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テーマ:タイガース党(8270)
カテゴリ:阪神2019
原田の次は、横田の復帰をと。。。祈っていましたが、本当に残念です。。。
入団の時、一番期待された大型選手でした。 鳴尾浜の最後の試合。。。 眼に不安があったなかでの守備機会 それを、あのレーザービームで刺して。。。 号泣です。。。 本当にお疲れさまでした 阪神・横田、神様がくれたバックホーム!最後に飛び出したベストプレー 脳腫瘍からの復帰を目指したが、今季限りで現役を引退する阪神・横田慎太郎外野手(24)が26日、ウエスタン・ソフトバンク戦(鳴尾浜)で引退試合に臨んだ。打席に立つ機会はなかったが、本塁生還を阻止する奇跡のバックホームで勝利に貢献。病気と戦い、実戦復帰をあきらめなかった若虎に、野球の神様が最後の最後にほほ笑んだ。 「二重に見える」というボールは、やはり見えなかった。それでも何かに突き動かされて、横田は前へと進んだ。白球をつかむと、腕を振る。鋭く弧を描いて片山のミットへ一直線。引退試合で「ベストプレー」という美技が飛び出した。 「約3年ぶりに試合に出させてもらってメチャクチャ緊張したんですけど、最後、ああいうバックホームを投げられて。練習でもああいうボールはいったことがない。本当に、神様が見てくれていたんだと思います」 2-1の八回2死二塁で平田2軍監督から出番を告げられた。九回の守備のみの出場だと思っていて「びっくり」しながらも全力疾走で中堅へ。鳴尾浜が大歓声に包まれた。いきなり飛んできた市川の左中間への打球を処理したが、これが適時二塁打となって同点に。 なお2死二塁。続く塚田の打球は目の前に飛んできた。2016年9月25日のウエスタン・ソフトバンク戦(タマホーム筑後)以来約3年ぶりの公式戦。17年に発症した脳腫瘍の影響で、ボールがよく見えない。いつもは一歩下がって捕るが「誰かが前に押してくれたんじゃないかってくらい足が進んで。全くきれいに見えなかったんですけど」。誰もが驚く鮮やかなストライク返球で本塁生還を阻止し「自分を信じて、練習やってきてよかったなと思います」と振り返った。 14年にドラフト2位で入団。強肩強打に俊足と三拍子そろい『糸井2世』と呼ばれた。16年には金本前監督が掲げた“超変革”の旗手として高山とともに開幕スタメンに。ハツラツとしたプレーで38試合の出場ながら強烈な印象を残した。脳腫瘍は寛解(症状が治まること)したがボールがよく見えず、この日まで公式戦出場はなかった。 試合後に引退セレモニーが行われ、16年の開幕スタメンが映し出されたバックスクリーンを背に、入団時の背番号24のユニホーム姿で登場。「本当に、本当に、今までありがとうございました」。支えてくれた人々への感謝、試合に出られた喜び、バットを置かなければいけない悔しさ-。さまざまな思いがこみ上げ、涙が止まらなかった。全体練習を終えた1軍選手も加わり、5度宙に舞った。 駆けつけた鳥谷からの言葉は、心に刺さった。「神様が本当に見ているんだな」。ともに今季限りでタテジマを脱ぎ、新たなスタートを切る。必死に汗を流した日々は確かに報われた。これからも前を向いて歩んでいける。また涙があふれた。 セレモニー後はファン一人一人と握手して別れを惜しんだ。「野球をやってきてよかった。感謝の気持ちでいっぱい」。精いっぱい戦った姿を、虎党はずっと忘れない。 (織原祥平) 高山、北條、梅野と騎馬を組んで横田を運んだ阪神・中谷 「電話をもらって『やってくれないか』と。すぐに『俺やります!』って。なんていえばいいのか…今はわかりません。言葉にならなくて。野球ができることに感謝して、横田の分も頑張ります」 横田ともに2016年に開幕1軍を果たしブレークした阪神・北條 「ああいうプレーを最後に見られて感動しました。誰からも愛されるヨコの人間性なら、どこにいっても大丈夫。引退しても、一緒に遊びにもいこうと思います」 横田 慎太郎(よこた・しんたろう) 1995(平成7)年6月9日生まれ、24歳。鹿児島県出身。鹿児島実高から2014年ドラフト2位で阪神入団。16年の中日との開幕戦に「2番・中堅」で先発出場し、1軍デビュー。17年オフに育成選手となる。通算成績は38試合に出場、打率・190、0本塁打、4打点。187センチ、94キロ。左投げ左打ち。年俸700万円。背番号「124」。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 27, 2019 06:12:17 AM
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