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テーマ:タイガース党(8269)
カテゴリ:阪神2020
13年ぶり『JFK』復活!阪神・球児「特別な思いと思い出」
特集:藤川球児 宜野座で伝説の3ショットが甦った! 左からウィリアムス氏、藤川、久保田氏(撮影・水島啓輔) 阪神春季キャンプ(10日、沖縄・宜野座)2人の思いも背負い、虎を日本一に導く! 阪神・藤川球児投手(39)が10日、昨年より10日早くフリー打撃に初登板。圧巻の投球を見せると、プロスカウトの久保田智之氏(39)、駐米スカウトのジェフ・ウィリアムス氏(47)と3人で肩を組み、伝説の「JFK」を“再結成”。現役は1人になったが「(矢野)監督の盾になる!」と誓った。 まだまだ元気なところをみせる-。熱い思いを胸に宜野座のマウンドに立った。「J」と「K」が見守る前で「F」藤川がフリー打撃に初登板。開幕が早い影響で昨年より10日も早い打者との対戦となったが、ボーア、サンズ、マルテ、福留を「6、7割の力」で圧倒。30球すべて直球ながら安打性1と、まともな打撃をさせなかった。 「オフにやってきたこと(練習)が間違いではなかった。僕は日本一になるために(矢野)監督の『盾』として、監督が使いやすい武器としてやっていきたい」 守護神としての自負と覚悟がにじむ決意表明。その背中を押すのが、ネットの後ろから熱視線を送っていた久保田、ウィリアムス両氏だった。 「3人の写真が撮りたい」-。藤川の要望が、ついにかなった。ウィリアムス氏が6日夜に来日も、久保田氏がプロスカウトの仕事があったため、この日の登板後の宜野座のブルペンでようやく実現した。3人で肩を組み、あの『JFK』が1日限りの大復活だ。 「特別(な存在)です。特別な思いと思い出もあるし、僕の人生を送るうえで、ものすごく大事な瞬間だった」 岡田監督の下でリーグを制した2005年に「勝利の方程式」として確立された最強トリオ。優勝を決めた9月29日の巨人戦(甲子園)も七回からF→J→Kでリレー。戦友であり、しのぎを削って互いを高め合うライバルでもあった。 「みんな白髪が増えたね」。2007年3月31日の広島戦(京セラ)のお立ち台以来、13年ぶりのスリーショット。ブルペンの観客席で遠巻きに眺めていた約50人のファンの前にも歩み寄り「写真を撮ってください」と再びポーズをとった。 「昔のファンは(1985年の)バース、掛布、岡田の3連発を、そういう風に(伝説と)みていたと思う。今回(JFKを)同じように喜んでもらえてうれしい」 球界に革命を起こした伝説のトリオ。同級生の久保田氏は「あの年齢で“化け物”ですよ。今こうして、同じところに3人がいるのはうれしい。球児にはユニホームを着ている間に優勝してほしい」と熱望。ウィリアムス氏は「久しぶりにいい感じ。ベリーグッド」と顔を上気させた。 「J」「K」はユニホームを脱ぎ、今は虎をサポートする任務。現役は7月に40歳となる「F」1人となったが、“火の玉ストレート”は健在だ。日米通算250セーブも、あと7-。 「僕一人の力ではできなかった。久保田とジェフ(ウィリアムス)の存在があったから。その2人から『頑張ってくれよ』と言ってもらい、ものすごいパワーを感じた」。守護神に君臨し、虎を日本一へ導く。JFKの代表として、記録にも記憶にも残るシーズンとする。 (三木建次) ★幻の「JFKY」 JFKの“再結成”に矢野監督は「俺は入られへんかったんや。あの時代、俺はJFKYというのを勝手に作ってたんだけど。JFK、JFKばっかり。(捕手の)俺も入れろや!!」と笑いを誘った。「力が圧倒的。3人(の球)を受けられたのは自分の自慢」。さらに「そういう投手陣を、また作っていけたらいい。(藤川、岩崎に続き)エドワーズ、スアレスがどんな競争を見せてくれるのか」と期待した。 JFK 2005年の阪神優勝の象徴となった勝利の方程式、ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の救援3投手の頭文字をとったもの。第35代米国大統領ジョン・F・ケネディが語源。04年に就任した岡田彰布監督がシーズン後半から形成し、05年に確立した。スポーツ紙の見出しからネーミングが定着。同年は六回までリードしていれば勝率は9割を超えた。06年途中から、抑えが久保田から藤川に。09年は久保田、ウィリアムスが故障に泣き、実質08年が最後のJFKとなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 12, 2020 03:17:21 AM
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