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テーマ:鈴鹿8耐(272)
カテゴリ:鈴鹿8耐
もう24年なんですね。。。。
21番、一緒にYAMAHAを支えていた吉川監督が4連覇に、5年連続表彰台 今年はTECH21も復活。。。 天国の康友さんも、喜んでることでしょう。。。。 オイルに乗っての転倒が順位に絡んだだけに 今年はちょっと複雑だったかもしれません。。。 当時では少ない海外のスーパーバイクで活躍する選手でした。 前の選手のオイルに乗ってしまい、そして、転倒後のバイクの下敷きとなるという、ものすごく不幸が重なってしまいました。。。 永井選手の事故のあと、カウル内にオイルを吸収するパッドが義務付けられました。。。 YAMAHAを代表する、日本を代表する、本当にすばらしいライダーでした。。。 当時、亡くなった後に、日本での走行が録画でやってて悲しんだのを覚えています。。。 本当に、好きなライダーでした。。。。 永井 康友(ながい やすとも、1965年10月29日 - 1995年9月12日)は、埼玉県出身のオートバイ・ロードレースライダー。日本人で初めてボルドール24時間耐久ロードレース優勝。 略歴 1989年、全日本ロードレース国際A級デビュー。以後、ヤマハのワークスライダーとして活躍。 1995年、スーパーバイク世界選手権に日本人として初めてのフル参戦開始。第10戦オランダ(アッセン)第2ヒートで、エンジンブローを起こしたファブリツィオ・ピロバーノのドゥカティ916のオイルが撒き散らされていた。ピロバーノは自らのオイルに乗って転倒。立ち上がると即座にコースマーシャルに対して、オイルフラッグを出せとアピールしたという。 しかし、永井はそのオイルに乗ってしまい転倒。投げ出され滑走する永井の前を滑走するマシンが宙に舞い上がり、その間に、滑走し続ける永井の体がマシンに追いつき、そこへマシンが降り落ちてきた。マシンに押しつぶされた永井は、意識不明のままアッセン市内の病院へ運ばれた。 事故の報を受けて日本から駆けつけた家族と婚約者が見守る中、9月12日(日本時間9月13日)息を引き取った。29歳。 1996年、永井の遺志を継ぐべく、吉川和多留が(1995年ランキング5位で終えた)永井のナンバー「5」でフル参戦した。 1986年 - ロードレースデビュー(筑波選手権SP2) 1987年 - SP忠男レーシング加入 筑波選手権ノービスF3 チャンピオン 筑波選手権ノービスSP400 チャンピオン 筑波選手権ノービスGP250 ランキング2位 鈴鹿4時間耐久ロードレース6位(加藤義昌) 1988年 - ジュニア昇格 全日本選手権ジュニアGP250 チャンピオン(4勝) 全日本選手権ジュニアTT-F3 ランキング3位(2勝) 鈴鹿ジュニア4時間耐久レースリタイヤ(福智学) 1989年 - ヤマハワークス加入、国際A級昇格 全日本ロードレース選手権TT-F1 ランキング3位 TTフォーミュラ世界選手権SUGO大会TT-F1 2位 鈴鹿8時間耐久ロードレースリタイヤ(斉藤光雄) 1990年 - 全日本ロードレース選手権TT-F1 ランキング11位 鈴鹿8時間耐久ロードレース4位(加藤信吾) 1991年 - 全日本ロードレース選手権TT-F1 ランキング2位(1勝) 鈴鹿8時間耐久ロードレースリタイヤ(藤原儀彦) 1992年 - 全日本ロードレース選手権TT-F1 ランキング5位(1勝) 鈴鹿8時間耐久ロードレース11位(藤原儀彦) 1993年 - 全日本ロードレース選手権TT-F1 ランキング3位(4勝) 鈴鹿8時間耐久ロードレース32位(藤原儀彦) 1994年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク ランキング6位(2勝※ヒートレース含) スーパーバイク世界選手権SUGO大会 第1ヒート3位、第2ヒート5位 鈴鹿8時間耐久ロードレース4位(エディ・ローソン) ボルドール24時間耐久ロードレース優勝(クリスチャン・サロン、ドミニク・サロン) 1995年 - スーパーバイク世界選手権 ランキング5位(ヒート最高位2位) 鈴鹿8時間耐久ロードレース5位(コーリン・エドワーズ) デイトナスーパーバイク200マイルレース7位 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 12, 2019 02:11:33 AM
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