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2019/08/02(金)11:46

ハーリー・レイスさん死去 猪木、馬場らと激闘

格闘技(186)

ハンセン、ブロディ、アンドレ、ブッチャー、ウォリアーズ、ホーガンなど、派手な外人選手全盛だったころ、ちょっと前時代的で地味と感じてたりしたハーリー・レイスやリック・フレアーでも、あれもアメリカンプロレスなんですよね。 全日見て、この人、負けねえなあ。。。って感じてましたね。。 フレアーの狡さとは、また違った強さ。。。 その後も、日本のプロレスに多大に尽力なされました 御冥福を、お祈りいたします。 ハーリー・レイスさん死去 猪木、馬場らと激闘 [2019年8月2日9時3分] Tweet NWA世界ヘビー級王座を奪い特別立会人のハーリー・レイス氏(右)と喜び合う小島(2014年1月4日撮影) 「ミスタープロレス」「ミスターNWA」と呼ばれたハーリー・レイスさんが1日(日本時間2日)、肺がんによる合併症のために死去した。76歳だった。同日、WWEなどが発表した。3月に肺がんを告白し、先月にはイベント出席の移動中に病状が悪化して入院していたという。 60年代から本格的にプロレス界に進出したレイスさんは68年2月、日本プロレスで初来日。ディック・ザ・ブルーザーと組み、ジャイアント馬場、アントニオ猪木組が保持したインターナショナル・タッグ王座に挑戦した。70年にも猪木、吉村道明組が保持したアジアタッグにも挑戦。72年には坂口征二のUNヘビー級王座にも挑戦した。 73年にドリー・ファンクJr.を下し、NWA世界ヘビー級王座を獲得。同年から全日本プロレスを主戦場とし、馬場、ジャンボ鶴田、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ミル・マスカラスを挑戦者に迎え、防衛戦も行った。またWWEの前身WWF王者とのダブルタイトル戦にも臨んだ。また82年には鶴田を下し、UNヘビー級王座、馬場からPWFヘビー級王座を奪取していた。 83年にはリック・フレアーを下し、7度目のNWA王座を獲得。80年代初頭までNWAの象徴として存在感を示し、通算8回のNWA王座獲得もあってNWAベルトは通称「レイスモデル」と言われ、本人が所持していた。 86年にはWWFに移籍し、ハルク・ホーガンのWWFヘビー級王座にも挑戦。WWFではアンドレ・ザ・ジャイアントとも共闘した。 95年の引退後にはプロレス団体のWLWを主宰し、後進の育成に尽力。日本とのつながりも深く、05年には小橋建太の訪問も受けた。10年11月からはプロレスリング・ノアのGHC管理委員長に就任。米国でノアの選手を育成を受け入れていた。04年にはWWE殿堂入り。13年には9年ぶりに来日し、ノアの有明大会で立会人を務め、14年には新日本プロレス東京ドーム大会で開催されたNWA世界ヘビー級選手権の特別立会人を務めていた。 ミスターNWAハーリー・レイスさん死去/写真特集 [2019年8月2日8時35分] Tweet 更新 「ミスタープロレス」「ミスターNWA」と呼ばれたハーリー・レイスさんが1日(日本時間2日)、肺がんによる合併症のために死去した。76歳だった。 同日、WWEなどが発表した。今年3月に肺がんを告白し、先月にはイベント出席の移動中に病状が悪化して入院していたという。 星野勘太郎対ハーリー・レイス(1968年撮影) ハーリー・レイス(左)にジャンピングニーを浴びせるジャンボ鶴田。後方は天龍源一郎(1984年12月11日撮影) サイン会でサインをするハーリー・レイス氏(2003年9月9日撮影) ノア東京ドーム大会 観戦に訪れたハリー・レイス氏(2004年07月10日撮影) GHCヘビー級選手権の調印式に参加した、左から王者KENTA、ハーリー・レイスGHCタイトル管理委員長、挑戦者の永田(2013年12月6日撮影) NWA世界ヘビー級王座を奪い特別立会人のハーリー・レイス氏(右)と喜び合う小島(2014年1月4日撮影)

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