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もう80歳になられていたのですね。。。
御冥福を、お祈りいたします。 平成の名伯楽・小出義雄さん逝く 晩年は大好きな酒を断って情熱を傾けた陸上人生に幕 シドニー五輪女子マラソンの優勝一夜明け会見で、高橋さん(左)から金メダルを首にかけてもらった小出さんは大喜び。トレードマークのひげをそって臨んだ 2000年シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子さん(46)らを育てた指導者の小出義雄(こいで・よしお)さんが24日午前8時5分、肺炎のため、千葉県浦安市の順天堂大浦安病院で死去した。80歳だった。23年間の教員生活を経て、実業団のリクルート、積水化学などで指揮。選手を褒めて伸ばす指導と明るく豪快なキャラクターで親しまれた平成の名伯楽が、「かけっこ」を愛した人生に終止符を打った。 平成のマラソン史を彩る数々のランナーを育てた小出さんが、時代の変わり目に逝った。この日朝、千葉・浦安市内の病院で愛妻の啓子さんに看取られた。 近年は体調が優れず、入退院が続いていた。3月10日の名古屋ウィメンズマラソンが、現地で見守った最後のレースとなった。テレビ解説を務めた高橋さん、五輪2大会連続表彰台の有森裕子さん(52)、元世界女王の鈴木博美さん(50)ら教え子と面会。関係者によると、死期を悟っての行動で、新幹線での移動が困難なほど憔悴(しょうすい)していたという。 2015年に手術を受け、ペースメーカーを装着していた心臓の動きが悪化し、3月下旬から入院。間もなく集中治療室に入った。3月末には、04年から選手指導を委託されていた実業団のユニバーサルエンターテインメントとの契約が満了し、指導者を勇退。4月上旬に高橋さんらが見舞った際には「おれの命は、あと3日しかもたない」と漏らした。 小出さんは千葉・山武農(現大網)高を出て一度は実家の農家を継ぐなど働いた後、順大に進んで箱根駅伝に3度出場した。千葉県の佐倉高、市船橋高などで教員を23年間務め、1988年に実業団のリクルートの監督に就任。学生時代はトラックが主戦場だった高橋さんの素質を見抜き、褒めて個性を伸ばした。高橋さんは所属先を通じ、「オリンピックでメダルを獲れたのも世界記録を出せたのも、今の自分があるのも小出監督のおかげです」(原文ママ)とコメントした。 高地トレーニングをいち早く導入した名指導者だった。2000年シドニー五輪前には、米コロラド州で標高3500メートルと富士山級の超高地を高橋さんに走り込ませた。当時の常識を打ち破る強化法で金メダルを獲得した高橋さんは昨年末、サンケイスポーツの取材で「小出監督は一人一人を見る人だった。有森さんと鈴木さんと私とで声の掛け方が違う。私が忍耐と根性でたくさん走ったのは、私に合っていたから」と当時を振り返った。 17年末。佐倉高などの卒業生による激励会で小出さんは言い切った。「東京五輪に教え子を送り出す」。記者に缶ビールを差し出し、祝杯を挙げようとしたこともあるほど好きだった酒を断ち、晩年も選手の育成に情熱を傾け続けた。 「これからは大好きなお酒をたくさん飲んで、思いっきりかけっこして下さい」。まな弟子のメッセージに背中を押され、名伯楽は天国へ旅立った。 ★まな弟子・高橋尚子さん哀悼メッセージ 「オリンピックでメダルを獲れたのも世界記録を出せたのも、今の自分があるのも小出監督のおかげです。弱い私を根気よく指導して下さって、一緒に走って下さって、自信をつけさせて下さって、監督の大切な時間を費やして下さって、オリンピックでメダルを獲らせて下さって、ありがとうございます、と何度言っても伝えきれないほど感謝の気持ちでいっぱいです。たくさんのことを教わりました。監督の笑顔をもっと見たかったし、お話しももっと聞きたかったです。これからは大好きなお酒をたくさん飲んで、思いっきりかけっこして下さい。」(原文ママ) 日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー 「残念だし、悲しい。本当に日本のマラソン界を救ってくれた」 年ロサンゼルス五輪女子マラソン代表でスポーツライターの増田明美さん 「みんなを笑いで包み込んでくれた。あれほど陸上競技が好きな人はいなかったんじゃないか」 日本陸連の河野匡・長距離・マラソン・ディレクター 「女子マラソンのレベルアップ、人気向上の立役者。2020年東京五輪まで見ていただきたかった」 小出さんとともに高橋尚子さんを指導した佐倉アスリート倶楽部の深山文夫コーチ 「握手をしながら最後に掛けられたのが『深山、頼むぞ』という言葉だった」 順大の後輩で、千葉・市船橋高時代には小出さんの保健体育の授業を受けた経験もあるスポーツ庁の鈴木大地長官 「もっと話を聞きたかった。東京五輪で小出さんが指導するところを見たかった」 小出さん夫妻をモデルにした曲を発売した演歌歌手、岡ゆう子 「知り合う以前はテレビで見て豪快なイメージを持っていましたが、実際は繊細でやさしさいっぱいの方でした。ご冥福をお祈り申し上げます」 ★通夜・告別式 小出さんの通夜は28日午後5時、葬儀・告別式は29日午前9時から、千葉県佐倉市大蛇町790の4、さくら斎場で行われる。喪主は妻、啓子(けいこ)さん。 小出 義雄(こいで・よしお) 1939(昭和14)年4月15日生まれ。千葉・根郷村(現佐倉市)出身。千葉・山武農(現大網)高から21歳で順大に進学。箱根駅伝に3年連続出場。卒業後は高校教師となり、千葉・市船橋高監督時代の86年に全国高校駅伝(男子)で優勝。88年にリクルート陸上部監督に就任。97年に積水化学へ高橋尚子さんらとともに移籍。2002年に積水化学を退社。01年6月に設立した佐倉アスリート倶楽部代表としての活動に専念する。家族は夫人の啓子さんと3女。次女の正子さんは元マラソンランナー(01年ロッテルダム・マラソン2位)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 25, 2019 06:33:58 AM
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