89年から、92年まで、私は鳥取とか島根とか、岡山とか、色々走ってたなあ。。。
VTは、たくさん女の子乗ってました。。。
もう、スパーダの頃だったかな。。。
一度、見に行ってみたい。。。
東寺のHB Γも、そんな思い出があるのかなあ。。。
形見のバイク
値札ないバイク、娘の形見 尾道・二輪車店の山本さん、23年磨き /広島
会員限定有料記事 毎日新聞2017年7月2日 地方版
広島県
形見のバイクを眺めながら、早世した愛娘の思い出を語る山本忠正さん、勝子さん夫妻=広島県尾道市で、渕脇直樹撮影
23年間、人手に渡ることなく飾られている250CCのオートバイが、尾道市西御所町の二輪車店にある。中古ながら走行距離は2287キロ。磨かれ新車同然の美しさに、多くの購入希望者が訪れるが、値札は付いていない。店を営む山本忠正さん(78)の長女で、脳腫瘍のため24歳で亡くなった祐子さんの形見だからだ。【渕脇直樹】
山本祐子さんは、県立尾道東高から岡山県の看護学校に進み、1991年4月に尾道市立市民病院に就職した。学生時代にボーイフレンドの勧めで中型二輪免許を取得し、中古の125CCを買った。忠正さんは「運転指導で瀬戸田町(現尾道市)まで一緒にツーリングしたこともあった」と懐かしむ。
その後、忠正さんが、新車で販売したVT250Fを顧客から引き取った。ホンダがバイクブーム期の1984年に発売したスポーツバイク。40馬力の高出力と軽い車体が人気だった。250CCへの乗り換えを希望していた祐子さんは「新車より、これがいい」と、黒い精悍(せいかん)なVTに一目ぼれ。当時の走行距離は850キロと少なかったものの、長期間放置されていて動かず、忠正さんが整備して就職祝いに贈った。その翌月に病院看護師となった祐子さんは片道5キロの通勤に使い、雨の日もカッパを着て乗った。恋人と山口県・秋吉台へツーリングにも出かけた。
エンジン音で闘病励ました
仕事に慣れ始めた92年1月初旬、祐子さんは「頭がフラフラする」と不調を訴えた。過労を疑ったが、診断は脳腫瘍。医師は両親に余命2年を告げた。手術後に抗がん剤治療を続け、いったん腫瘍は消えて職場復帰を果たしたが、再発。祐子さんは自宅療養を希望した。
93年11月ごろから起き上がれなくなり、忠正さん、妻勝子さん(77)、長男(51)の家族3人は体位変換など24時間つきっきりで看病した。忠正さんは数日おきにVTを始動させ、エンジン音を響かせて、「元気になって、また走ろう」と励ました。病床の祐子さんはうれしそうな表情を見せたという。
勝子さんは「春には一緒に花見を」と祈ったが、94年1月25日に旅立った。快活で社交的な性格の祐子さんは闘病中も明るく振る舞い、忠正さんは「どれだけ救われたか」と振り返る。
祐子さんが心躍らせ手にした愛車だったが、病に倒れるまでのわずか約9カ月間、距離にして約1400キロしか駆ることはできなかった。祐子さんを亡くした後、忠正さんはVTを毎週磨き、エンジンをかけて、心臓の鼓動のような響きに耳を傾けてきた。
「これがあると、祐子が居るような気がする。これからも、手放すことはないでしょう」
〔備後版〕