|
テーマ:80's Meeting(99)
カテゴリ:GSX-R
昨年と同じく、本間利彦さんのお店、酔仙で80's Meeting 2018の打ち上げです!!
急遽開催告知したのですが、10人以上集まりました!!! 昨年のレポート 2017/10/28 名古屋 酔仙で、80's Meeting 2017 東海打ち上げ! ZEETさんは、本間さん、山本さんにサインいただき、私とおんなじになってました。 私も、同じTシャツ着てます。昨年サインいただいたやつ。 グンちゃんには負けねえって書いてあるのが、ZEETさんはうらやましいらしい ばたきんさんが、電車の時間で帰られるということで、本間さん、山本さんと並んで記念写真!! 最後に、山本隆義さんの挨拶! また、来年よろしくお願いいたします!!! タクシー来るまで、撮影会! こちら、本間さんにサインいただいたRHです!!! 1990/07/29鈴鹿8耐 1990 若手のホープで、怪我さえなければ、絶対に世界で大ちゃんと争ってたはず! 本当に、伝説のライダーです!!!! 本間 利彦(ほんま としひこ、1967年3月24日 - )は、愛知県出身のオートバイ・ロードレースライダー。 略歴 1982年 二輪車免許を取る前からオートバイに興味を示し、名古屋市のアトランタ・ツーリングクラブに在籍。二輪免許取得後はウイリーの成功距離等でメンバーを驚かせた。 1986年 全日本ロードレース国際A級デビュー。富士スピードウェイで開催された国際格式レース「富士スーパースプリント」のGP250ccクラスで強豪を退け優勝し、ヤマハ関係者の目に留まる。在籍チームはウカワR&Mコメット。リーダーは今は亡き山川守であった。 1987年 ヤマハ発動機と契約し全日本ロードレース選手権GP250ccクラスランキング3位 当時ヤマハのエースライダーだった奥村裕の負傷により、当初乗っていたTZ250からワークスマシンのYZR250に乗り換え、ホンダのエースライダー清水雅広とチャンピオン争いを展開。ヤマハ勢最上位のランキング3位を獲得する。 1988年 全日本ロードレース選手権GP250ccクラスチャンピオン 前年の活躍でヤマハワークス入りを果たすが、当初ヤマハは全日本選手権にワークスマシンYZR250を投入せず、新型の後方排気型市販TZ250での参戦となった(市販レーサーのTZと区別するため、ワークスマシンはTZ250改またはTZ改と呼ばれていた)。性能的に不利ながらもスポット参戦した日本GPではポールポジションを獲得。全日本選手権第3戦で優勝したことから、ヤマハはシーズン途中から再びYZR250を本間に与え、見事チャンピオンを獲得する。 1989年 全日本ロードレース選手権GP250ccクラスランキング2位 シーズン当初からワークスマシンYZR250を与えられ連覇に挑むが、シーズン途中の怪我により後半は成績不振に陥り、チャンピオンを逃す。 1990年 全日本ロードレース選手権GP500ccクラスに転向。 1991年 全日本ロードレース選手権GP500ccクラスランキング6位 1992年 全日本ロードレース選手権GP500ccクラスランキング4位 1993年 全日本ロードレース選手権GP500ccクラスランキング2位 阿部典史とのチャンピオン争いに敗れ、年間ランキング2位に終わる。 1994年 全日本選手権からGP500ccクラスが廃止されたため、テストライダーに転向。 1995年 ロードレース世界選手権・日本グランプリの500ccクラスにスポット参戦。ポールポジションのケビンシュワンツに続き予選2位を獲得する。 1996年 全日本ロードレース選手権GP250ccクラスランキング5位 3年ぶりに全日本選手権にフルエントリー。 1997年 再びヤマハ発動機 テストライダーに転向。 1998年 ヤマハ発動機 ワークステストライダー (ロードレース世界選手権250ccクラスのフランスGP(9位)とイタリアGP(リタイヤ)にスポット参戦) 1999年 ヤマハ発動機 ワークステストライダー 2000年 ヤマハ発動機 ワークステストライダー 2001年 ヤマハ発動機 ワークステストライダー 2002年 ヤマハ発動機 ワークステストライダー 2003年 引退 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 13, 2018 08:20:12 AM
コメント(0) | コメントを書く
[GSX-R] カテゴリの最新記事
|