心に320人が参列した。 ◇ ◇ オリックス・岡田監督が西武戦後に渡辺さんの通夜が営まれた斎場へ駆けつけた。阪神監督時代の5年間、渡辺さんがチーフスコアラーの間柄だった。「ミーティングでこう攻めるとか決めつけてよう言うとったよ。選手が迷わんようにな。おれも負けたらスコアラーの責任やでって言うたけど、それだけ信念持ってやっていた」と故人をしのんでいた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 1, 2011 08:56:41 AM
コメント(0) | コメントを書く
[阪神2011] カテゴリの最新記事
|