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テーマ:タイガース党(8267)
カテゴリ:野球
ほんとに、惚れてましたよ。星野さん
日本中に、星野さんに惚れた人間が、どれだけいるか。。。 監督としての理想、リーダーとしての理想、野球人としての理想、男としての理想、人間としての理想 いつでも、目標としていた方でした。。。 日本で一番愛された野球人 本当にお疲れ様でした。。。 星野仙一さん、亡くなる直前まで「コーチ会議に出られるかな」 最後まで野球に情熱 プロ野球楽天は6日、星野仙一氏の意思で病状などの発表を控えていたことを明らかにした。報道機関への発表文で「人前では常に強気を貫いた『星野仙一』のスタイルを最後まで全うしようとしたことですので、なにとぞご容赦ください」と理解を求めた。 息を引き取る直前まで「コーチ会議に出られるかな」と話していたという。「最後の最後まで野球に情熱を燃やし、野球に一生をささげた星野(球団)副会長でした。故人に代わり、今まで支えてくださった全ての皆様に感謝申し上げます」とつづった。 阪神・金本監督の一問一答 星野氏をしのぶ「いろんな面で男らしさは感じていました」 阪神・金本知憲監督(49)が6日、西宮市内の球団事務所で会見を開き、逝去した星野仙一氏をしのんだ。以下、代表インタビューの一問一答。 --星野氏の訃報に 「私も昨日の夜遅くに、ちょっと噂を聞きまして。朝正式に聞くまではウソであってほしいな、と思いながら、夜中何回も目が覚めたりしたんですけど。いまだに受け入れられないという感じはありますね」 --最後に話をしたのは 「星野さんの殿堂入りパーティーのときの控室で話をさせていただきまして」 --直接2人で 「わずかな時間ですけど『しっかりブレずに自分の思うように頑張って、絶対、阪神強くなるから辛抱してやれよ』ということはいってもらいました」 --星野氏が別のユニホームを着ても 「チームのことに限らず、個人的には本当に星野監督が(阪神を)辞められた後も、僕が引退するときも監督に就任するときも何か一声かけてくれたり、背中を押してくれたり、そういうことは本当にマメにしてくれていました」 --訃報を聞いて、V戦士たちには連絡を 「いや、時間的に深夜だったんで、できなかったんですが。きょう朝から所用があったもんで、なかなかできていないんですが、自分の中で正直あんまり受け入れられていないというか。いまだに信じられないです」 --FAで阪神にくるときから縁があった 「2002年のときですか。僕がFAの権利をとって星野さんが監督じゃなかったら、間違いなく僕はタイガースにきてないと思いますし、星野さんが監督じゃなかったら、2003年も2005年もまず優勝はなかった。2回の優勝をさせてもらって、本当にいい思いをさせてもらったのは星野さんのおかげだと思うし、僕にとっては関西の父親代わりみたいな方でしたね」 --星野監督の胸に飛び込むときは格別の思いか 「よくいわれているように根気よく、執念をもって、僕を説得して。いやがる自分を強引に、という方が近いんですが、そのおかげで僕も2回優勝させてもらって、チームとして、球団としても星野さんがこられてから、強いタイガースができあがって、毎年300万人入るチームになって。本当にタイガースの一番いい時代を作るきっかけになった方なんで。その中で自分も現役でやらせてもらったりとか、監督をやらせてもらって、感謝の気持ちというのを球団ももっていると思いますし、僕個人としても感謝という言葉しかないですね」 --星野監督もこんなことをやっていたな、とか今、思うことも 「やはり、あります。やっぱり細かいことでもいうべきことはいわないといけないし、逆にしっかり我慢するときは我慢しながら、少々時間がかかってでも、自分のイズムを浸透させていくという信念を出さないといけないな、というのは星野さんの影響はすごく大きいです」 --野球人・星野について 「力以上のものを出すには気持ちしかないというか。戦う気持ちだとか、ナニクソという気持ちをもっている選手はもっている力以上のものを出すことができるんだというのは僕も思いますし、改めて選手にもそういう気持ちをもって戦ってほしいというのはあります」 --男・星野を感じたときも 「見ての通り、怖さと愛情といいますか、優しさが両極端に大きい方だったんで。男の部分といいアニキ分だったり、すごくいい相談相手だったりというのは、いろんな面で男らしさは感じていました」 --別れの言葉を送るとしたら 「別れといいますか、さっきいったように感謝ですね。感謝しかないんですが、これからやっぱり見守っていてほしいなと思います」 --星野監督は今も生きている 「もちろん。星野監督の姿は全部が全部じゃないですけど、いいところどりというか。それを忘れないようにしたいですね。2003年、星野さんの野球で勝ったんですから、これからいいところはこれから生かして、常に胸の中に思いながら戦っていきたいと思います」 --殿堂入りのパーティーでは「2年で優勝」と。特別なシーズンになる 「今年やるぞ、というのではなく、現実をみる目というのがね、それを指摘できる眼力というのもありますし、おおらかなところもあるというのでね。周りのファンのために僕のために急がせるな、と。もっともっと、急がしてあせらすよりは、あと2年という期間をいってくれて、どっしりやれよというメッセージだと僕は思っています。僕ら現場は一年一年、戦いで勝負なわけですけど、そこを大きな心で僕をかばうつもりで2年という言葉を出してくれたのかなと思います」 --星野監督からいわれた言葉で印象に残っているのは 「一番は広島時代にちょうど達川監督(当時)に試合前の練習か何かで星野さんが達川さんに向かって『タツ、なんだかんだいって、休まん選手が一番ありがたいよな』という言葉をいわれて。あ、監督というのはそうなんだ、とわかってきて。だったら俺はもう休まないぞ、と。だからある意味、僕のフルイニングの記録というのは星野さんが達川さんにいった言葉が大きかったと思いますね」 赤星氏「弱い部分は絶対に見せず、男・星野を最後まで貫いた」 赤星憲広氏(阪神の2003年のリーグ優勝に貢献)の話 「最後、殿堂入りパーティーで会った時も「体は大丈夫か」と僕の方の体調を気にかけるような方。弱い部分を絶対に見せない、男・星野を最後まで貫いたんだなと思った」 広島・新井、星野氏の「優しい笑顔、忘れられない」 現役時代には「燃える男」、監督としては「闘将」と呼ばれ、プロ野球楽天を2013年に監督として球団創設9年目で初の日本一に導いた星野仙一(ほしの・せんいち)氏が死去したことが6日、球界関係者の話で分かった。70歳。岡山県出身。 新井貴浩プロ野球広島内野手の話 昨年春、オープン戦でお会いしたのが最後。「2千安打おめでとう。よく頑張ったな」と言っていただいた。厳しさの中に愛情がある方。優しい笑顔が忘れられません。 阪神・片岡ヘッドは沈痛な面持ち 「星野さんが監督になったので僕が阪神に来たのは間違いない」 阪神・片岡篤史ヘッド兼打撃コーチ(48)が6日、大阪市内で開かれた母校のPL学園OB会に出席し、4日に亡くなった星野仙一氏について取材に応じた。片岡ヘッドは星野氏が阪神監督に就任した2001年オフ、日本ハムからフリーエージェント宣言し、阪神に移籍した。東京都内のホテルでランチをともにしながら入団を強く訴えられたという。 「赤坂プリンスホテルに来られて、広い部屋で2人でランチをとりました。星野さんが監督になったので、僕が阪神に来たのは間違いない。思い出は2003年の優勝。優勝を決めた試合で本塁打も打てたし、記憶にも残っている」 監督としては「厳しくて、白か黒か、いいか悪いか、はっきりしていた」と振り返った。今季はヘッドコーチに昇格して金本監督を支えて、13年ぶりのリーグ優勝を狙う。 「指導者になって、それが、今生きています」と星野イズムで頂点までチームを導くことを誓った。 盟友・星野氏の訃報に田淵、山本両氏は言葉失う「あまりにもショックが大きい」 星野仙一氏の訃報を受け、東京六大学リーグ時代からのライバルで、盟友だった田淵幸一氏、山本浩二氏の2人はショックを隠し切れない様子だった。 田淵氏は東京都内で取材に応じ「一番の親友。親友が亡くなったショック、悲しさというのはこんなにすごいものかと初めて体験した」と声を震わせた。星野氏との思い出についても「時間もたっていないので。まだ頭に出て来ない」と話して沈黙した。 山本氏は「突然の訃報に言葉が出ない。あまりにもショックが大きい」と関係者を通じてコメントを出した。昨年11月と12月に行われた星野氏の野球殿堂入りを祝うパーティーで会った際の様子が気になっていたそうで「元気がなく、顔つきや声にも力がなくなっていたので心配はしていた。本当に早過ぎる」と悔しさをにじませた。 長嶋茂雄氏、星野さん死去を悼む「本当に残念でなりません。対戦するのが本当に楽しみでした」 楽天・星野仙一球団副会長の訃報を受け、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督が6日、球団を通じてコメントを発表した。以下の通り。 「あまりにも突然の事で本当に残念でなりません。昨年11月に開かれた仙ちゃんの『野球殿堂入りを祝う会』で『これからも野球界のために力を貸して』とメッセージを送ったばかりです。『打倒巨人』を前面に闘志満々でぶつかってきた投手だったからこそ、私も負けずに『さあ仙ちゃん、来い』と心を燃やすことができ、対戦するのが本当に楽しみでした。監督としても多大な実績を残され、さらなるご活躍を期待していました。ご冥福をお祈りします」 マー君、星野さん死去に沈痛な思い「胴上げできたことは僕の野球人生の大切な思い出」 米大リーグ、ヤンキースの田中将大投手は5日、プロ野球楽天時代の監督だった星野仙一氏の訃報を受け、沈痛な思いを吐露した。2013年には日本シリーズ制覇を経験した。「あまりに突然のことで信じられません。日本一になり、星野監督を胴上げできたことは、僕の野球人生の大切な思い出です」との談話を出した。 08年には北京五輪代表として共に戦い、13年シーズン後の大リーグ移籍の際も背中を押してもらうなど身近な理解者だった。「メジャーでプレーすることを応援してくださいましたし、感謝の気持ちでいっぱいです」とコメントした。 ヤンキース・田中将大投手の話 「あまりに突然のことで信じられません。楽天イーグルスで日本一になり、星野監督を胴上げできたことは僕の野球人生の大切な思い出です。メジャーでプレーすることを応援してくださいましたし、感謝の気持ちでいっぱいです。心よりご冥福をお祈りいたします」 楽天・岡島選手会長、天国の星野さんに誓う「2013年以来の日本一となりご報告できるよう…」 楽天の球団副会長を務める星野仙一氏の死去を受け、嶋、則本ら6選手が6日、コメントを発表した。突然の訃報に一様に驚きを隠せない様子。それぞれ星野氏が指揮を執った2013年以来となるリーグ制覇、日本一を誓っていた。 岡島豪郎選手会長の話 「突然のことで驚いています。今の外野手としての自分があるのは、外野手転向を直訴した自分を我慢しながら使い続けてくださった監督のおかげです。選手会長として、2013年以来の日本一となりご報告できるよう、チーム一丸となって戦ってまいります」 藤田一也の話 「突然で言葉がありません。今もこうして現役でプレーできているのは星野さんとの出会いのおかげです。日本一になった時『ここまで来れたのは一也のおかげだ』と言っていただけたのがすごく嬉しかったです。星野さんの勝負に対する厳しさ、野球へ取り組む姿勢を胸にここまでやってきましたので、これからもそれを続けていきたいです」 岸孝之の話 「すごくびっくりしています。FAの時、星野さんから頂いた『迷ったら前に進め』という言葉が今でも忘れられません。まだ恩返しができていないので、今年、日本一という形で恩返しをしたいです。ご冥福をお祈りいたします」 嶋基宏の話 「信じられません。今でも大きな声で『嶋!』と呼ばれるような気がします。監督から教えていただいた「闘う姿勢」を忘れず、今年こそ東北を熱くします。そして、いつか監督のような厳しさの中に愛情のある人間になりたいです。ご冥福をお祈りいたします」 銀次の話 「突然でびっくりしています。星野さんのおかげで今の銀次があります。自分も『星野仙一』のような男になりたいです。昨年見せられなかった日本一を今年こそ奪回しますので見ていてください」 則本昂大の話 「突然のことで驚きを隠せないです。星野さんがいなければ、今の僕はないので、感謝しかありません。ご冥福をお祈り申し上げます」 楽天・梨田監督が星野氏悼む「精神的支柱…大変可愛がって頂きました」 星野仙一氏の訃報を受け、楽天・梨田昌孝監督(64)は悲痛な思いを明かし、“師匠”を偲んだ。現役時代から星野氏に目をかけられ、16年の楽天監督就任後も副会長という立場からバックアップを受けていた。 以下、球団が発表したコメント全文 東北楽天ゴールデンイーグルスの精神的支柱でした。想像もしていなかったので、ただただ驚いています。 現役時代から、リーグもポジションも違いましたが、大変可愛がって頂きました。共通の知人も多かったですし、何かフィーリングが合ったのだと思います。 2001年、近鉄でリーグ優勝した際に星野副会長とお会いする機会があり、「ナシ、ええ顔しとるな。優勝監督はええ顔しとるな。次は俺もやったるぞ」と仰り、見事、2003年に阪神を優勝に導かれました。 また、星野副会長が球場に入るだけで現場の空気がピーンと張り詰めるのが分かりました。監督として、星野副会長に時々球場へお越し頂くだけで助かりましたし、昨シーズン終盤、優勝が厳しくなった際には、「何とか2位を目指して頑張れ」と励まして頂きました。 常に影で矢面に立ち、我々を支えてくださいました。「星野仙一」の真似は出来ませんが、あの厳しさと威圧感を継承しながら、心新たに現場とフロントが一体となり戦ってまいります。 楽天・立花社長、星野さんをしのぶ「ご病気のことは2016年夏にお伺いしました」 楽天・星野仙一球団副会長の訃報を受け 立花陽三球団社長(46)が6日、球団を通じて以下の通り、コメントを発表した。 「星野さんの突然の訃報に接し、残念で仕方がありません。ご病気のことは2016年夏にお伺いしました。そこからチームの闘いと同時に、病との闘いも始まりました。しかし、星野さんは苦しい姿を周囲に一切見せず、チームを強くすることだけを考え闘ってくださいました。その姿を見てきたからこそ、2017年は何としてでも優勝したかった。先ほど、2018年は優勝することを星野さんと約束してきました。監督・選手・スタッフ・職員一丸となって星野さんの夢を叶えたいと思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます」 星野氏は2011年から楽天の監督に就任し、13年にチームを初の日本一に導いた。14年に退任後は球団副会長に就いた。 「日本野球界の宝だった」阪神ファン、目に涙 星野氏の地元・岡山では記帳台 「星野監督でなければできなかった」。2003年にプロ野球阪神タイガースのリーグ優勝が決まった瞬間を記憶するファンは、星野仙一氏の突然の訃報に涙を浮かべた。出身地の岡山県倉敷市の「星野仙一記念館」では6日、入り口に記帳台と献花台が設けられた。 同記念館を訪れた岡山県総社市の会社員和田繁基さん(42)は「ファンに夢を見させてくれた。日本野球界の宝だった。闘志あふれる姿が印象的。安らかに眠ってほしい」と悼んだ。 大阪市北区で阪神ファンが集まる居酒屋「ま虎っちゃん」を経営する竹田誠さん(54)は、03年に甲子園球場で優勝を決めた際のインタビューが印象に残っている。第一声は「あーしんどかった」。球場全体がどっと沸いた。「阪神の監督がどれだけ大変なのか、星野さん流のメッセージだった」 阪神百貨店梅田本店(同区)の阪神のグッズ売り場。神奈川県伊勢原市から訪れていた会社員奥山元規さん(41)は「03年の阪神優勝が決まった時、選手を抱きしめた様子は今も目に焼き付いている」と涙を浮かべて語った。 「不思議な巡り合わせあった」ノムさん、星野氏悼む「いくら何でも早過ぎる」 野村克也元プロ野球楽天監督の話 「驚いた。いくら何でも早過ぎる。阪神でも楽天でも私の後に監督となり、優勝につなげた不思議な巡り合わせがあった。お悔やみを申し上げるほかない」 星野氏と明大時代同部屋…DeNA高田GMが悼む「優勝に向け切磋琢磨したことが思い出」 星野氏の訃報を受け6日、明大の1学年先輩にあたるDeNA・高田繁GM(72)がコメントを発表した。 「野球殿堂入りパーティーでお会いしたのが最後でしたが、いつもと変わらず元気なお姿だったので訃報に際し驚いております。まだまだ野球界に貢献していただけるものと思っていたので非常に残念です。大学時代の1学年後輩で、寮生活では通常2学年違いで部屋が一緒になるのですが、星野さんとは私が4年生の時に同部屋となりました。チームのエース、キャプテンとして優勝に向け切磋琢磨したことが思い出に残っています。心よりご冥福をお祈りいたします」 たけし「一度星野さんに惚れたら、ついていこうと思うよね」 同窓・星野さんをしのぶ タレント、ビートたけし(70)が6日、TBS系「新・情報7daysニュースキャスター」(土曜後10・00)に出演。4日に亡くなった楽天の球団副会長、星野仙一氏(享年70)との思い出について語った。 MCを務めるTBS安住アナウンサーが、たけしと星野氏の誕生日が4日しか違わないと話を振ると、たけしは「それで(同じ)明治(大学)でしょ? 松尾雄治(明大ラグビー部OB)もいるんだけど、3人で去年、明治記念館にサインを入れたのよ」とエピソードを語り始めた。「そのときに仙さんは俺を後輩だと思ってたわけ。明治っていうのは上下(関係)がすごいから、『おい、たけし!』って呼ぶわけ。で『星野さん、同学年ですよ』って言ったら、『あ、ごめん。たけしさん』って」と笑いを誘った。 野球監督としての星野氏について、たけしは「仙さんは島岡イズムだよね」と、元明大野球部監督の島岡吉郎氏の名を挙げた。「(試合に負けた星野氏が)夜中、マウンドに正座させられていたんだから。島岡さんはベンチでじーっと見ていて、雨が降ろうと1日中いたっていうんだから。それで島岡さんが来て『星野、わかるか気持ちが?』って言ったら、『わかる』って言ったんだ」というエピソードを紹介し、それが星野氏の転機だったと語った。 たけしは「だから、島岡さんの愛情っていうのが、ただ殴るとか蹴るじゃなくて、本当に選手と同じ状態で自分も苦しむんだって。だから、明治の4年生はトイレ掃除とかもやるのよ。選手にとっては怖いけど、一度星野さんに惚れたら、ついていこうと思うよね」と分析した。 ダンカン、星野氏悼む「永遠の阪神ファン・星野仙一さん…合掌」 楽天・星野仙一球団副会長の訃報を受け、サンケイスポーツ「虎の通信簿」でおなじみ、ダンカン(59)が6日、自身のブログを更新。星野氏との思い出をつづった。ダンカンは当時、中日の監督だった星野氏と沖縄キャンプで交わした会話を明かした。「ダンカン阪神を強くする策を2人で考えようや?」「え、星野さんは…中日の監督じゃないですか?大体今、キャンプで練習中じゃないですか?」「あははは…現場は島ちゃん(故・島野育夫コーチ)に任せといたら大丈夫や!大事なのはオレは阪神ファンてことや!」と振り返った。 そして、「懐かしき沖縄ドラゴンズキャンプのグラウンドでの会話…永遠の阪神ファン・星野仙一さん…合掌」と故人をしのんだ。 星野さん訃報に喪失感、中日の後輩たち 山本昌氏「一番の恩師を亡くした」 6日に愛知県豊明市で行われたイベントに出席した中日の後輩たちは、恩師の訃報に接して喪失感に包まれた。 山本昌広氏は入団5年目、当時監督だった星野仙一氏に米国へ送り出され、それが転機になったことを挙げて「星野監督じゃなければ今日の私はいない。一番の恩師を亡くした」と寂しそうに話した。通算200勝を挙げた際、最初に電話で伝えたのも星野氏だったといい「向こうの方が感無量で言葉になっていなかった。電話でも直立不動で話してしまう厳しい方だった」と振り返った。 プロ入り時の監督が星野氏だった岩瀬仁紀投手は「びっくりしている。1年目からすごく使っていただいた。最初の監督でプロの厳しさを教えてもらった。その意味では最初の監督で良かった」と感謝の言葉を並べた。 山井大介投手は「入団した時、ちょうど阪神へ行ってしまったので直接の接点はなかったが、ああいう監督が今いてもいいんじゃないかと尊敬しているし、この監督の下でやりたい、そう思わせる魅力のある人だった」と別れを惜しんだ。 言葉詰まらせる同級生「彼の活躍が励みになった」星野氏と小学校時代から交流続く 星野仙一氏の訃報を受け、兵庫県芦屋市内の自宅前では6日、静けさが広がる中、立ち止まって合掌や一礼する通行人の姿が見られた。星野氏の地元である岡山県の小学校の同級生で、朝のニュースを見て駆けつけた神戸市東灘区の無職井場洋一さん(70)は深々と頭を下げ「残念でしたね…」と言葉を詰まらせた。 小学校時代は星野氏と野球や水泳で一緒に遊んだといい「野球をするとき、投手は誰にも譲らなかった」と当時の様子を懐かしんだ。星野氏の明大進学やプロ入り後も交流を続け「私が仕事をしていたときは彼が活躍することが励みになった」と話した。昨春、絵の個展を開いた際には星野氏から豪華な蘭の花を記念に贈られた。 昨年12月1日に大阪市内で開催された星野氏の野球殿堂入りを祝う会の案内状を受け取ったが、参加できなかった。「それが悔やまれる。同い年で活躍されていたから残念です」と寂しがった。 明大関係者も星野氏訃報にショック 善波監督「日本一報告したい」 星野仙一氏の訃報に母校明大の野球部関係者もショックを隠せなかった。6日、東京都府中市のグラウンドでことし初練習前に約100人の部員らで黙とう。善波達也監督は「残念。明治にとっても野球界にとっても…。野球に熱い人で、気遣いのできる方の後輩であることを誇りに思う。春に日本一になっていい報告をしたい」と神妙な表情で話した。 善波監督は2008年に就任した際「思うようなチームづくりをしなさい。(OBの)長老に何か言われても星野が好きにしていいと言ったと返しなさい」との言葉を掛けられたことが印象に残っているという。 選手は過去の優勝祝賀会で星野氏と対面した。新主将の吉田有輝内野手は「今でも信じられない。明治の伝統である粘り強さを受け継いでいきたい」と話した。偉大な先輩と同じ岡山県出身の逢沢崚介外野手は「(倉敷市の)記念館に行ったことがあるし、岡山の一番のスター。頑張れと声を掛けてもらった」と思い出を語った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 6, 2018 11:54:01 PM
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