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Dec 23, 2018
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カテゴリ:カテゴリ未分類
もう10年なんですね。。。

たくさん傷ついて、たくさん愛されて。。。その分厳しくもあり優しく美しい方でした。。。


私も、きっと独りで、数日後とかに見つかるんだろうけど。。。

とくに、この時期だと、休みが重なって、ずっと、だれからも気にかけられず、数週間ほっとかれるんだろうなあ。。。


飯島愛さん最後の7日間 スタッフらが語る悲しい10年前のクリスマスイブ

2018/12/23 13:14





© Asahi Shimbun Publications Inc. 提供 2001年、連載用に撮り下ろした飯島さん(撮影/小暮誠)
 タレントの飯島愛さんが変わり果てた姿となって自宅マンションで発見されたのは、2008年12月24日だった。亡くなって10年になるが、飯島さんと親しかった人々にとってクリスマスイブは悲しい思い出が蘇る日でもある。
飯島さんは01年から03年まで、「週刊朝日」で『飯島愛の錦糸町風印税生活』というコラムを連載。その担当編集者・福光恵もその1人だ。飯島さんは亡くなる直前まで性の悩みを持つ女の子たちを応援するサイトを立ち上げようと奔走し、福光もスタッフとして参加していた。飯島さんは週刊朝日でコラム連載中から、女の子たちを性感染症から守ることの大切さを訴え、のちに『生病検査薬≒性病検査薬』(朝日新聞社刊)という一冊の本となっている。第6回は福光ら新事業に参加したスタッフらが語る飯島さん最後の7日間―-。
*  *  *
<<ようやく目が覚めたのはこのとき。壁にぶつかりながら玄関まで行ってドアを開けると、マネージャーが涙を流して、「飯島さん! 生きてたんですね~!」と、ほっとされた。管理人のおじいちゃんまで、「よかったね~」とか言ってる。まるで「バラ珍」。再会に喜ぶ肉親とそれを見て涙を流す徳光さん状態>>(『生病検査薬≒性病検査薬』、「爆睡」より)
 スタッフの1人が緊急入院して手術したことを、マネージャーたちが飯島さんに知らせようとしたときのことだ。携帯や家の電話に数え切れないほどコールし、マンションのインターホンを鳴らしてもいっこうに返事がない。
「もしかしたら飯島さん、死んじゃってるかも?」
 誰もがそう本格的に不安になり始めたとき、上記のように寝ぼけ眼の飯島さんが登場して、再会のドラマが展開された……と、飯島さんは書いていた。
 週刊朝日の飯島さんのコラムの担当編集だった私も、突如飯島さんと連絡が取れなくなり、やきもきさせられたことが何度もあった。
 引退後の08年春ごろ、飯島さんから久々の電話があり、性の悩みを持つ女の子たちを応援する、コンドームやアダルトグッズなどを作って売るメーカーを始めることを知った。それも名前だけの社長なんかじゃなく、商品開発、パッケージデザイン、ネーミングなど、すべてに飯島さんが関わるホンモノの社長とのことだった。
「手始めにサイトで女の子のお悩み相談なんかをやりたいの。ライター仕事を手伝ってくれるかな~」
 サイト名はブログと同じ「ポルノホスピタル」。女の子が手に取りやすいコンドームやアダルトグッズなどを売るオンラインショップのほか、当時の企画書を見ると、読み物としてこんなコンテンツが予定されていた。「35歳のハローワーク~飯島愛がさまざまな職業を体験」「夜の家庭の医学~人に言えないシモの悩みを医師が解説」「飯島愛が答えるお悩み相談」……。
 まもなくサイトのコンテンツ作りも動き出し、「35歳のハローワーク」のコンテンツを作るために、アダルトグッズの開発をする下町の町工場に、飯島さんと一緒に取材に行ったこともあった。当時、そのサイトの「顔の部分」、つまりサイトのデザインを手がけていたデザイン会社「CABARET GRAPHICS」のウエマツノボルさんはこう話す。
「飯島さんが大のApple好きで、ホームページも白が基調ですっきりとしたApple風のデザインになった。オリジナルのアダルトグッズのデザインもすっきりとして無駄がない、ハイセンスなもの。オリジナルの商品で、アダルトグッズのダーティーなイメージも変えたいなんて話もしていました」
 飯島さんとの縁は、以前一緒に仕事をしたことから。音楽の趣味で意気投合し、一緒にライブに行くなどプライベートでの付き合いもあった。
「エイズ対策関連の活動も積極的に参加されていたのは知っていた、同性愛者の方々にも理解のあるサイトにしたいという話にも『すばらしいなぁ』と思ったことを覚えています。どんなときでも、テレビで見る飯島さんとまったく同じ。立場は関係なく誰にでも気を遣い、明るくて、真面目で、正義の味方で、性に対する理解者で……スタッフみんなが憧れる、気さくなお姉さんでした」
 一方、私は08年12月6日(土曜)、宇都宮市でおこなわれた「ストップエイズ」のイベントに参加した飯島さんに同行し、その模様を週刊朝日のワイド特集で紹介。記事のためのインタビュー中、どんな会社をやるのかという問いに、飯島さんはこう答えている。
「女の子の悩みに応える、オリジナルのコンドームや、バイブ、コスメなど……シモのケア用品? そういうものをサイトで売る。かっこいいシモネタ産業ですね。もうすぐショッピングサイトもオープンします。その先は、お客様に育ててもらおう、みたいな」(週刊朝日2008年12月26日号)
 その後、週刊朝日の記事の内容を確認しようとかけた電話が通じず、ようやく飯島さんから折り返しの電話がかかってきたのは、校了日ぎりぎりの12月13日(土)の昼過ぎのことだ。風邪声で「原稿OKだよー」と連絡をくれた。週刊朝日のこの記事は、生前の飯島さんの様子を伝える、おそらく世の中で最後の記事となった。
 同じ日の夜、前出のウエマツさんも、飯島さんからの待ちに待った電話を受けている。
「サイトは、飯島さんのGOが出れば、いつでもオープンできるような状態でした。しばらく連絡が取れなかったけれど、13日の夜に『ごめんね~、復活した! 今から打ち合わせるからさぁ、15日の月曜にはアップすることになると思う』という電話をもらいました」
 これまで何度か延期されていたサイトのオープンが、いよいよ目の前に迫り、飯島さんのうれしい様子が電話口からも伝わってきたという。
「『来年は楽しくなるよ~、一緒に楽しもう!』なんていうノリノリの言葉を聞いて、電話を切りました。私もこれからのことにワクワクしたことを憶えています」
 だが、飯島さんからの連絡は再び途絶える。スタッフの誰もが、飯島さんはいつものように「ごめんね~」とひょっこり姿を現し、いつものように「飯島さん!生きていたんですね!」と再会を喜び合う日が来ることを信じていた。
 渋谷の高層マンションの自宅で亡くなっている飯島さんが発見されたのは、クリスマスイブの24日(水)。翌年2月の警察発表によれば、死因は「肺炎」だった。死亡推定日は17日(水)頃とされ、飯島さんがひと言さえかければ、楽しみにしていた新しい事業がスタートするタイミングとも重なっていた。
<<彼の詞にはメッセージがある。世界中でもこんなに強く訴えかけているアーティストは他にはいないかもしれない。語学力のない私でさえ、どこで覚えたのか勝手に平和を願う気分になる。私は(ラジオで)「ハッピー・クリスマス」とだけ曲紹介をして、(邦題の副題である)「戦争は終った」とは言わなかった>>(『生病検査薬≒性病検査薬』、「クリスマスソング」より)
 飯島さんがコラムでそう語っていたジョン・レノンの「ハッピークリスマス」が、いつものように街に流れていたこの年のクリスマスは、飯島さんと関わった多くの人たちにとって、人生で一番悲しいクリスマスとなった。
「つい最近も、当時の関係者と話したんです。愛さんが生きていて、あの事業を成功させていたら、今ごろ社会は変わり、例えばアダルトグッズだってもっと明るくて、女の子が手に取りやすいものになっていただろうって」(ウエマツさん)
 最後に、前出の「爆睡」コラムに出てくる「緊急入院して手術した」スタッフに話を聞くことができたので、シメとしたい。コラムの後半、飯島さんはそのスタッフが「1日2万5000円」の個室に入っていたことを知ってツッコミを入れたりしているが、実はこのスタッフの入院騒動には、続編があった。
「コラムにも書かれているように、私は手術を終えて無事退院。まもなく仕事も復帰したのですが、食べ過ぎから腸閉塞を起こしてしまったんですね。再び同じ病院に舞い戻ってしまったのですが、飯島さんは退院後の食べ物について、私に何の注意もしなかった病院の対応に激怒して、あっという間に別の病院に転院させられました。再び退院した後、私の自宅にロケバスでお見舞いにも来てくれて、うちの親にわざわざ挨拶をしてくださったり。スタッフを我が子のように大切にしてくれる、本当に心暖かいボスでした」(文/福光恵)





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Last updated  Dec 23, 2018 08:19:17 PM
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