HIRO.F's Scrawl

2014/06/29(日)08:12

ダンカン絶叫「初美-!!愛してます!!」、たけし電話に感謝も

ニュースでみました。。。 私も、涙がとまらなくて。。。 ご家族の皆様の気持ち、亡くなった奥様の気持ち ほんとうに辛い 再発の経緯を、ほんとうに辛そうに話されていました。 御冥福をお祈りいたします ダンカン絶叫「初美-!!愛してます!!」、たけし電話に感謝も  タレント、ダンカン(55)の妻で22日に乳がんで死去した飯塚初美(いいづか・はつみ=享年47)さんの葬儀・告別式が28日、東京・中野区の成願寺で営まれた。26年連れ添った愛妻との最後の別れに、ダンカンは400人の前で号泣。出棺前には、愛称の「ママリン」ではなく本名で「初美-!! 地球が無くなっても愛してます!!」と叫び、天国に呼びかけた。 「今は姿がありますから、まだ良いんです。もう、それも無くなっちゃうから…」。葬儀前に取材に応じたダンカンは、辛い胸中を打ち明けた。  「(3人の)子供の結婚式も、孫の顔も見せてあげられなかった。あと5年あったら…」と悔しげな表情。涙は止まらず、「本当はこんな涙を見せちゃいけないんです。ママリンがいたら『あんた、お笑いなんだから』と言うはず。この涙も徳光和夫さんのモノマネですから」と自らに言い聞かせた。  棺には、夫婦で大ファンだった阪神タイガースのレプリカユニホームと、一緒に見た映画「ウォルト・ディズニーの約束」の半券を入れた。初美さんが亡くなった翌23日に、師匠のビートたけし(67)から電話があったことも明かし、「『申し訳ないな。駆けつけたいけど、映画(の撮影)で地方にいるから。しっかりしろよ』って。普通の町内会のおやじになってました」と温かい言葉に感謝した。  喪主のあいさつでは、再び号泣。「僕ら親子4人、力を合わせて、ママリンが安心して休めるような家族を作っていきたい」と誓うと、「もしかしたら初めて本名で呼ぶかもしれないけど…」と前置きしながら、「初美-!! 飯塚初美-!! 僕は初美を一生!! いや、永遠に!! 地球が無くなっても愛してます!!」と叫んだ。  妻が大好きだったという福山雅治(45)のセルフカバー曲「最愛」が流れる中、訪れた400人も涙。ダンカンは妻の位牌をしっかりと胸に抱え、斎場を後にした。 【喪主あいさつ全文】  本日は雨の日にもかかわらず、妻のためにたくさんの方に参列していただき、誠にありがとうございます。  僕たち夫婦は26年間お互いをママリン、パパリンと呼ぶような夫婦で。ですから端から僕たちのケンカを見ていると、まるでおままごとのように見えたかもしれません。  ママリンは美しくて、キュートで、強くて、頼りになって。一方、僕は本当にだらしなく、何をやってもろくでなしで。でも、もしかすると僕はママリンに『パパリン、またろくでもないことをやって』と言われるために、そういうことをしていたような気がします。  ママリンは、美つき、甲子園、虎太郎という、かけがえのない宝を残していってくれました。僕ら親子4人力を合わせて、ママリンが安心して休めるような、そんな家族をこれからも作っていきたいと思います。  ママリンにももちろん感謝していますけど、こんな最高のママリンをこの世に誕生させてくれた千葉のお父さん、そしてお母さん、本当にありがとうございました!!  亡くなってから、いろいろ事務的なことでママリンの名前を聞くことが多くなって。ママリンの本名は初美なんですね。僕は26年間、ずっとママリン、ママリンと言ってきたから、初美と言われてもあまりパッと来なくて。ですけど妻ですから、もしかしたら初めてかもしれないですけど、初美の名前を呼ばせていただきたいと思います。  初美-!! 飯塚初美-!! 僕は初美を一生!! いや、永遠に!! 地球が無くなっても愛してます。  みなさん、どうもありがとうございました。 ダンカン号泣…愛妻ママリン苦しめた乳がん「恨みます」  タレント、ダンカン(55)の妻で22日に乳がんで死去した飯塚初美(いいづか・はつみ=享年47)さんの通夜が27日、東京・中野区の成願寺で営まれ、約1000人が参列した。喪主を務めたダンカンが報道陣の取材に応じ、出会って27年、献身的に支えてくれた愛妻に「芸人の妻として右に出る者はいない」と号泣。9年前に発症した乳がんに「恨みます」と唇をかんだ。  「ママリン」「パパリン」と呼び合ってきたお笑い界のおしどり夫婦だっただけに、普段はにぎやかなダンカンも憔悴しきっていた。  通夜前に会見に応じたダンカンは、「3人の子供はママの宝物だった」と長女・美つきさん(25)、長男・甲子園さん(23)、次男・虎太郎くん(15)を会見に同席させた。2月に死去した母の飯塚マスヱさん(享年79)に続き、早すぎる妻の“旅立ち”。「母の死をはるかに上回る悲しみです」と肩を落とした。  「美しくて明るくて強くて頼りがいがあった」という妻が乳がんを発病したのは9年前。6年前に再発し、3年前に肝臓、昨年に脳に転移したという。「最初お医者さんに(両胸の)全摘出をすすめられたけど、女性だから胸を残してあげたくて右だけ切る決断をして…。どうして全部取る選択をできなかったのか」と号泣した。  今月26日から新しい抗がん剤治療に挑む予定だったが、22日に死去。その日はダンカンに手を握ってもらいながら阪神戦を見たといい、妻の最期の言葉について「『あったかい。ありがとう』でした」と明かした。  闘病中も常に家族や知人に気を配り、東日本大震災の被災地でも支援活動を行っていた。「芸人の妻として右に出る者はいない」とダンカン。抗がん剤で毛髪が抜けても、かつらを取って人を驚かせるなどユーモアセンスも抜群だった。  全快を祈るお百度参りの代わりに、2人のキス写真を100枚撮影するのを目標にしていたが、「まだ50数枚だった」と無念の表情。「もし来世で会えたら、ママリンのダンナじゃなくて子供に生まれたい。デキの悪い子はかわいがってもらえるから。こんなろくでなしと27年も一緒に歩いてくれてありがとう」と感謝していた。 ★お気に入り写真  遺影は約10年前に虎太郎くんの幼稚園のバザーで撮影した写真で、本人のお気に入りだったという。祭壇の供花には師匠のビートたけし(67)、阪神の和田豊監督(51)、楽天の星野仙一監督(67)、俳優、渡哲也(72)らの名前が並んだ。戒名は「美月恵愛信女(みげつけいあいしんにょ)」。葬儀・告別式は28日午後0時半から同所で。 つまみ枝豆「ダンカンのあんな顔は見たことがない」  タレント、ダンカン(55)の妻で22日に乳がんで死去した飯塚初美(いいづか・はつみ=享年47)さんの通夜が27日、東京・中野区の成願寺で営まれ、約1000人が参列した。 たけし軍団のつまみ枝豆(56) 「30年くらい一緒にいるけど、ダンカンのあんな顔は見たことがない。かける言葉が見つかりません。病状は聞いていたけど、ダンカンは弱音を吐かず『良かったり悪かったりだよ』としか言わなかった」 たけし軍団の井手らっきょ(54) 「ダンカンが苦しそうで『頑張って』としか言えませんでした。破天荒なダンカンを抑え、本来なら許せないことも許す、芸人の奥さんでした。奥さんあってこそのダンカンだなと感じています」 家が近所で親交が深いタレント、松村邦洋(46) 「(ダンカン家の)庭で夜中にティーバッティングしていたらママリンが2階からミルクを投げてきて、『いい加減にしろ、お前ら』と怒られたこともありました。明るい町の肝っ玉母さんという感じの人でした」 たけし軍団のなべやかん(43) 「斎場の写真を見て、ダンカンさんは奥さんに愛情深く接していたんだなと違った一面を見た思いです。奥さんはダンカンさんが悪さをすると、掃除機の柄でぶん殴って倒していた強い方でした。本当に訃報が信じられない」

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